2014年のリトルリーグ・ワールドシリーズで、完封勝利を納めた黒人少女がいた。米週刊誌「スポーツ・イラストレイテッド」の表紙を飾り、一大旋風を巻き起こした13歳だ。
 モネ・デービス。この大会に出場した米チーム初の黒人少女と言われている。
 そのモネはこの夏の14歳の誕生日に、アラバマ州バーミンガムの「16番通りバプテスト教会」を訪れる。1963年に爆破事件があり、4人の黒人少女が亡くなった。そのうちの3人は、14歳だった。
 ペンシルベニア州フィラデルフィアの貧しい地域で生まれ育ったモネは、昨年のあの活躍で身辺が急にあわただしくなった。ホワイトハウスで大統領夫妻と会い、急ごしらえの自伝まで書かされた。米国車のコマーシャルに担ぎ出され、自分の名前がついたスニーカーのシリーズも発売された。
 今年は6月から7月にかけて、3週間にわたって遠征し、米国各地を転戦する。チームメート13人は、すべて男の子。ほぼ同じ年齢で、ほとんどが黒人だ。
 試合をするだけではない。南部で黒人差別との闘いの史跡をたどり、歴史を学ぶ。先の教会の他にも、同じアラバマ州のセルマでは流血のデモの舞台となった橋を、アーカンソー州リトルロックでは人種共学の苦難の歩みが始まった高校を、ミシシッピ州ジャクソンでは凶弾に倒れた黒人運動家の家を訪ねる。
 人種が融和する社会を目指すこの国の歩みは、いまだによろめくようにしか進まない。そんな中で、恵まれない子供たちに、しっかりとした基礎知識と強い心と希望を与えようというこの旅程には、ずっしりとした重みがある。サッカーやアメリカンフットボールなどの競技を、腐敗や犯罪の暗い影が覆っているときだけに、救われる思いがするといってもよい。スポーツが若者によい影響を与え、社会のかけ橋にもなることを思い起こしてくれるからだ。
 この遠征についてモネは、自分たちの先駆者に敬意を払うことができるのを楽しみにしている、と語ってくれた。「命を投げ出し、打ちのめされもした人々のおかげで、私たちには今の自由があるの」
 一方で、悲しい思いをするに違いないという覚悟もあった。とくに、あの少女たちの霊が宿る教会ではそうなるだろう。
「彼女たちは、世界を変えることができたかもしれない。それなのに、あの若さでその可能性を奪われるなんて」
人間の持つ可能性と、これを開花させることの大切さ。しかし、それは数え切れないほど多くの子供たちに、今も閉ざされている。ほとんどは黒人ら人種・民族の少数派で、指導者がいないときもあれば、才能に気づいてもらう機会にすら恵まれないこともある。
 モネの場合は、こうだった。
 今のチームのコーチ、スティーブ・バンデューラ(54)が、モネをたまたま見かけたのは7歳のとき。アメリカンフットボールのスローイングが素晴らしかった。娘にスポーツの才能があるなんて思ってもいなかった母親を説得し、モネの指導を始めた。教育環境のよい私立学校に転校するための奨学金を確保する手助けもした。
 成績はよく、目指すゴールが見えるようになった。コネティカット大学に入り、卒業して全米女子バスケットボール協会のプロチームに入ることだ。野球のマウンドと同様に、バスケットボールのコートの上でも、常に闘志満々のプレーを繰り広げている。
 バンデューラは、20年前に自分たちのチーム「アンダーソン・モナークス」のコーチになった。以来、モネと同じように何百人もの子供たちの面倒を見てきた。フィラデルフィア市の公園・レクリエーション関連部門に雇われ、チームを運営している。
 その前は、もっと手取りのよいセールス・マーケティングの仕事をしていた。しかし、これを投げ捨て、恵まれない子供たちに誇りと目標と規律を教え込むスポーツ活動に専念するようになった。
 チームは野球だけではなく、シーズンによってサッカーやバスケットの試合にも参加し、子供たちは年間を通して一緒にプレーしている。
チーム名は、「マリアン・アンダーソン」と「カンザスシティー・モナークス」を合体させたものだ。前者は、フィラデルフィア出身で、1955年に黒人として初めてニューヨークのメトロポリタン・オペラに立った女性歌手。後者は、プロ野球がまだ人種によって分けられていたときに黒人のニグロリーグに所属していたチームで、大リーグ初の黒人選手になったジャッキー・ロビンソンを出している。
 チームが遠征で移動に使うバスにも、意味が込められている。1947年製――ロビンソンが大リーグの人種の壁を崩した年だ。
 バンデューラの活動は、子供との「交換取引」が特徴だ。子供には、試合の楽しさとチームメートとの濃密な友人関係を与える。逆に、子供たちは、学校で野球以外の授業にも集中し、懸命に学ぶ。多くが、トップクラスの成績をあげている。その延長線上に、楽しい旅行と教育とが一つになった今回の遠征がある。
 先日の日曜日に、チームを訪ねた。
 試合で集まるのは午後3時からだったが、みんな正午に市南部のレクリエーションセンターに集合した。バンデューラが用意したのは、バーミンガムの教会爆破事件についてのドキュメンタリー映画「4人の少女たち(原題:4 Little Girls)」だった。
 この1年、チームは毎週のように集まり、黒人が体験してきたことについての映画を見たり、文献を読んだりして議論を重ねてきた。
 2012年夏の遠征では、参加者には別の宿題がバンデューラから出た。ニグロリーグの歴史に重要な都市や球場について事前に勉強し、この国の球史とともに、野球の世界で人種の壁がとり払われた過程について学ぶように求められた。
いかに自分の先駆者が道を切り開いたかを理解できるようになれば、これを生かすようにもなれる、とバンデューラは狙いを説明する。もし、黒人が何を耐え抜き、何を成し遂げてきたかを知れば、自分たちの強さと能力を理解できるようにもなる。それだけではない。先人たちのおかげで得たものに甘んじずに、今度は次の世代のために自分たちが新たな責務を負わねばならないことを理解するだろう、と言うのだ。
 だから、バンデューラは、10代の若者や学生が、米国の公民権運動にとっていかに重要な存在であるかを、子供たちに常に説いてきた。「若い人たちは、変化をもたらすことができるし、もたらさねばならない、ということを分かってもらいたいんだ。とくに、最近の人種差別をめぐる事件を考えると、その思いがいっそう強まる」
 子供たちに、遠征のことを尋ねてみた。何人かは最近の事件に触れ、この半世紀の間に大きな進歩はあったが、差別撤廃のゴールにたどり着いたわけではないと語った。
 「奴隷時代に使われていた名前で黒人が呼ばれることがまだある」とナシル・ジャクソン(13)は悔しそうだった。
 ――で、それについてどう思うの、と聞き返してみた。
 「頭にくるよ」
 ――じゃあ、その怒りをどうするの。
 「まず、座って、怒りが消えるのを待つんだ」
 小さな妖精のような男の子だったので、将来の夢はアメリカンフットボールの選手になることだと聞いたときは、さすがに驚いた。
――でも、体格がどうなのかなあ、と優しく聞いてみた。
 「まだ、体はね。でも、心の準備はできてるよ」
 バンデューラは白人だ。フィラデルフィア市内で育ち、人種差別の現場をよく目の当たりにし、たじろぐことも多かった。妻のロビンは黒人の理学療法士で、2人の子供の1人スコット(13)はチームの一員だ。だから、夫妻にとって、チームは家族のような存在でもある。
 夫妻は、住まいのある市南部と私立学校スプリングサイド・チェストナット・ヒル・アカデミーとの間を結ぶ送迎サービスのようなことまでしている。車で片道25分ほど。モネだけでなく、バンデューラの息子とナシルらチームの6人が通っているからだ。
 バンデューラをよく知るこの学校の学長プリンシラ・サンズは、長いつき合いでできた信頼関係をこう語る。
「彼はここで学ぶことがいかに大変か、よく知っている。その彼が『大丈夫』と言うのなら、受け入れてみるだけの価値があるわ」
 チームの子供たちの家庭は、ほとんどが貧しい。親を助けるために、夫妻はよく子供たちを自宅で預かり、宿題をさせたり、泊めたりもする。遠征費用にしても、スポンサーをかき集めて捻出している。
 チームのことを子供と親は「命綱」のように例える。
モネと同じ学校に通うザイオン・スピアマン(14)は「いつも何かをしているので、街をぶらついてトラブルに巻き込まれるようなヒマもないよ」とおどけてみせた。
 「それ以上の影響を間違いなく受けているわ」と母トラザンナは笑う。「ザイオンは恥ずかしがり屋で、話すのが苦手だったけれど、すごく変わった。よくしゃべり、自分の意見をしっかり言うようになったの」
 ある晩、息子と交わした長い会話のことを母は振り返った。息子はその日、バンデューラがチームのみんなに見せた映画「グローリー/明日への行進(原題:Selma)」(訳注)について語り、涙がとめどなく流れたことを打ち明けてくれた。
 今では、「これまでとは違う次元の自信が自分にあるみたい」と母は言った。
 子供たちは、大学を目指すようことさら言われているわけではない。でも、それが自然とそうなるのは、チームのホームグラウンド「サウス・フィリー」球場のフェンスを見れば分かる。OBたちの大学の母校名が、数多く並んでいるからだ。
 子供たちは、自分たちが住む地域の代表者であることを教え込まれる。そのためには、野球でも、普段の暮らしでも、守らねばならないことがある。バンデューラがこだわるのは、シャツのすそをズボンにきちんとしまうこと。相手にヤジをとばしたり、集中すべきときに悪ふざけをしたりすることも禁じている。
 親の1人、カールトン・ジョンソンは、5年前に初めてバンデューラと会ったときのことをこう語る。
 ――息子のアレックスを連れて、どんなチームか見にいった。一目で、彼が子供たちから最高のものを引き出していることが分かった。練習が終わってすぐに、息子をお願いしたいと頼んだ。「野球を教えてもらいたいからではない。人生について教えてやってほしい」とね。今でも、最良の判断をしたと我ながら思うよ。
「4人の少女たち」の上映に戻ろう。会場には空調がなく、たちまちサウナのようになった。それでも、不平や私語はなく、つらいシーンを耐え忍ぶ息がもれてくるぐらいだった。
 この年ごろなら、携帯をチラッと見ることがあってもよさそうだが、それもなかった。練習や試合のときに使ってはいけないという決まりを守っているからだった。遠征中もそうで、家に連絡をとりたければ、バンデューラの携帯を借りることになっている。
 「この世界をよく見ないといけないのに、下を向いて携帯を見ていたらできなくなってしまうから」とモネは言って、こう続けた。「自分の目で見なければ、意味がないでしょ」
 自らの可能性を探ること。モネには、すでにその用意ができているようだ。
 しかも、このチームの子供たちには、バットやスパイクが与えられているだけではない。楽しい遠征すら超えるものが与えられているようだ。
 しっかりとした使命感。そして、それを果たすための二つの翼が、みんなにはある。(抄訳)
(Frank Bruni)
(C)2015 New York Times News Service
※訳注=2014年の米映画。1965年、白人と同様に投票権を使えるよう求めるキング牧師らのデモがアラバマ州セルマを出発したが、市内の橋で待ち構えていた警官隊に打ちのめされた。この「血の日曜日事件」を題材にしている(ニューヨーク・タイムズ・ニュースサービス)

チームのコーチのパンデューラさんは白人、奥さんが黒人
で、子供たちはミックスですが、それだけが彼をここまで
心を傾けて黒人の子供達を指導する理由ではもちろんない
でしょう。「人生を教えてやってほしい」と自分の子供を
預けた父親。親をしてそう言わしめる、パンデューラさん
の人柄と情熱。こんな人がいることに驚き、感動し、こう
いう事柄を取り上げた、ニューヨークタイムズと、それを
掲載してくれた朝日新聞に感謝です。