これは村上春樹訳の
The Catcher in the Rye
実はかつてオリジナルの野崎訳の
「ライ麦畑でつかまえて」
を途中で挫折した経験のある私としては、
村上春樹の翻訳ならこれは是非とも
読んでみなくては
と買っていたのでした。
⭐️ ⭐️ ⭐️
文藝春秋社から出ている
村上春樹と柴田元幸さんの
翻訳夜話2
「サリンジャー戦記」は
中身が濃くて、
読み終えるのに時間がかかりましたが、
(他には読んでいないにもかかわらず)
こんな興味深いサリンジャー論はないのでは
ないかと思うくらい、
面白い内容でした。
凡人の私から見ると、
世界の名だたる作家と日本の著名な翻訳家
が、これほど深く掘り下げた
作家と作品論を交わすなんて、
サリンジャーも作家冥利につきるのでは
ないかしらと。
村上春樹訳はこれから読むのですが、
私は作品よりも
作家であるサリンジャー自体に
非常に興味を持ちました。
それはとりもなおさず、
村上春樹のこの作品に対する「読み」
の深さと、サリンジャーについての
あらゆる英語の文献も読み
まくったであろう結果としての、
一人の人間としてのサリンジャーの
分析、共感、(ある種の)評価等の
おそらく的確さに
すい寄せられたからだと思います。
「サリンジャー戦記」
を読まずには知り得なかった、
サリンジャーについての数々のエピソード。
彼が第二次世界大戦に参加
しているのに、
戦争のことは一切書いていないこと。
父親がユダヤ人だったこと。
そういう社会的な環境が
彼の人格形成に大きな影響を及ぼして
いたことを知ったこと。
これはサリンジャー解説書としても
非常に面白かったです。
余談ですが、これを読んでなぜ私が
大学の卒論にヘミングウェイを選ぼうとは
思わなかったのか、
理解できたように思います。
この本が出版されたのは2003年で、
村上春樹の分析の鋭さがはっきりと出ている
なあと思った箇所を長いですが
引用します。
✳︎ ✳︎ ✳︎
編集部 ‥‥でもホールデンって、いまどきの「パラサイト」たちとちょっと似ているというか‥‥
村上 そうですね。逆に言えば、『キャッチャー』のそういう社会背景みたいなのが、今の若い人たちにはすらっと理解できるんじゃないかな、という気はするんです。今の日本(この本の出版は2003年です、Maize注)はたまたま不景気だけど、戦後の長い繁栄の中で、社会的資産はもうある程度できているわけですよね。そういうものが一種の都市資産階級を形成している。そんな時代に生まれた子どもたちって、多かれ少なかれホールデン的というか、消費と生産が結びつかないという傾向はありますよね。
柴田 それは一九五〇年代(The Catcher in the Ryeが出版されたのは1951年、Maize注)のアメリカと、二〇〇〇年代の日本が似ているということですか?
村上 似ているところはあると思いますよ。階級的に。
柴田 階級の分離のしかたが似てきたのかなあ。
村上 うん。好むと好まざるとにかかわらず、
日本も階級社会にだんだんなりつつあると思うんです。
バブルを超えて、みんなが中産階級という横並びの時代から、勝ち組、負け組に分かれていくわけですよね。銀行やら会社やらがふるい落とされていくみたいに。それから都市専門職という階層が力を持ち始めます。アーバン・プロフェッショナル。ホールデンの父親みたいな階層です(
村上春樹は日本で1950年代に既にそういう階級の家庭に育っています。2歳年上の中上健次とは家庭環境から何から何まで対照的。Maize
注)。そしてそういう人たちは、子供をだいたいプライベート・スクール(私学)に入れます。家族というものもほとんど解体してしまっている。かつて日本文化を規定していた家族という枠組みが消えつつある。かろうじて実効的に残っている家族関係は、さっき話に出た「パラサイト」くらいになってしまう。(赤字はMaizeによる)
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