2011年5月15日日曜日

ミションノヴィへコーンダンスを見に


翌日の土曜日はセカンドメサへカチーナダンスを見に。

ナバホのリザヴェーションの入り口の看板に
SAVE THE PEAKS
のスティッカーが貼ってありました。
下水を処理した水を使った人口雪をサンフランシスコ
ピークスにあるスキー場に使うことに反対するという
意思表示のスティッカーです。


フラッグスタッフから見えるのとちょうど裏側になる
サンフランシスコピークス。
こちらの側の方が残雪が多いです。











エアーポートメサで


霊感が強いとおっしゃるお二人と、短い
エアーポートメサを登り始めるなり、私の両手がびりびり。
手がしびれたのかと思ったら、お二人にも
同じことが起こっていました。
ここは何度か登っていますが、こんなことは初めてです。

夕暮れの空にはお月さまも。




昇る時も沈む時も、太陽に畏怖を感じ、
手を合わせるのは世界中の人に共通するものなのでしょう。


遥かに見えるベルロック。
風景の色がだんだん変わって行きます。



下りる時もやはり同じ場所で手の平がびりびり。
てっぺんよりも磁場が強いのでしょう。
それにしても歩いただけ、手の平を岩に当てた
わけでもないのに感じたのは初めての経験でした。
霊感の強い人と一緒に行動していると起こりやすい
らしいです。
とは言えわがつれあいは全く何も感じなかったようですが。

セドナの最後の仕上げはエアーポートメサでの
夕日と日没鑑賞。

実りの多い1日でした。

次はJEDと


スティーヴがテントを張っているお店で
JEDと待ち合わせ。
お昼も兼ねてニューフロンティアマーケットで
ランチを買って、外のテーブルに腰を下ろして
次はJEDがお店を広げる番です。
↑の写真は2種類のコンチョ用のセット。


JEDは今日もアロハです。


ボタンを選ぶUさん。


JEDとは延々話しながらのお買い物。
話とは言っても、彼は冗談しか言いません。

KさんはJEDが自分用につけていたブレスレットも
お買い上げ。
買い付けにいらっしゃるのは男性が多いようですが、
Kさんたちのようにカップルで来ると、
レディースはUさんが選ぶというふうに
分担出来て何だか良さそうです。

日本ではインディアンジュエリーをつけるのは
おもに男性が多いようですが、
JEDのヘアータイとか小さなボタンのブレスレット
とかは女のコ用にいいと思います。
Uさんもすっかり気に入って、自分用にも
好きなボタンを選んでブレスレットを1つお買い上げ。
ちなみに皮ひもに通したのはわがつれあい。
ボタンの裏の小さなリングに、2本同時に
通すのはけっこうむずかしいと言うか、根気が要ります。

これも通してね、とJEDに頼まれた5セント硬貨も
つれあいがひもに通して出来たのをはい、これは
ギフト、と彼に。
彼はこの日、銅(1セント硬貨)のブレスレットを
買ったので、彼は25セント硬貨のシルヴァー、
5セントのニッケル、そして1セントの銅、と
ブレスレットは3種類、3つになりました。
銅のブレスは関節炎用です。

JEDはモンタナへ娘さんに会いに行こうとしていた
のに、娘さんは何と乳がんの手術をすることになって
それは取りやめに。
彼の車の中はまだモンタナ行き用に
荷物を詰めたままでした。
行った先でもジュエリーを作るつもりだったのでしょう。
アセチレンのタンクまで積んでいました。

最後に3人で記念写真。

2011年5月14日土曜日

まずは買い付け


どれにしようか・・・とジュエリーを見つめるKさん。
プロの目です。
5月と10月の年に2回だけアルバカーキからやって来る
トレイダーのスティーヴ。
今回は RIGHT ON TIME で初日に来ることが
出来ました。

こんな感じでお店の前にテントを張って
ジュエリーを並べています。

このコンチョベルトを見てください。
在庫の点数もかなりのもの。
古いナバホのジュエリーがほとんどですが、
やっぱり(と言っていいのか)古いものには
いいものがけっこうあります。
今回はホピのものはほんの少し。

Kさんたちのお会計も済んで、お札を数える
スティーヴ。
Uさんの肩を抱いてご満悦です。


いつも仏頂面のスティーヴもUさんに自分の帽子を
かぶらせて、ドル札と美女に
見てください、この笑顔。

でもUさんの選んだピアスがすぐにちょとだけ
壊れて(まあ修理は簡単なのですが)
私がこれだけ買ったのだからフリーにしてと
交渉してみましたが答えはNO。
ビジネスにはシヴィア。
自分の値段はとても良心的だからというのが理由です。

なのに計算機も使わず、決してきれいじゃない字で
手書きのレシートに書いて、暗算。
私の持っていた計算機でやり直したら、きっちり
間違っていたんですものね。

仏頂面のスティーヴですが、どうやって集めるのか
なかなかいいものを持っているし、
セドナのここでしか見れないし買えないので
今回タイミングの合ったKさんたちはラッキーでした。
お連れ出来て良かったです。

とは言えジュエリーを買うのもお仕事となると
大変そう・・・。
そりゃそうですよね。
自分の好みばかり買っていてはだめですものね。
私にはムリかも・・・。

九州からお客様!

せこせこと人知れず書いている私のブログですが、
そんなマイナーなブログを見つけて下さって、
こちらに買い付けに来ようと決められてから、
メールのやりとりが始まったKさんとUさん。

(きっと)興奮冷めやらぬ彼らは、
ラスヴェガスでの1泊もあまり睡眠も取らないまま、
予定より2時間も早くフラッグスタッフに到着。
ちょうどコーヒーを淹れようとしていた私は
朝食、うちで食べましょうよ、ということでわが家に
いらっしゃいました。
お土産をどっさりかかえて・・・。

ほんの数分スカイプで話しただけだったUさんは
私の期待?を裏切って、背の高い体育会系の女性でした。
お会いしたとたん、意気投合。
こんなことって多分、めったにありません。

この日は目指すはセドナ。
まずはわが家用の水を汲むのに例の湧き水の場所へ。
↑の写真はお水を汲むUさん。
ここにはローカル、観光客を問わず、いつも人が
このお水を汲むのに集まります。
この日、そこで出会ったリディアさん。
どこから来たの?とUさんに。
福岡。
私、熊本に住んでたよ~。
(私たしたち全員)え~っ?クマモト~?
日本を離れて7年だと言うのに、まだ日本語を
覚えていて、ちょっとたどたどしいけれど、
コミュニケーションを取るには全然問題なし!


福岡と熊本ですっかり意気投合しちゃった
Uさんとリディアさんです。

現在はテキサス州オースチンに住むリディアさん。
すごく明るい、陽気な人です。
熊本でノバの英語講師をしていたのでした。
彼女のボーイフレンドはオーストラリア人。

それにしても初めて来たセドナで奇しくも
九州に住んでいたアメリカ人女性と出会うなんて、
何という偶然・・・。
オースチン、すごくいいところ。
是非来てください。
今は何をしているのか聞き忘れました・・・が。
村上春樹もエッセイに書いているように、
テキサスでもオースチンは学生町で、いい感じらしいです。

セドナ行き、楽しい始まりでした。

(サイトが不具合で何日間かアクセス不能でしたので
遅れてしまいました)

2011年5月10日火曜日

好みって・・・



TOM HALK っていう人の作品が日本で高騰して
いるのですって。
今日お店に来た日本人のバイヤーさんから聞きました。
それと言うのも彼は失明してもう作品が作れなくなった
からなのだそうです。

 このバイヤーさんが去年の秋に来た時も
日本ではホピの老アーティスト、ヴィクター・クチュイテワ
が亡くなったので、彼の作品が高騰しているという
話を聞きました。
ヴィクターはウィンズローのケアホームに入院している
ようですが、亡くなってはいません。

そして今日このバイヤーさんは私の働くお店で
見つけた TOM HALK のブレスレットを購入。
さすがにこの指環はサイズが小さくて、男性用には
向かないとパス。


そんなのわかっていたら自分で買っておいたのに、
などとは私は思いません。
彼はあくまでもビジネスで来ているバイヤーさん。

人の好みは様々です。
私は自分の好みではないものを買って売ろうとは思わない。

☆☆☆

村上春樹が(ハイホーだったかな)エッセイの中で、
バブルのさなか、投資用にマンションを買うことを
勧められて見に行けば、それは自分には
とても人が住む部屋には見えなくて、
そんなものを単に投資として買う気にもならず、
買わなかった。
でもヨーロッパから帰って来たら、そのマンションは
数倍にも値上がりしていた。
それでも自分は買っておけば良かったとは思わなかった
というような内容だったと思います。

とてつもなく値段の違うマンションとインディアンジュエリー
を比べでも仕方ありませんが、
私はやっぱり村上春樹と同じ考え方をすると思います。
自分がいいと思わないものを単に投資、
お金を儲けるだけに買うという気にはなりません。

希少価値だから、限定物だから手に入れたい
というのはコレクターの
根源的な欲望なのかも知れませんが、
亡くなったからとか、もう作れなくなったからというので
求めるというのがいま一つ私にはわかりません・・・。

大したジュエリーも置いていない私の仕事場で
そんな価値のあるものがあったなんて・・・。
とは言え私には何の価値もないんですけれど。

人の好みって面白いです。
と言うかきっと私の好みが偏狭なだけなのでしょう・・・。

2011年5月9日月曜日

母の日に成瀬巳喜男

昨日は母の日。
私たちはホピへダンスを見に行っただけ。
母の日だからと特別なことはしませんでした。
私はあまりそういうイヴェントが好きじゃないので・・・。
母をしているヒトは毎日が母の日。
心の中でだけ、少しでいいから、毎日感謝して欲しい。
アメリカ人がするように、年に1回だけ
食事に誘われたり、プレゼントもらってもね・・・。
(私はいたってひねくれ者なので)

その母の日の夜中に
ケーブルテレビのTCMで成瀬巳喜男の
「おかあさん」をやっていました。

コンピュータに向かっていた私は、つれあいが
つけていたテレビのチャンネルでの映画の始まりの
音楽を聴いて、これ成瀬よ、きっと。
私の勘?はあたりで、
母の日にちなんで成瀬巳喜男の「おかあさん」が
始まるところでした。

後で調べたら1952年に作られた映画でした。

この時1909年生まれの田中絹代は43歳。
1931年生まれ(母と同い年でした)の香川京子は
21歳なんですね。
60年近く前の映画なのに、何だかモダン。
この時代の日常生活の悲しさとおかしさ。
戦後まだ7年しかたっていません。
当然のことながら満州、捕虜、と言った言葉が
出て来ています。

☆☆☆

日本のケーブルテレビの内容は知るよしもありませんが、
アメリカのケーブルテレビの、ある意味でのすばらしさ。
母の日に成瀬巳喜男の映画がコマーシャルなしで
見れるんですもの。

この文章を書いたのは母の日の翌日の
月曜日です。
そしてその日、ホピの友人マリィからメールがあり、
何と彼女も同じチャンネルで成瀬の「おかあさん」
を見ていたのでした。
「文化の違いがすごく興味深い。でも人間同じようなことを
して同じように生きて行くものだね」
マリィ、するどいよ!!

彼女はお母さんを亡くして長いこと立ち直れなかったんです。
何だか彼女がもっと好きになりました。





2011年5月8日日曜日

日曜日もよく働きました(笑)


ホピから帰って、ちょっとだらだら。
今日はなぜか朝5時半に起きたので、
夕方にはさすがに眠くて1時間半も眠ってしまいました。

でも起きた後はようしとキッチンへ。
まずジャガイモの皮むきから。
ポテトサラダ、ハンバーグ、久しぶりに炊き込みご飯。
炊き込みご飯は明日用です。
3分搗き玄米だったので圧力鍋で炊いたので、
時間がかかりました。
さっと洗った玄米をざるにあげてから、
お水につけて、炊いて、コンロからおろして、
圧力を抜くまでの全行程の時間が
けっこう長いのです。
圧力も抜けてやっと出来上がったのはもう夜遅く。
でも今回は焦がしもせず
何とか上手く炊き上がったみたいです。
出来上がったばかり、熱々のごはん、
美味しそう・・・。
ということで1枚でした。

かつて放射能汚染されていた


かつて近くにウランの鉱山があった町
キャメロン。
ナバホのリザヴェーションです。
上の写真はキャメロントレーディングポストの裏で
撮ったもの。
カチーナダンスの帰りにちょっと寄ってみました。

この橋の下を流れるのはリトルコロラド川。
かつてこの川の河岸は周りからのウランで
怖ろしく放射能汚染されていたのだそうです。

キャメロンに住む女性には乳がんに罹る女性が多いと
お店に来るナバホのお客さんから聞いたこともあります。

誰もきっとウラン鉱山と近隣のインディアンたちの
がん発症率の関係なんて
調査などしていないのでしょうが、
私がお店のお客さんたちから聞く話からだけでも
このあたりのインディアン(ホピもナバホも含めて)
にはがんの人が多い、と思われます。

日本でも今回の原発の事故で
原発を見直す、或いは脱原発の動きも出て来ています。


これはこの間映画館の駐車場で見た
キャンピングカー。
車自体はけっこう古そうでしたが、何と屋根の上には
ソーラーパネルが。

車で使う電気を、普通の発電機で作るのをやめて
太陽光発電にしているのですね。
停めている間も、走っている時も
日が照ってさえいれば電気が作り出される。
いいアイデアですね。
今まで見たことがなかったのでつい、
写真に撮らせてもらいました。

風力発電はコストが高いですが、
本当に風の強い日が多いこのあたりには
代替エネルギーとしては最適でしょう。
風力発電のあの羽のついたポール。

もっとコストを下げることは出来ないのでしょうか・・・。

お店で働いていた元アシスタントマネジャーの
ダイアンはもうすぐオーストラリアに引越しますが、
それはオーストラリア人のだんなさんが、
この町で働いていた風力発電の会社を辞めて、
今はオーストラリアで風力発電ビジネスに
携わっているからです。
インドなどからの需要が多いと話していました。

自然の力は時に怖ろしいけれど、
それを上手く利用することだって出来るはず。

風力発電も太陽光発電からも廃棄物の処理に
頭を悩ませることはないですもの。

願わくは日本の大学などもそういう方面の研究に
もっとお金を使い、若い学生たちもそういう研究に
心を注げるようになって欲しい。
企業もそういうことに利益を回す、そういう意味での
<産学共同>が進みますように。

ソフトバンクの孫社長の試みはそういう意味で
とてもすばらしいことだと感心します。


モエンコピへカチーナダンスを見に


今日の日曜日、フラッグスタッフからは一番近い
(とは言っても1時間と少し)ホピのヴィレッジ、
モエンコピであったカチーナダンスを
見に行きました。
↑の写真がナヴァホカチーナマナ(女性)。
(写真はバートン・ライト著「ホピカチーナ」から)
このカチーナともうひとつ別のカチーナが踊っていました。
縦に何本かの黒い線が入った白いマスクを
つけた歌い手もたくさん出ていました。
↑のカチーナのマスク、何だか日本の
ひょっとこを思い出すでしょう?
ナヴァホダンスは前にも見たことがあり、さすがに
狩猟民族のナバホらしく(?)か、歌も
テンポが速くて、どことなく勇壮な感じに聴こえます。

私たちが着いた時には、ダンスはもう始まっていて、
それが終わって
カチーナたちがプラザから出て行くのをそばで
見ながら、後ろを少しだけついて行こうとした
つれあい。
崖の下にあるキヴァへ下りて行く前に、
カチーナが配ったり投げたりする食べ物を乗せた
トラックが並んで何台か停まっているので、
私がそっちにはもう行けないよ、と言っているのに
まだ歩きかけて、
きっちり一人の女性から、ここからは来ないで
と言われていました。
ていねいに言ってくれたよ、ですって。
しばらく待って次のダンスを見て、風があまりに
強くなって来たので、それで引き上げました。
帰りのハイウェイ160では砂塵が舞い上がり、
車にざ~っと音を立てて細かい砂が。
目の前が赤っぽい砂の色に変わります。
今日はホピもフラッグスタッフも強風注意報が
出ています。
恐らく風速50mはあったでしょう。


モエンコピレガシーインの隣に出来ていた
デニーズ。
何と今日の5時がグランドオープニング。
中ではスタッフやその家族用に食事が出されていました。
中だけ見せてもらいに入ったら、従業員たちが
正面でミーティングの最中。
私のホピフードは出すの?というバカな質問に
何人かのホピの女のコが、あっちと
ホテルの方を指差していました。
ホピに来てホピフードを試してみたいと思った
観光客だろうなときっと思われたのでしょう・・・。

金太郎飴のようにどこにあっても同じメニューを
出すのがファーストフード店なのに、
ホピに出来たからってホピの料理も出すなんて
あり得ないはず・・・。

今日は母の日で、きっと今ごろすごい混雑して
いることでしょう。
リザヴェーションに出来たデニーズ。
ネイティヴの雇用が増えたのはいいことでしょうね。

それにしてもモエンコピレガシーインの中は
ホピ一色。
壁にはホピの畑でのセレモニーの種まきや
収穫などの古いモノクロの写真が展示されています。
1800年代後半や1900年代初めの頃のホピは
当然のことながら、細い!!

この頃のカチーナダンスを見たかったなぁとは
つれあいの弁。
さぞかし精悍、勇壮に見えたことでしょうね・・・。

さて今週末にはセカンドメサで
もう1回カチーナダンスです!!



また一人、死んじゃった、ホピの知り合い


リロイ・ホンヤクテワ。
ちょっといかついお兄さんって感じの人でしたが、
作るジュエリーは体つきに似合わず、小さなもの
が多かった(私が見たものだけですが)。
↑の写真のホピメイデンとコヨーテのピアスは
彼がたまたま仕事場に持って来たものを買いました。
(私の2010年7月11日のブログで登場しています)

いつだったか(↑の写真の下の方の)コヨーテの
ピアスをつけていたら、
お店に来て私のピアスを見て
「へぇ、いいコヨーテのイヤリングしてるじゃない」
といたずらっぽく笑っていました。
見かけによらず(ごめん、リロイ)面白くて
「いいやつ」でした。


ホピの本に載っているリロイのページ。
私が彼にサインをもらったのは1年半ほど前。
リーって呼んで、と笑っていました。
昨日の土曜日、元奥さんが、次のダンスで使う
鈴を買いに来ましたが、お店では今はもう、
カチーナダンスでカチーナが身につける大きな
鈴は置いていません。

14日のダンスで行くセカンドメサ、ミシャンガヴィへの
地図を描いてもらって、それをもらって突然、
彼、死んだのよ、2月に・・・。
えっ?どうして・・・。
夜、道路を渡ろうとして車にはねられて・・・。
多分即死だったんだと思う。
救急車が着いた時にはもう息はなかったって
言ってたから。

フラッグスタッフのドライヴァーたちははっきり言って
道を歩くインディアンや非白人など
目にも入らないかのような運転の仕方。
私もつれあいも歩いていて何度も轢かれそうになった
経験があります。
本当に運転のマナーも何もありません。

偶然ですが、ホピジュエリーの本のリロイの上の
ペリー・フレッドも1999年に亡くなっています。
彼のお母さんが1度お店に来たことがあり、何かで
ジュエリーの話になって、息子さんがペリーだった
ことを聞きました。
私がもうずい分前にパサディナであったインディアン
ジュエリーのショウで初めて買ったキーホルダーが
たまたまペリーのでした。

彼がヴィレッジからフラッグスタッフに出て来て
暮らすようになったのは奥さんのルーシーと
別れてからでした。
二人の間に何があったのかは知りませんが、
どうもルーシーにボーイフレンドが出来て、それで
彼は村を出たようでした。
僕は彼女をまだ愛してるんだよ。
と私に話していたリロイ。
きっとやさしい人なんだな、と思いました。

彼の顔とあの時の言葉が今も心に浮かびます。
昨日ルーシーにもそう話しました。

リロイはルーシーのお父さん、ホピオーヴァーレイ
ジュエリーの創始者の一人グレン・ルーカスから
ジュエリー作りを学んでいました。
惜しいです。
リロイ、安らかに眠ってください。
あなたの作ったピアス、大切にします。

2011年5月7日土曜日

まだまだ高いのですが


1日遅れですが、昨日シルヴァーは
オンス$35.72まで下がりました。
今日はマーケットはクローズなので、今日もこのレートで
シルヴァーは売られます。
まだまだ高いですが、$49に比べれば格段の差。

例えば私もいくつかジュエリーを買った、ホピの
アーティスト、クリス。
ガールフレンドのアパートのメインテナンスの仕事
に鞍替えしたと、先日お店に来た彼女が話していましたが、
どうかまたジュエリー作りを再開して欲しい・・・。

恐らく$34~35ドルなら何とかやって行ける
のではないかと思うのですが・・・。

毎月第1金曜日はArt Walk


毎月第1金曜日はダウンタウンでアートウォーク。
主にパタゴニアを扱っている、私たちも
セールの時だけお世話になるマウンテンスポーツで、
ジェイがデモンストレーションをしていました。



スタンピングにはこれくらいしっかりした木の株が必要です。
ジェイは自分の工房から持って来ました。 





この日は1セントコインをたたいてぺちゃんこにして
名前とスタンプウォークのデザインで
ペンダントを作っています。
作ってもらいたい人は紙切れに自分の名前を書いて
待ちます。

こんな感じに出来上がります。
私も作ってもらいました。
名前用のスタンプは1910年代のミリタリー用の
ドッグタグを作る際に使われたスタンプなのだそうです。

彼のスタンプワークのジュエリーはこの
マウンテンスポーツともう1つのお店でメインで
売られていますが、まだアリゾナローカルの域を出ません。

すてきなんですけれどね・・・。

アートウォークのあったこの日のダウンタウンは
人出もすごくて、
パーキングを見つけるのに30分近くかかりました。
今日仕事場に来たアーティストとも話しましたが、
市はダウンタウンのパーキングを何とかしないと。

まあ人出はあってもショップ自体の売り上げは
どうなのかは知るところではありませんが・・・。