2010年2月23日火曜日

Ponderosa Pine

           

今日は珍しく仕事場のお店に日本人のお客さんが。
買い物をしたのはニューヨークから来ているという男性。
一緒に来た彼の知り合いらしき日本人の女性はこの町の大学で、
森林学のマスターを習得中。
彼女は木材のマーケティングではなく、エコシステムを勉強中だとか。

ここって松ばかりですよね、と私。
でもこのあたりの松って特殊な種類の松なんですよ、と彼女。
そうなんですか?松はどこで見てもおんなじに見えますが・・・。

このあたりの松はPonderosa Pineというのが正式な名称で、
ここの高度(2000M)の高さに生える松らしい・・・。


針葉樹の中でも特に興味が持てない松。
秋になれば、ネイティブ(主にナバホ)たちがグランドキャニオン
近辺やあちこちの松林に入って行って、
ピニョンと呼ぶこの木の実を拾います。
要するに松の実ですね。
それを洗って炒って、袋に詰めて売ります。

1度かりっと歯で割った実を殻ごと口に入れて、
上手に口の中で実だけ出して、殻をぺっと吐き出すのが
彼ら流の食べ方。
でも実自体が小さいので、私なんかめんどうくさくて、
あまり好きではありません。
美味しいのは美味しいのですけど。
でも彼らにとっては、冬の間の大事な栄養源(だったし、
今もそう)なのでしょう。

1本の木の実が7年か8年に1度しかならないというのも
何か不思議と言えば、不思議です。
松の木ばかりがまつじゃない。
なんて古い歌謡曲がありました。
(本当に古い!!)

Ponderosa Pineの実は実るまで7年も8年も待つんですね・・・。



2010年2月21日日曜日

色んなことが出来るんだなぁ、1日って

















日曜日。



休息の日?





貧乏性で仕事が休みでも休息ができない私は、

部屋の模様替え、ついでに小物、雑貨の整理、洗濯を数回、掃除、

休憩で家に戻って来たつれあいの散髪、

デジカメの写真の整理(これは中途半端のまま)、

夕食と明日の私のランチ用にスパニッシュオムレツを作り、

甘いものがむしょうに食べたくて、プリンを作る・・・。


それにしても1日家にいると、色々なことがたくさん出来るものですね・・・。


2月もあと1週間と言うここに来て、また雪です。

今週は最低気温はほとんど氷点下!

春、まだ遠し・・・。

冬の間、わが家の<お外冷蔵庫>が活躍してくれます。
何のことはない、ベランダに手っ取り早く冷ましたいものを出しておくだけ。
だって外は冷蔵庫と変わらない温度ですもの。
YOU CAN REST WHEN YOU DIE
ロサンジェルスにいた時にビルボードに書かれていた、どこかのジムの宣伝。
すごいキャッチコピー、と思って見ていたのを今も覚えています。

そうよね、死んだら休めるよね。それも永遠に。
そう思ってせいぜい生きてるときは精一杯働いて、
休息は死んだ時用に貯めておきますか・・・。



































2010年2月19日金曜日

ひたすらリンスカムを待つ






いよいよメジャーリーグのスプリングキャンプが始まりました。
この町に引っ越して以来、この時期になると、メジャーリーグ狂いの
つれあいに付き合ってフェニックスへ。
もちろんまだ全部のチームがキャンプに入ったわけではありませんが、
昨日はジャイアンツが初日で、スコッツデールスタジアムへ。
朝8時半に家を出て、スコッツデールのパブリックパーキングに車を
停めて、球場に着いたのは11時。


まだその時は選手たちの出入り口の柵にもたれて待つファンも
少なかったけど、サインを待つにはこの場所取りが大事。
(というのも何回かの経験で体得)
絶対動いたらおしまい。
何度か出たり入ったりして姿は見たものの、
結局待ちわびるファンの前にリンスカムが姿を見せたのは
何と2時半・・・。
サインをもらおうとバットやベースボールカードやユニフォームを
手に待つ連中の中には(どこの球場でもそうですが)プロも多く、
それをわかってか、この日はそれっぽいグループにはあまり
近づかなかったリンスカム。

子供以外はオトコどもの殺到する中で若き(見た目だけです、
念のため)女性は私一人。
こういう時はオンナであることが功を奏するのですよね・・・。
つれあいがEBAYで落とした、ひときわ一目を引くジャージーカード
(と言うそうです)
にもらったティム・リンスカムのサインです。


























2010年2月18日木曜日

この値段の落ち方が???

つい先週、パタゴニアの冬のセールがあり、なんだかんだと買い込んだ私たち。

年に2回のこのセール以外であまり衣類を買うことは今はなくなりました。

先日あるものを探して町外れのモールにある、ディスカウントショップでつれあいが見つけたポロのアロハシャツ。

ブルーの色もきれいで、柄はヴィンテージ。定価は125ドル。それが何と、赤札から黄札にまで値段は落ちて、15ドル!!

たまには気分を変えて、アロハ、いいじゃない?ということで買いました。

こんな色と柄と値段なら私も欲しい!




2010年2月16日火曜日

今日はcall sickで仕事は休みました。
昨日から風邪気味。

私が仕事を病欠することはめったにありません。

仕事場には土日が休みなのに、必ず、コトが起こった(と言った)り、しんどいからと金曜と月曜に早退が多い、ナバホのマネジャー。

酔っ払っては暴力沙汰になって刑務所に放り込まれて仕事に来れなくなる、これまたマネジャーの友だちのパートタイマーなど、とにかく休みや早退や遅刻の多い職場で、休まないのは私とアシスタントマネジャーだけ。
私の病欠なんて、年に2回ほどです。
アシスタントマネジャーと、健康な人間は損だね、と言い合うことも・・・。

だってパートならまだしも、マネジャーは給料制で、どこで何をしてようが、サラリーは保証されてる
んですもの。

ロサンジェルスのとあるNPOのクリニックで働いていた時、そんなにまじめに働き過ぎないで、私たちがサボリに見えるから、と私に言っていた他のアジア人やスパニッシュの方がまだましです。
少なくとも彼らにはプライドらしきものがあった。

私が(私にとっては当然ですが)一生懸命仕事しているのが、自分たちをlook badにするということが彼らにはわかっていました。
今の職場の人間にはそんなプライドすらありません。
そんなわけで久しぶりにオフの日以外の休み。
とは言え、だらだらもしていられない(というところが貧乏性?)。
今日の夕食、明日のランチの用意、そのための少しの買い物、そしてジム。
洗濯に、写真の整理。
パルメジャンチーズが切れていたので、とりあえず仕込みだけの、ミートソース。
もう10年以上前、サンタモニカでレストランを(雇われです)やっていた時、お客さんで来たイタリア人の女性に教えてもらったPOMI。
それ以来、ミートソースを作る時は必ずこれを使っています。
わが家にはいつもこのPOMIのソースの買い置きがいくつかあります。
寒い時ってあまりトマトソース系のものって食べたい気持ちが起こらないものですが、あっさりとしたものが多かったので、何となくちょっとこってり系のミートソースが食べたくなったのでしょう。
2月も後半になり、やっと雪もだいぶん融けて来ました。
もう寒いのは終わりにして欲しい、と思う今日この頃です。



2010年2月13日土曜日

町に住むホピ

今朝の気温は-5℃だったけど、その後は太陽さんさんで、春のような暖かさでした。

雪もひと段落して(とは言っても、もちろんまだしっかり残っていますが)、

最近は最低と最高気温の差が大きくなって来ました。



たまに仕事場からバスに乗って帰ることがありますが、先日も話しかけて来た

ネイティブの男性、私が身につけていたジュエリーを見て、

自分もジュエリーを作るのだと。


どんなのを作るの?ときいたら、(私がつけていたものを指差して)そんな

オーバーレイのジュエリーだと・・・。


日本に売ってたこともあるんだ、と言うので、あのホピの本に名前、

載ってる?とたずねたら、載ってるかもね。

私はいつも仕事場に持って行ってるホピジュエリーの本をバッグから

出して、彼の名前を調べてみました。

彼の名前はありました。


私はいつも仕事場でしているように、彼のサインをもらいました。

彼は町に住んで、レストランの皿洗いをしていると言っていました。

火曜と水曜がオフで、フェニックスに行った帰りだと。

それで息がアルコールくさかったのでしょう。


かつては日本でも売られていた彼のジュエリー。

でも今はもう作っていないのでしょう。




バスから降りる時、お酒飲んだらだめよ!とつい言ってしまった私。

アルコールの問題はホピもかかえる深刻な問題です。


いい腕を持っているのに、アルコールで身を持ち崩して、ジュエリー作りを

止めてしまったアーティストも知っています。




今日もバスで私に話しかけて来た女の人。

ホピかな?と思ったら、自分からI'm Hopi.と。
名前はトニー。

いっぱいつけている私のジュエリーを見て、話しかけてくれたのでしょう。

自分もしていたホピのリングを見せてくれました。

村はどこ?とたずねたら、(セカンドメサの)ショゴンパヴィだと。


今日、明日とダンスがあるのよ・・・。

行きたいけど、明日は行けない・・・。




町に住んでいるネイティブはたいていナバホです。

どのくらいの人数のホピが町に住んで働いているのかは知るすべも

ありませんが、決して多くないと思います。


もちろん都会や、他の部族と結婚して他のリザベーションに住む人も

いるでしょうが、今もおそらく大部分のホピたちはひっそりと

リザベーションに住み続けているのでしょう。




私の友人のホピのアーティストの家(だんなさんが建てた、立派な、かわいい

家ですが)には、テレビはあってもDVDを見るだけ、

洗濯は2週間に1度、一番近くの町へ、1時間ちょっとのドライブをして

コインランドリーに行くという生活です。


ホピのお家におじゃましたら、何となく気持ちが引き締まるのは、

お水がどれだけ大切かわかるからでしょう。




町に住んでもホピたちは、マジョリティの白人とナバホの中で、

どことなくひっそりと暮らしているような気がしてしまうのは、

私だけでしょうか・・・。