2010年8月22日日曜日

桜桃

<・・・ヤケ酒というのは、自分の思っていることを主張できない、もどっかしさ、
いまいましさで飲む酒のことである。いつでも、自分の思っていることをハッキリ
主張できるひとは、ヤケ酒なんか飲まない。(女に酒飲みの少いのは、この
理由からである。)>
(  )の中から察するに、太宰は女性は自分の思っていることをハッキリ
主張できる人が多いから、そんなに酒を飲まなくてもいい=酒飲みが少ない
と思っていたのでしょうか。

 私にはヤケ酒が多い。
仕事場でいやなことがあった日にはワインの量が増えて仕方がない。
体に良くないと思いつつ、悔しさについぐいぐいとワインをついで
しまう。
 英語で主張することのもどかしさ、イライラが結局家に帰ってからの
ワインに変わるんですよね。
とは言え、「太宰は酒飲みやからそんな風に書くんやろ。酒が飲めない
やつはどうするねん」とは我がつれあいの弁。

<私は議論をして、勝ったためしが無い。必ず負けるのである。相手の
確信の強さ、自己肯定のすさまじさに圧倒せられるのである。そうして私は
沈黙する。しかし、だんだん考えてみると、相手の身勝手さに気がつき、・・・
いろいろさまざま考え、ついヤケ酒という事になるのである。>

 英語で言えば perfectly totally 私の気持ちを代弁してくれてるよ、太宰。
これです。これなんです。

 もちろん私だって楽しく、気持ち良くワインを飲むときだってあります。
そうじゃないとワインに悪いじゃないですか・・・。

 私が読んでいるのはちくま文庫の太宰治全集です。確かロサンジェルスの
ブックオフで買ったはず。
 若いとき1つか2つの作品を読んだだけで(なぜか?)太宰が嫌いに
なった私は、今、太宰にのめり込んでます・・・。
 

 

ほんの少し模様替え、JB、ビリー・ホリデー


下の金色のフレームに入っているのは13年前にサンタモニカであった
ジャクソン・ブラウンのソロコンサートのパンフレット。
あれからもうそんなにたつなんて・・・。
まだリハーサルも開始していない当日の午後、
会場のサンタモニカシビックの開けっ放しの裏口から入って行ったら
JBがいて、確かこの時はチケットが売り切れていて、
彼が手配してくれたのでした。
フリーウェイの入り口やLAX、サンタモニカの駐車場で
何度か偶然に会っているJB。
あのあたりに住んでいたからでしょうが、それにしても
よく出会ってるよなぁ。
今は昔の、なつかしいLAです。


            土曜日のランチタイムに久しぶりに行ってみた
Salvation Army のスリフトショップであった
古い手作りの本棚を買いました。
ちゃんとした木材で作ってあり頑丈そうです。
これでリヴィングルームの一隅を模様替えしました。
ここは一応つれあいのコーナーなので、元々飾ってあった
サインボールやサイン入りベースボールカードを並べて
本は入れ替えました。
レコードプレーヤーやスピーカーも少し動かしたので
ちゃんと動くかテストがてらかけてみたビリー・ホリデー。
真夏(みたいに暑いんです)に聴くにはぴったりだと思います。


暑い夏の日にふと聴きたくなるのはジャニスの<サマータイム>。
そしてビリー・ホリデーです、私は。

イヤリングを作りました

ネックレスを作るのは好きなのですが、イヤリングって
何だか上手く出来ないので、あまり作ろうとは思わない私が
スクラップで買ったオーム(サンスクリット語)のチャームと
ホランダイトというクリスタルでイヤリングを作りました。


仕事場にはシルバースミスたちがシルバーのスクラップを持って来て、
その代金でまたシルバーを買うというシステムがあります。
作品を作ると出てくる切れ端やカットした時に出る粉、
あるいは作り損ねた作品のかけらなどをためておいて
それをトレードしに来るのです。
お店ではそれらをクリーンスクラップとファイリングの
2つに分けて買い取ります。
銀そのままのものはクリーンスクラップ、
その他はファイリングです。
私が買ったこのオームの文字のものもファイリングとして
トレードされたもの。
以前ホピのお客さんが持って来たスクラップの中に
あったのは、古いだけで何の問題もないペンダント。
買って裏のホールマークを見たら、私の好きなホピのアーティスト、
マーカスのお父さんの作品でした。
たまに掘り出し物に出会えるスクラップ。
従業員ならではの楽しみかも。

2010年8月20日金曜日

チャーチルチャイナ

少し前にスリフトショップで買ったイギリスのお皿。
デザートプレートです。
茶色ってあまり好きではない色ですが、これはスポードのパターンを
思い起こす柄と絵。コンディションもとても良かったので4枚
買いました。
ちらっとここのウェブサイトをのぞいてみましたが、
デザインも新しいものばかりで、もうこういう
ウィローパターン的な絵柄のは作っていないようでした。
元(の絵柄)は中国なのでしょうが、私は初めてウィローパターンの
イギリスの紅茶カップを見て以来、この青と白のウィローパターンの食器に
病的に惹かれています。
最近はスリフトショップでもあまり見かけなくなりましたが。

知らないことって・・・Mason Jar とフリーメイソン


  久しぶりにのぞいた仕事場の近くのスリフトショップで見つけた
  今までに見たことのない、小ぶりのメイソンジャー。
  飲み物用です。
  形がかわいくて小さいというのもあり、しかも半額だったので
  つい4つ買いました。
  写真を写すのに、ジャーに書かれている文字を読んだら
  Shrine Association とあります。
  NAJAなんて書いてあるし、サウスダコタのラピッド・シティの
  地名入りなので、何かネイティヴアメリカンに関係した
  団体なのかなと思ってちょこっと調べてみたら・・・。

  Shrine Association とはかのフリーメイソンの主催する団体でした。 
  えっそれならもしかして、何度もアカデミー賞やグラミー賞の
  受賞会場に使われた、LAのシュラインオーディトリアムも?
  と調べてみたらやはりそうでした。
  
  なるほど、フリーメイソン、からメイソンジャーとなるわけですか・・・。
  ちなみに私もジャムを作って保存するのにたくさん
  持っているMason Jar は1858年にジョン・メイソンと言う人が  
  作ったものらしいです。
  彼とフリーメイソンが関係あるのかどうか、そこまでは
  わかりません。
  
  フラッグスタッフの町の東側にあるモーテル< Travelodge >には
  Mason Jar という名前のバーがあります。
  このジャーでお酒を出すからこの名がついたのだと
  ここに引っ越して間がない頃、わざわざ中に入って
  ウェイトレスにきいた時の答えです。

  買ったジャーは買ったスリフトショップにまた寄付しに
  持って行きましょう。
  何だか、ちょっとね・・・。
  
  

2010年8月18日水曜日

日曜日のレースでもらったもの

これがこの日のレースのTシャツです。
レジストレーションをすませて参加費を払ったら、このTシャツをくれたので
すぐに着て、これを着てこの日は走りました。
それとこのゴム製のブレスレットは最初にナイキが作った
黄色い<LIVESTRONG>からの流れで、同じ種類のもの。
がんになったロードレーサーのランス・アームストロングから来ています。



<CLIMB TO CONQUER CANCER>のイベントとして
この町でもアメリカがん協会が、女性に呼びかけてサンフランシスコピークスに
登る日があります。
ここへ引っ越してここのオフィスを数度たずねたことがあるのですが、
何か対応があまり感じ良くなくて、
しかも自分がスポンサーを探して、寄付を募るというシステムも
私には出来そうもなくて、参加したことはありません。
それに何百人もの人と一緒に歩くというのも私には向きません。
それよりは少しでもホピの人たちのために何か出来たらと
私はこちらのレースに参加したのです。
現に私の大好きなアーティストでもあり、友だちでもあるマーカスの奥さん
RUTHも脳腫瘍と闘っています。
私はこの日、何よりも彼女のために走ったのです。
それにCLIMB THE MESAというのもホピらしくて気に入りました。
だって確かにセカンドメサを上りましたからね。



メサを上って舗装はされているけど上りの道路を走り、そしてああ、ここに
出て来るんだと思ったら、タイミングよくジェラルドの家から
奥さんのイヴェットが出て来て、大きな声で名前を呼んだら、
私に気がついて、ジェラルドのスタジオの窓から私の名前を
呼んでくれました。



レースの始まりはホピ語でお祈りのようなものをささげていたのか、
私には何を言ってるのかわからなかったけれど、
みんな頭を下げて聞いていました。
ゴール地点にはテントを張ってドラムと歌を歌ってくれる人たちもいて、
それもホピらしくて心地のいいものでした。
ボランティアがいっぱい出て、小さな、手作りのレース。
これが1番です。
そしてそれはホピのレースに限ります・・・。

2010年8月17日火曜日

ハキマーダイヤモンド

ダイヤモンドでもないのに、ダイヤモンドの名がついた水晶。
それが<ハキマーダイヤモンド>。
ニューヨーク州ハキマーでとれる水晶です。
何よりもその透明度が他のクオーツとの差を生み出しています。
とにかく透き通っていて、ハキマーの中でもその透明度と大きさ
によって、値段も違って来ます。
上の写真ではよくわかりませんが、ブレスレットとネックレスの
透明な石がハキマーです。
一緒に使う石のパワーをもアップさせると言われているので
私は前に作ったブラックトルマリンとカイヤナイトの2つの
ネックレスをこわして、ハキマーを使って作り替えました。
単なる暗示にかかっているだけなのかわかりませんが、
身につけていると、何か気分がいいです。
一粒一粒を見ているだけでも飽きないハキマーダイヤモンド。
氷砂糖みたいです。
私はダイヤモンドに興味はないのですが、カナダの原住民の
住む土地から出る<イクマ>というダイヤモンドだけは
きれいだなと思っています。
そうじゃなきゃ、このハキマーで十分。

それにしても<水晶>への興味と思いは尽きることがありません。
小学校5年生の時から<岩石>が大好きで、岩石集めを
始めた私は、この歳になっても<石>から逃れられない
ようです・・・。
<意志>は強いけれど<意思>は弱い私ですが、
<石>も<ROCK>も好き。
もちろんRolling Stonesもね。

2010年8月16日月曜日

イムジン河、悲しくてやりきれない

            イムジン河 水清く
            とうとうと流る
            水鳥 自由に むらがり飛び交うよ
           
            言わずと知れたフォークル<イムジン河>。
            
            イムジン河 空遠く
            虹よかかっておくれ                        
            河よ思いを 伝えておくれ
            ふるさとを いつまでも忘れはしない
            イムジン河 水清く とうとうと流る

           私は井筒和幸監督が特に好きではないけれど、
           映画<パッチギ>はいつ見ても、つい涙が出てしまう。
           あの時代に自分も体験した、様々なことと重なって見てしまう。
           
           差別、葛藤、闘い、新しい命の誕生、それを塩谷舜の歌う
           このイムジン河でつなぐラストシーンは
           感動的でした。

           <イムジン河>のテープを逆に回して出来た
           と言われる<悲しくてやりきれない>も      
           好きな歌です。
           
           胸にしみる 空のかがやき
           今日も遠く眺め 涙を流す

           つらい時、悲しい時にこの歌を聴くと、
           そして歌うと、涙を流しながらもなぜか心が落ち着いて、
           力がわいて来る感じがしました。
           それがこの時代の歌の特徴だったのかも知れません。

           <イムジン河>や<悲しくてやりきれない>が
           作られた時代に、挫折や失恋を体験できた世代で良かった。
           とつくづく思います。
                       

2010年8月15日日曜日

セカンドメサにコリアンの団体が

朝6時半にホピカルチャーセンターに着いて、レジスターも終えて
そこで入ったお手洗いに、コリアンの女性のグループが。
みんな歯を磨いています。
ここのホテルに泊まったの?ときいたらNOという答え。
ロサンジェルスから来ている教会関係の人たちでした。
セカンドメサのションゴパヴィヴィレッジのベースボールフィールドは次にある
<ルイス・テワニマレース>のスターティングポイント。
そこで昨日、ソフトボールの試合があったようです。
コリアンのクリスチャンは(布教に)こんなところまで、来るんだ・・・。

関係はないのですが彼らが乗って来ていたヴァンに横断幕が。
Shu(o)ngopavi のスペルがSoongopavi になっていたのが、
何かコリアンらしいと言うか、ユーモラスでした。
ハングルではsoonは<スン>の音を表わすのによく使われるスペルだからです。

Climb the Mesa to Conqer Cnacer

直前に聞いたホピのレースの情報。
ガン予防のキャンペーンのレース。
とは言ってもこれは時間を競うのではなく、とにかくセカンドメサ
の裏側の、メサを含めた6マイル(ほぼ10k)のコースを
子供も大人も、あるいは家族で参加出来るイヴェント。
走っても歩いても、自分のペースで完走します。
今年は先週のOraibi 8kのレースも参加出来ず、
2つのレースをmissしてしまったので、これだけは走らないとと
目覚まし時計を3時15分にセットして、
家を4時5分に出発しました。
夜明け前でけこう飛ばしたので1時間半でホピカルチャー
センターに到着。
ここからシャトルバスでスタート地点まで運んでくれます。
上の写真は私にレースのパンフレットなどの情報を
メールで送ってくれたドロレス(向かって右)です。

ここがスタート地点。
この景色を見たいがためにホピを走ると言っても
過言じゃない・・・。私にとっては。

1マイルを過ぎてからのこの上り坂。
これがしばらく続きました。
私もみんなに遅れまいと、とにかく歩幅は小さくても
走り続けることに専念しました。



今日はほぼ1マイルごとにウォーターステーションがあり、
そこではボランティアたちが、みんな<アスクアレ(女性言葉でありがとう)>
<クォコイ(これは男性言葉)>と声をかけてくれます。
ある男性は(ホピじゃない私を見て)
「ホピのために走ってくれてありがとう」と・・・。
ホピのレースを走って何よりも気持ちがいいのはこの
<ありがとう>なのです。



私は1時間17分で完走。
最初にドロレスに写真を撮っていいかたずねたら、今回は
レースの写真を撮る人がいないので、写していいよ、ということで
許可を得て、レースの途中も少し写真を撮りました。
こちらは彼女にメールで送ります。



私はちょっと休んで、知り合いのホピの女性たちとしゃべったり
写真を写したりして、帰路につきました。
もっとゆっくりしていたかったけれど・・・。
何せまた2時間近くかけてフラッグスタッフまで戻らないといけないので。
帰りの車の中で半ばつりかけた右足。
でも何とか大事に至らず帰り着きました。

いつも感じますが、ホピに行くと別世界な感じがします・・・。


                   

2010年8月13日金曜日

アーティスト、マーカス、縁ってあるのかな

ランチに入ろうとタイムカードを押したとたん、
私に電話だと。
かけて来たのはマーカスでした。
月曜日に奥さんのRuthをフェニックスの病院へ連れて行って
その帰りにフリーウェイで車がオーバーヒートして動かなくなり、
牽引をしてもらってフラッグスタッフまで来て、
フラッグスタッフでここの病院にRuthを連れて来たということでした。
彼女は脳にガンが出来ていて、フェニックスのインディアンホスピタルと
フラッグスタッフメディカルセンターの両方で
診てもらっています。
ささっとランチを食べて、病院へ。
何とか見つけて車を停めたら、マーカスが病棟の建物の入り口に出て
私の名前を呼んでくれて助かりました。
Ruthは頭をきれいに剃って、やせ細っていました。
体はチューブだらけで、食べ物もチューブから注入するだけ。
いつもの調子でしっかりとはしゃべってはいたけれど、
私には彼女の状態の良し悪しは全くわかりません。
マーカスの息子さんとRuthの姪っ子が一緒で、
彼らをヴィレッジまで連れて帰ってくれる人を探して
あちこちに電話をしているのだと。
誰か(ホピの)お客さんが来たら、きいてみるからと
病院を去りました。
マーカスの1番下の息子だというニールはお父さんに似て
ほわっとしたやさしい男の子です。
写真に写っているようなガウンを私も着て、
病室に入りました。
ホピの村に初めて行った時だったか、
これも初めて立ち寄ったセカンドメサのジュエリーショップ
(そこがトリニのお店だったのですが)で
買った2つの指輪のうちの1つが
マーカスの作った<コーンボーイ>カチーナのものでした。
つけているとたくさん、いいわねというコメントをもらい、
私もその時点ではカチーナのこともあまり知らないまま
これを作ったアーティストを探そうと決めていました。
奥さんがガンになって、彼はジュエリーを作るのを辞めている、
という話を何人かのホピの人に聞いて、がっかりしていたところ
彼のお母さんを知り、そしてマーカスにたどり着いたのでした。
何と言うか<熊吾郎>みたいな人ですが(ごめん、マーカス)
子煩悩でとても心のやさしい人。
彼といるとこちらまで自然に笑顔がこぼれてしまう
そんな人です。
彼のジュエリーは毎日必ずどこかにつけています。
スネイクダンス、参加するの?ときいたら
僕はヘビが怖いから・・・とにこにこ笑っていたマーカス。
私にお金がいっぱいあったら、シルバーをいっぱい買って
彼にジュエリーを作ってもらって、売ってあげたいです。      

2010年8月12日木曜日

この広い野原いっぱい

「このひろ~い世界中の何もかも、
ひとつ残らずあなたにあげる。
だから私に、手紙を書いて」
 この詞の<手紙>はもちろんEメールではなく
手書きの手紙です。
☆  
かつて小、中、高校生用の雑誌(だけではなかったですが)
には最後の方に、文通相手募集のコーナーがありました。
私は引っ越してしまった友だちや、何かのイベントで知り合った
人と手紙のやりとりはけっこう頻繁にしていました。
手紙を書くのが好きでした。
学生時代には恥も忘れて、ラブレターみたいなものを書いたことも・・・。
返事が来ないとわかりつつ、この歌の歌詞
「・・・だから私に、手紙を書いて」という部分に 
とても共感していたのです。
<野原>も(少)なくなり、野原いっぱい咲く花を見れるチャンスも
少なくなった日本では、そんな風景をイメージすることさえも
むずかしくなっているのでしょうか。
昔の歌には風、星、月、花、と言った自然を表現する言葉が
たくさん登場していたように思います。
「見上げてごらん、夜の星を」
「夜空の星に、願いをこめて」
「風にふるえる、緑の草原」
などなど・・・。
いつの間にか自然から遠ざかってしまった私たち。
それこそが文明化だと勘違いしてしまった人間。
でも相変わらず月は満ち欠け、太陽はその輝きを、
雨は湿気をもたらしてくれています。
時に猛威をふるっても。
地球は我々人類のための保育器ではないのですから。    

今日の日はさようなら

「いつまでもたえることなく友だちでいよう」
と森山良子の<今日の日はさようなら>は始まります。
ずいぶん前のテレビドラマ<漂流教室>の中で
歌われたのていたのがとても印象的でした。
今の時代、いつまでも友だちでいることはなかなか大変です。
と言うか友だちを作るのもむずかしい時勢です。
そんな時代にこういう詞はなかなか書けません。
「信じあう喜びを大切にしよう」
信頼という絆、信じあう安堵感、
それって何と心強く、心が平安になるものでしょう。
人が信じあえない時代、それはきっと人が隔絶されているから。
この歌詞はおそらく<ロマン>から始まっているんだと
私は思います。
<ロマン>は不経済だし、時にダサいし、ビンボー。
人の心からロマンが消えて、そして歌の歌詞も
変わってしまったのではないかと。
<青年は荒野をめざす>時代ははるか遠くになってしまったのです。
    

2010年8月11日水曜日

後ろめたさって・・・「超バカの壁」より

「超バカの壁」と言う本を読みました。
「バカの壁」は読んではいません。
貸してくれた本の中にたまたま入っていたのです。
その中に<後ろめたい>という感覚について
書いてあるところがありました。
<後ろめたいという感覚はキリスト教的世界では
あまり聞かないようです>
キリスト教の中には原罪という概念はあるでしょうが、
それは後ろめたさとはまた違います。
と養老さんは書いています。
今までロサンジェルス、そして今のフラッグスタッフと
外国人たちと一緒に働いて来ましたが、
ここを読んでいてまさに思い当たったのです。
さぼろうが、同僚にいじめに近いようなことをしようが 
彼らは自分に都合のいい言い訳はするけれど、あ、
ちょっと悪いことをしたな、
というような感情は全く見受けられません。
あっけらかんとして、自分が他人を傷つけたなんて
これっぽっちも想像もしない。
<後ろめたい>
英語のguiltyとはちょっと違う。
語源はやはり<後ろ>に関係するみたいです。
いつも前を向き、後ろは振り向かない、すなわち
<反省>ということをしない、ということと結びつくのではないか。
今まで私が一緒に働いた、ヴェトナム人、タイ人、
アメリカ人、ナヴァホのco-workerからは少なくとも
<反省>とか、何かに、誰かに<後ろめたい>などという
気持ちは一切感じなかった。
毎日のように子供虐待のニュースを見てしまうと、
今や日本人も<後ろめたい>などという感情が薄らいで来ている
のかも知れない、と思ってしまう今日この頃です。
          

2010年8月8日日曜日

Cathedral Rock にのぼる、セドナの湧き水

セドナのボルテックスポイントの1つ、カセドラルロックに
登りました。

ふもとに出来た水溜りに何百といたおたまじゃくし。
でも蛙はどこにもいない。


この赤い岩と青い空のコントラストはいつ見てもすばらしいです。
ちょっと急なところもありましたが、無心になって
ひたすらよじ登る。
登り切った(もちろんこのてっぺんまでではありません)
岩の上で一休み。
風の心地よさ。
景色もすばらしいと言いたいところですが、
緑の中に家の数が目立ちます。
どうしてこんなところに家を建てたがるんだろう・・・。
一緒に行った友人は気持ちはわかると言っていたけれど、
私には理解出来ない。
セドナに住みたいという欲が、自分の足場となるセドナの
美しい景観と環境を壊すということに行き着かないのか。
そうならないからこんなことをするのでしょう。

帰りに寄ったいつもの湧き水はいつになく水量が低かった。
こんなに雨が降っているにもかかわらず。



仕事場の冷蔵庫に入れていた透明のボトルに入った
セドナのお水が温度が低すぎたのか、中で凍っていました。
その氷がとても透き通っていたのにちょっと驚きました。
お水というのは確か凍らせた時のクリアさで、
クラスターの細かさがわかると聞いたことがあります。
ロサンジェルスに行った時、ためしに買って来た、
フィジーウォーター。
ロスにいた時はこのお水しか買わなかった私。
高かったけど、一番やわらかく、ふわっとして美味しいと思っていました。
今回、帰って来て飲んでみて、前ほど際立って美味しいと
感じなかった。
きっとセドナのお水を飲んでいるからだと思います。
いずれにしろ、遠くフィジーから手間と石油と時間をかけて
運んだ、アンチエコの水です。
そんなことを以前テレビドラマ<コールセンターの恋人>で
ボトルのお水しか飲まない若手社員の小泉孝太郎に
シナリオの中薗ミホが、水道の水をごくごく飲む、クレイマー担当の
ミムラに言わせているのを見て、さすが中薗ミホ、と
感心したことがあります。
  
たまたま凍ってしまったセドナの湧き水を見て、あのまろやかさが
きっとこれなんだとわかったしだいです。





エルクよ、エルク

グランドキャニオンにて。

朝日を見た後、車で移動していたら、またまたエルクを発見。
角があったので2頭とも雄だったのでしょう。
すぐそばまで近づいて、写真を撮っていても
草やきのこを食べ続けています。
そっと手を伸ばせばなでることも出来そうです。

エルクの皮は鹿皮よりも厚く、伸びないので、
バッグを作るにはエルクの皮の方がいいらしい。
普通このあたりのお店で売られている、小さなメディスンパウチなどは
鹿の皮で作ってあります。

この日、この後に行ったセドナで、白い色だけど石ではなさそうな
アローヘッド(矢じり)のペンダントをつけた男性に
話しかけてきいたら、それはコロラドで自分で撃ったエルクの骨。
指環にはエルクの奥歯。
そばにいた奥さんはエルクの皮に絵を描いて売っているのだとか。
お肉は?
もちろん食べるわよ、と奥さん。
そのカップルはイーストコースト在住。
狩りをしにコロラドやアリゾナに来ると言っていました。
純粋に楽しみだけのために飛行機に乗って動物をし止めに来る。
趣味とは言え、何かしっくり来ないものを感じた私です・・・。


グランドキャニオンのエルクは人なれしているとは言え、
エルク自体がすばしこくない鹿らしいので、
そんなのを撃つのも何かちょっとかわいそうなかあ、なんて
思ってしまう。
じゃあすばしこい動物なら撃ってもいいのか、と言うのとは
また違うのですが。


話は飛びますが、私が働くインディアンジュエリーサプライの
お店ではなくてはならない鹿皮。
パウチ作り、ドリームキャッチャー用、などなどに
お客さんは鹿皮を買って行きます。
先日も普段はめったに入荷しない白い色が大量入荷。
ホピの人たちがある時期、セレモニー用に白い鹿皮を求めて
やって来ます。
そういう時は在庫がなく、何にもない時に大量に入荷。
まあストックしておけばいいのですが。
お客さんがいない時、お店で売っている鹿皮を1枚はずして
腰に巻いてみると、ふっと太古の人類に戻ったような・・・。
あ、話が飛び過ぎちゃいました。





2010年8月6日金曜日

再び挑戦、グラキャン日の出ツアー

LAから友人が来て、グランドキャニオン、
Yavapai Point にて見る日の出に再挑戦。
今回は迷うことなくポイントへ。
そこにはもうけっこうな数の人が。
少し雲がかかっていて、太陽が顔を出すまでに
少し時間がかかりましたが、それはもう神々しいまでの
姿で現われました。
ドイツ語、フランス語、中国語、日本語の飛び交う中、
カメラを手にみんな辛抱強く、待った甲斐がありました。
これを見るためにまたまた午前3時起き、3時半出発でしたが、
今回は早朝でも前ほど寒くもなく、
快適なグラキャン日の出鑑賞ツアーでした。
ブライトエンジェルロッジのレストランで朝食を取りましたが
そこで働いていたのは、以前アラスカでも出会った、
サマープログラムで、夏休みの間だけビザを取って
世界中から働きに来ている学生でした。
私たちのテーブルをサーブしてくれたのはタイと
セネガルから来ている学生さんでした。
少し話しましたが、
二人とも英語が上手で、希望にあふれているように見えました。
ここのところずっと朝は曇って雨がしとしと。
青空もあまり見ていなかったのに、友人たちが来る前の日から
晴れました。
偶然とは言え、頭が下がるくらい日々を真摯に生きる
友人と80歳の彼のお母さんにあらためて我がフリを
見直させられた私でした。

2010年8月3日火曜日

焼きなす!!

ロサンジェルスの日系マーケット<ニジヤ>が
オーガニックを掲げて、ニジヤファームを作ったのはもう
何年前でしょうか。
このナスはそのニジヤファームのオーガニックのもの。
小ぶりだけどころんとして、中身もしっかり詰まっています。
そのナスでもうめちゃくちゃ久しぶりに<焼きなす>を。
冷やしておいたのを、生姜のすりおろしとお醤油で。
このシンプルさ。でもナスの風味もちゃんと残っています。
誰かさんにはこれも「国家主義」と言われるかも知れませんが、
日本人は野菜を、生で、蒸す、煮る、焼く、(そして炒める)と
様々な料理法で食べて来ました。
出来るだけ素材をいかしてシンプルに。
これは和食の基本でもあります。
こんなシンプルなお料理が何と美味しかったことでしょう!!
自分の料理写真は極力載せないようにしていますが
これは料理とも言えないシンプルなもの。
ただあまりの美味しさを伝えたかったので・・・。
        

2010年8月1日日曜日

カフェアロマ

今回泊めてもらった友人のアパートの近くにあるカフェ。
イタリアンっぽい雰囲気のカフェでした。

友人のアパートへ泊めてもらっても今までその近辺を
全く知らなかったので、このカフェのあるあたりの古い町並みが
かえって新鮮に写りました。
でもスタジオシティですから、当然、ちょっとおしゃれなわけです。



彼のアパートのすぐ近くにあったピッツァ屋さんでピッツァをオーダー
したのですが、そこのフロントで働いていた女のコが
とてもかわいくてチャーミング。
フィリピナでした。
私たちが日本人だと言うと、自分のフィアンセは
日本人とアイリッシュのハーフで、日本が大好き。
リトル東京で和太鼓を教えていると言っていました。
そう言えばこの日、マリーナデルレイのコスコで買い物した時、
レジの順番でちょっとだけ言い合いになったオバサン。
結局カルシウムを2つだけカートに入れていた彼女に、
先を譲ったのですが、
そのカルシウム、いいの?と話しかけた私に
自分は骨粗しょう症だからこれを試してみるのだという答え。
彼女がフィリピナとわかり、私が
自分は日本人だと言ったとたん、仲直り。
レジを終えた彼女は、最後に
Now we're friend.
サンキューと言って去って行きました。
この気さくさはフィリピナらしいです。
フィリピナとはロスでもアラスカでも一緒に働いたことが
ありますが、みんな明るくて気さくで、でもやはりと言うか、
アジア人的メンタリティには日本人とも共通する部分もあり、
私は嫌いではありませんでした。
ピッツァ屋さんの彼女にアドボ(フィリピンの豚肉料理)
美味しいよね、という話をしたら、喜んでくれました。



LAの人種の雑多さ。
外国人であり、異邦人である自分にはやはり居心地のいいもので、
それはもしかしたら、日常生活を送る上で、
日本食以上に私がこの町でmissしたものかも知れません。









Short trip to LA ☆久しぶりのタイレストラン

昔、昔(笑)スマスマの料理対決で
香取くんか、キムタクが作っていたガイヤーン。
タイチキン。
1度だけ挑戦したことがありますが、けっこうタイっぽいお味に
出来上がった記憶があります。
今回、マリーナデルレイからの帰り、もうランチの時間も過ぎていて
さてでもお腹も空いたし、どこに行こうかと思案していたら
以前住んでいたアパートの目と鼻の先にあったタイレストラン、
<ナタリー>を思い出しました。
(上の写真は何がなくても!この<タイバーベキューチキン>)
家から近いこともあり、たまに来ていた<ナタリー>は
ランチのクローズがなしで、中途半端な時間でも開いていました。
いつも決まってオーダーしていたトムヤンクン、
タイフライドライス、タイチキン。
一品ずつを二人でシェアしましたが、それでお腹満腹です。
このトムヤンクンの酸っぱさ。
エビも食べきれないくらい入っていました。
この町で1度入ったタイレストランはオーダーしたどれも
味付けが甘くて、私たちは好きではありませんでした。
アメリカ人向きに甘くしていたのかも知れません。
LAにはタイレストランもそれこそ山ほどあるのでしょうが、
私たちは食べなれた<ナタリー>で今回は満足でした。
このナタリーの味を出してくれるタイレストランが今いる
この町にあったら・・・。
何てことは言っちゃいけません。