2012年10月29日月曜日

豊かさの基準・・・物があふれてるって、「豊か」なことなの?


今日は久しぶりに<カーメルロード>
を飲んでいます。

久しぶりのピノです。

今日も風もなく日中はけっこう気温も上がった
みたいで、穏やかな1日だったのでしょう。
 夜の7時でも気温が12℃あります。




☆ 今日ふと考えたこと ☆

グッドウィルも含めて、アメリカのスリフトストアは
人々の<寄付>で成り立っています。
グッドウィルはその中でも店舗の数、
寄付の量、売り上げではおそらく最大規模と
言っていいのではないでしょうか。

お店でグリーターと呼ばれる、
寄付を受け取るポジションの人は朝7時半スタート。
仕事の前に車で寄付を置いて行く人もいるのでしょう。

夏が終わっても、寄付の数は変わりません。

毎日、毎日、ほんのわずかの新品に近いものから
ごみとしか思えないようなものまで、
人々は<寄付>を持って来ます。

ばかでかいカウチ(ソファ)から、
芝刈り機、古い靴下、着古した下着に至るまで
ありとあらゆるものをグッドウィルに落として行きます。

今もお店には食器から衣類から靴から、
ものがあふれています。

確かにグッドウィルは人々がいらなくなったものを
<リサイクル>しているわけですが、
これって本当にいいことなのか、って・・・。



もの(の量だけ)があふれているって
「豊かさ」の基準にはならないのではないかと。
ものがあふれているから「豊か」とは

限らない、言えないのではないかと・・・。

毎日毎日、ブランド名もないようなヴィニールの
ハンドバッグや
一見革靴っぽく見える、ビニールの靴を
プラスチックの箱の中の<寄付>から取り出して、
値段付けをしていると、
<安物>があふれているこの国って一体
本当に「豊か」なんだろうかって思ったわけです。

アメリカって元々「使い捨て」文化の国。
今は知りませんが、ヨーロッパ、例えばイギリスや
ドイツのようにいいものを長く使うと言う文化、

習慣のない国です。
と言うか、アメリカだって「大量生産」「大量消費」
「大量廃棄」の文化って60年代後半から70年代
にかけて花開いたのではないでしょうか。

いいものを買って長く使うとしたら、
そんなに「不用品」って出て来ないかも。

で、思ったわけです。
スリフトショップが成り立つのも「大量消費」の
なれの果てじゃないかと。
ものがあふれているから不要なものまで買っては
スリフトショップに寄付する。
スリフトショップにもものがあふれているので
そこでまた大量に買う、そしてすぐに寄付。

もちろん捨てられてごみになるよりは数段
いいことなんですけれどね。
その<元>を根本的に考え直さないといけない

のではないか、とふと思ったわけです。

これは私自身にも戒めないといけないことで、
家の中にものがあふれているのって
決して<豊か>なことなんじゃないよって・・・。
いえ、別に「あふれて」いるわけではないですが、
使わないのにただ何となく買い集めただけって
いう代物が多い・・・。



きつい、汚い、ともう一つ何でしたっけ、3Kって。

前の仕事場に比べたらほんとに肉体労働。
決してきれいな仕事でもありませんが、
何かと色々考えさせられる職場、職種ではあります。

多分そんなこと考えながら仕事しているのって
私くらいでしょうね・・・(笑)。












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