2011年6月30日木曜日

六ヶ所村ラプソディー




<100000万年後の安全>を見た映画館で
見つけたちらし。

その映画は私がアメリカに戻る3日前に上映される
ことになっていました。

そうだ六ヶ所村だ!

これを見なくては!

雨のぱらつく中、阪急電車で梅田から二つ目の
十三というところまで出かけました。




上映時間に間に合うようにと、
梅田の阪急の乗り場まで、つい走ったら、
つけていた大事な
クレンドンのピアスを落とすという大失態
をしでかす。

あ〜あ、イヤリング、けっこう重かったし、
ポストがちょっとゆるかったのでした。





3.11の後なので、小さな映画館は満員。


核燃料再処理施設。


賛成派、反対派、それぞれの言い分、意見。

でも結局お金。


誰も放射性物質なんてごめんに決まってる。


狭い日本。


こんなにたくさん原発、作っちゃって。

溜まる原発のごみ。

どうすりゃいいのさ。


誰が、どこに明解な答えを持っているというのか。


暗くなるしかないよ。













2011年6月28日火曜日

大阪、天満のごま屋さん


人との出会いは一期一会と言われますが、
私は(食べ物も含めて)ものとの出会いにも
きっと縁というものがあると思っています。
日本に帰ってすぐに母と出かけたデパートの
地下で1週間だけ限定出店していたごま屋さんが
試食で出しておられた<ごまぽん酢>の美味しさ
に参りました。
その日はうちで食べる用と、
だんなさんの実家のある田舎へ引っ越すことになった
友人へのお餞別代わりにと2本だけ買い、
是非自分へのお土産に買って帰ろうと
本店のある場所をきいて帰りました。
上の写真がその本店です。
玄関先にはごまの木が。
私が行くと、ちょうど富山へ出張していたという
若旦那さん(専務さんです)が戻っていらしたばかり。
何と言っても珍しい、国産ごまの商品を販売している
和田萬さんです。


明治に創業したごま屋さん。
古い商家の店先に並べられた商品たち。
下の写真はていねいに色々なプロダクトの
説明をして下さった、山田さん。
長い時間歩いてお店を探したので、のどが渇いた私に
何度もお茶をいれて下さって
ありがとうございました!



この↑と↓の写真はお土産には出来なかったけれど、
母と食べようと買って帰ったごま入りお豆腐。
こくがあり、とろりとした口当たり。
このままでも十分美味しかったですし、
山田さんに教えてもらったようにお塩を少しかけて
いただいても大変美味しかったです。
神戸の有名なお豆腐屋さんで特別に作ってもらって
いるのだそうです。



ごまもたくさん買って帰りましたが、何と言っても
このお酢の入っていない<ごまぽん酢>は最高です。
きぬこしに、サラダに、これをかけたら
いくらでも食べれちゃいます。


国産完全無農薬のごま!
何にでもごまをかける、ごま大好きな私には
たまりません!
大阪にこんなごま屋さんがあったなんて・・・!
今回、日本でめぐり合えた最高のお店、
和田萬さんでした。

ファイヴフィンガーでバファローパークを走る



日本から帰って来てから朝5時起床がくせになり
必然的に夜遅くまで目がもたず、
昨日アップするはずのものを翌日書いている
という有様です。
そんなわけで昨日のRUNです。

仕事を終えてバファローパークへ。
ホピの100Mile Club に参加していて、
その日に走った距離をノートに記録しないといけない
ので、つい1周2マイルと距離のわかった
バファローパークで走ることになってしまいます。

この日は初めてファイヴフィンガーでトライ。
車を停めてから履くのに10分もかかってしまう。
1本1本の指を履かせていくのに
もたつきます。
いくらやっても1つに2本の指が入っていたり。
いかに足の指をおろそかにしていたかということです。

でも走り出すと以外や以外。
これが走りやすいのです。
じゃりやら小石を足の裏に感じて、たまに痛っと
思うこともありますが、裸足で走るのって
こんなのかなと感じさせてくれます。
それは普通にランニング用のシューズで走るのとは
全く違った感覚です。
足の裏のヴィブラムソールがでこぼこを吸収して
くれると言うのでしょうか、ランニングシューズで
走るより、つまづくことが減るようです。

走り終わった汚い写真をお見せして申し訳
ありませんが、この通り、砂埃で真っ白。
そして2周、4マイル走っただけなのに、
足も普段より疲れてる・・・。
きっと5本指にそれぞれ力を入れたせいで、
普段靴で走るのとは違った筋肉を使ったせいでしょう。

う~ん、これでホピのレースは走れるでしょうか。
あのじゃりと砂と岩だらけのコースを。
それにはもっとこれで走って足を馴らさないと
いけないでしょう。

足の裏に地球を感じるなんてすごくオーヴァー
な表現ですが、足の裏に土やじゃりや小石を
感じながら走るってちょっと新鮮でした・・・。







2011年6月27日月曜日

グリセルダと娘たち

サードメサから私たちはセカンドメサの
ションゴパヴィへ向かいました。
私は1度にだんなさんと息子を亡くしたグリセルダに
会うタイミングを考えていました。
でもホピにもなかなかしょっちゅうは来れないし、
家にいることもわかったので、
バカヴィのダンスは夕方まで続くはずでしたが
お昼で切り上げて、失礼してセカンドメサへ向かいました。
ションゴパヴィのローレンスの家の前には
きっと事故で大破したのでしょう、いつも停まっていた
ニッサンはもうありません。
ノックしたらCome on in!と言われてドアを開けて
入ったらグリセルダが出て来て、
二人で抱き合って声を上げて泣いてしまいました。

事故で何とか顔の傷とムチ打ちですんだ娘さんの
イヴァとクリスティンが母親についていました。
イヴァはランナーで、私も一緒に
レースを走ったこともあります。
先々週の火曜日にTuba City であった、
私もレジスターしているホピの
100MILE CLUB のイヴェントレースに参加した帰りの
事故だったのだそうでした。
一緒に車に乗っていた、イヴァの孫の10歳の
男の子はフラッグスタッフの病院で少しずつ
良くなっていると、グリセルダが話してくれました。

一緒に車に乗っていた父親と弟をその場で
亡くしたクリスティンのショックも想像するだけで
怖ろしいし悲しすぎます。
私が肩をさすったら目に涙をためていました。

ダンスのたびにおじゃましていたローレンスの
この家にこんな悲劇が起こったなんて・・・。
あのカウチにもうローレンスはいません。
ひょうきんなウィルマーも・・・。
去年のダウンタウンでのホピのショウに出ていた
ウィルマー父子の写真をあげたら
My Brother! とクリスティン・・・。

とにかく私には言葉もなく、ただグリセルダの話を
聞いてあげるだけでした。
Living Treasure だった LAURENCE SAUFKIE はもう
 LIVING Treasure ではなくなってしまいました・・・。 



2011年6月26日日曜日

サードメサへカチーナダンスを見に



ロングヘアーカチーナ。
( from HOPI KACHINS by Barton Wright )
今日のサードメサ、バカヴィでのカチーナダンスは
総勢60人のロングヘアーカチーナ!
ロングヘアーはホピの女性の間でも人気のカチーナ。
私もロングヘアーのリングとペンダント、ロングヘアーの
バックルのついたベルトを2本を持っています。


今日の気温は32℃。
炎天下の中でのダンスです。
コイェムシ(マッドヘッド )がドラマー。
60人のロングヘアーが右足のひざにつけた亀の甲羅の
カチカチという心地よい音と、同じく右手に持った
ひょうたんのがらがらから出る、しゃりしゃりとした音が
心地良く、踊っているカチーナたちの暑さはどんなだろうと
想像しつつも、私は太鼓とカチーナの踏むステップに
無意識に足踏みをしながら、夢中になって見ていました。

***

招待してもらったので、プラザで最前列のいす
に座ってダンスを見た私たちは、この日の
ご馳走にも大満足でした。
リノに行っていたマリィのお姉さんのロレインが
5月からバカヴィに戻ったと言って、
マリィたち3姉妹がそろって、そこへ彼女たちの姪やら
も加わり、親戚やお客さんのおもてなし。
いつもならいるはずのマリィの姉妹のファーンの
だんなさんの姿が見えず、たずねたら
隣の村、ホテヴィラでおじさんのお葬式に
出ていて、お葬式に出た人は
ダンスには来てはいけないのだそう。
確かにダンスは神聖なもの。
お葬式から帰ったら家に入る前にお塩で清める
日本人と同じように、ホピにも聖と穢のような
考え方があるのかも知れません。

ランチをいただいて、私たちはマリィの家を
おいとまして、セカンドメサへ。
たまたまマリィの家に来ていたファーストメサに住む
アナにグリセルダがうちにいることを聞いて
ションゴパヴィへ向かうことにしたのです。



ウィルマーのこと


去年の9月26日にダウンタウンのヘリテージ
スクウェアであったホピのショウに出ていた
ウィルマーとデヴォンの父子。
(2010年9月26日のこのブログで紹介しています)

デヴォンはNAUを卒業しています。
その卒業レセプションに私も招待されました。
息子の4年生大学卒業という事実に、感極まったのか
泣いていたウィルマー。

写真は、去年のショウでウィルマーが使っていた
ホピハイ(Hopi High School )のノートです。
(買おうにも買えないものなので)私が欲しいとねばって、
使っていたページを破いてしぶしぶくれたウィルマー。

今となってはこれも思い出の品となりました。

ウィルマー、Tuba からの帰り道、
真っ暗な中、何をそんなに急いでたのよ!?







2011年6月25日土曜日

タマレとメキシコ

長野の駅前の本屋さんでたまたま
古本市をやっていて、時間もあまりなく
ささっと見て回りました。
入り口の前のちょっとした広場に置かれた白い台に
並べられた本の数は期待していたほどはなくて、
でもこんな珍しい本を見つけました。
古本にしてはけっこう高い値段がついていたのですが、
こんな本にめぐり合うことはまずないだろうと・・・。



私の大好きなメキシコの民族衣装を
紹介した本です。
メキシコの歴史はすなわちインディオたちの歴史
から始まりますが、
そういう記述も興味深く読みました。
雨、とうもろこし、蛇を崇めるなど
ホピに通じるところもあり、ここでホピの人たちと
少しでも仲良くなれたことがこういう本を読んでも
理解しやすいというのはあるのでしょう。

小学校4年生の時、学校の図書館で借りた
「マヤ文明の秘密(?)」という本を夢中になって
読んでいた私にはあの頃すでに
メキシコにひかれる素地は出来ていたのでしょうか。
オハカに行った時、私の目に留まったのは
実はどれもオハカのまだ南、チャパスで
作られた衣装でした。
私のつれあいの働くお店にはオハカ出身の
メキシカンが多いのですが、一人チャパスから
来ている男性がいて、彼は仕事場では<チャパス>
というニックネームで呼ばれています。
確かにオハカ出身のメキシカンはLAなどでも
多かったですが、チャパスの人は珍しいです。


私が日本に行った後、オハカ出身のJUANの
奥さんが作ったタマレをどっさりもらったつれあいが
冷凍にしておいてくれました。
彼女のタマレは絶品なのです。
(一見シンプルですが、作るのはけっこう手が
こんでいて、何でもそうでしょうが、
作る人によってけっこうお味も食感も違います)
メキシコ料理好きではないつれあいも、このタマレ
は美味しい、美味しいと食べています。



日本に帰ると美味しいものが色々食べられますが
時々思い出して食べたくなるのが
シンプルなメキシコ料理と美味しいコーンチップスです。
メキシコ料理が日本であまり根付かないのは
気候もあるのではないかと思います。

このアリゾナやロサンジェルスのからっとした
空気の中で食べるから、あのシンプルなとうもろこしと
ぴりっと辛いチリが美味しく感じられるのかも
知れません。

これはこれで懐かしかった(梅雨時に日本に
いるなんて何十年ぶりでしょう)あのじとじとっとした
日本の湿気からアリゾナに戻って食べた
タマレは、ああ、アリゾナだと実感した一瞬でした。

フリーダ・カーロはもちろん、シケロス、ディエゴなど、
アートでも惹かれるメキシコです。
いつか時間をかけて回りたい・・・。

2011年6月24日金曜日

牛ならぬ、息子とともに善光寺参り


JRパスを使ってまず向かったのは長野です。
友人のお母様のところでお世話になりました。
私はもう何度か来たことがありますが
息子は初めて。


私はついお母さんと呼んでしまう、写真嫌いのNさんと息子が
小さく写っています。




境内にはたくさんの願い事を書いた絵馬が。
その願い事がかないました、という
結果報告とお礼の絵馬もありました。




人生で1度は行った方がいいと言われる長野の善光寺。
このお寺は無宗派です。


 この日は間に合わなかったので、翌日
再び来て、有名なお戒壇めぐりを。
毎回ついて行ってくださるNさんのお母さんが
こんなに人がしゃべってうるさいのは初めて
とおっしゃるほど、若い女性のきゃあきゃあ
ぺちゃくちゃを耳にしながら
真っ暗な中を進んで行きました。



今回私が買った本を見てみると、なぜか仏教に関する
ものが目につきました。

21世紀、みんなが必要としているのは
もしかして仏教ではないかと・・・。
一神教の神にはいつも<力>がついて回ります。
ALL OR NOTHING
の選択を迫られるような気がします。
別の神、他の宗教を信じる人々を受け入れない。

いずれにせよ、お寺って何だか心が休まります。

2011年6月23日木曜日

私のホピのタァタ、ローレンスが死んじゃった・・・あまりにも突然に!!


今年の3月14日にお店に来た
ローレンスとグリセルダ。
いつも二人一緒だった。
私のアルバムの中で、ホピのアーティストでは
なぜかローレンスの写真を一番たくさん撮っています。

ある人がつけていたのを見て
FELL IN LOVE してしまったローレンスの3Dのボロタイ。
偶然知り合いのお店で見つけて
無理言って分割で支払いました。
これをつけていたおじいちゃんも亡くなりました。
ある時息子さんとお店に来たら、青いシャツに
土がついたこのボロタイをしていて、私は
それに一目ぼれ。
写真を撮らせてもらって、裏のホールマークを見たら
ローレンスのでした。
あとで彼に会った時、この写真を見せたら、
これを作るのは自分しかいないと
いつになく強い口調で言っていたローレンス。
知り合いのお店で偶然にもひっそりとかかっていたのを
見つけた時のうれしかったこと・・・。
今となれば大切な、大切な私の宝物です。

ローレンスの死でホピの長老アーティトは
もう一人もいなくなってしまいました。

今日久しぶりにジムに行って、トレッドミルで走り出した時、
突然涙が出て来ました。
おちゃめで独特のユーモアの持ち主だったローレンス。
私を<娘>と呼んでくれた。
ローレンスの正統なる後継者である息子の
ウィルマーまで亡くなったなんて・・・。
あのひょうきんなウィルマーが懐かしい・・・。

一度にだんなさんと息子を亡くしたグリセルダの
ショックを思うと、言葉がありません。

この3年で、マイケル・カボウティ、マーカスの
奥さんルース、そしてローレンスとウィルマー、
ホピの知り合い、友人、大切な人が
次々と亡くなりました。

ホピでは亡くなった人を二人同時には弔えないという
ルールがあって、ローレンスとウィルマー、
一人ずつお葬式をしたそうです。

合掌

出会いは続くよ、どこまでも


日本には1ヶ月と少し滞在しました。
全然オンタイムではありませんが、日本での
ことを少しずつアップして行きたいと思います。

いくつになっても出会いがあるってすてきです。
今回の母のところでの生活でわりと足繁く通った、
近くの100円ストアで働く Iくん。
レジに立つ彼がつけているペンダントに
!!!
何と、ホピのではありませんか。
私はここで、これだけ日本からの買い付けの人たちを
見ていますが、日本でそれを身につけている人を見ることは
まずありません。
今回も東京で大阪で西宮で電車に乗り、町を歩き
ましたが、ホピのジュエリーを身につけている人は
一人も見かけませんでした。
それなのにこんな身近なところで見つけたなんて・・・。
うれしくなって話しかけた私に、彼もちょっとびっくり
したようでしたが、うれしそうにしばしの立ち話。
私がこちらに帰る直前に、休憩時間に時間を取って
くれたIくん。
布の袋から出して見せてくれた、ホピと
Tom Hawk のたくさんのジュエリー。
こちらでならいつもバッグに持ち歩いている
ホピジュエリーの本ですが、日本までは持って
行かなかったので、彼が見せてくれたホピのジュエリーの
作者を調べてあげることは出来ませんでした。


そんなIくんが何と私にリングをプレゼントして
くれました。
今作者を調べましたよ、宙くん。
このMSと亀のホールマークは
Mitchell Sockyma です。
彼は仕事場にも時々顔を見せる、よく知った
アーティストです。
ホピジュエリーの本にはちゃんとサインをもらっていますよ。
本当に本当に感激しました。
本当に本当にありがとう!
大切なジュエリーを・・・。
あれからずっとつけています。
大切にしますからね!

大阪の片隅で見つけたホピのファン。
本当にうれしかったです。
宙くん、いつか彼女とホピへ行けますように!

100000年後の安全

               

こんなささやかなブログでも、何人かの方から
更新がないので心配していますというメールを
いただきました。
ありがとうございました。
実は日本に行っていました。
日本でノートパソコンを買って、楽々ブログの更新
なんて思っていましたが、様々な事情で
マックエアーの購入を断念。
パソコンへのアクセスはゼロ。
というような事情で、しばらく何も書けませんでした。
しかも帰って来るなりパソコンの不具合。
ばたばたとしか過ごせなかった日本での生活の
続きのように、戻ってもなおバタバタでした。
メールをくださった方にお返事を書くのもとりあえず
失礼させてもらって今日は、この話題から始めます。
***
長年のつきあいの有機野菜と自然食のお店へ
買い物に行って、そこのオーナーが見たという
この映画のちらしをもらいました。
ちょうどその2日後はレディースデーで
これはもう行くしかないと、見に行きました。
見終わって映画館の外に出た私の目には、
目の前の景色が、まるで舞台の照明が消えたように
暗く写っています。
今あるこの世界がまるで回顧映画の1シーンのように
感じたのです。
始まる時間に間に合うようにと急いで走って、
いつの間にか大切なピアスを片方落としたショックすら
凌駕するほどのショッキングな映画でした。
この映画の原題は INTO THE ETERNITY。
ほぼ永久に消えることのない放射性廃棄物。
どんなに硬い岩盤の下に、どんなに深く穴を掘って
埋めても消えない放射性廃棄物を
100000年後の地球の居住者が見つけたら
という設定のうちに映画は始まります。
掘り起こして開けないように警告するには
どうしたらいいか。

***

原子力発電所から生み出される核廃棄物。
地球上にたまり続ける・・・。
何十億年もの時間をかけて出来上がった地球が
今、放射能を放ち続ける核廃棄物で汚染
され続けているのです。
電力会社が宣伝するクリーンエネルギーなどと言う
言葉に惑わされてはいけないのです。

この映画館にあったちらしを見て知って、後日
<六ヶ所村ラプソディー>というドキュメンタリー
映画も見に行きました。
これもまた重い、深く考えさせられる映画でした。
この映画についてはまたあらためて
話したいと思っています。

今自分に何が出来るかはわからないけれど、
こういう場所でも、とりあえず何かを訴えられればと
思い、このフィンランド映画について
書きました。
どこかで上映されていたら、ぜひ足を運んでください。
じゃあ代替エネルギーをどうするんだなどという議論を
している場合ではないことを、静かにでも
ずっしりと感じさせてくれると思います。
合言葉は

NO NUKES!

原発も放射能も要りません!