【動画】米ワシントン州ハンフォードの「B原子炉」=田井中雅人撮影
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 米国の原爆開発「マンハッタン計画」の関連3施設が先月、国立歴史公園に指定された。この動きに対して、健康被害を受けたと訴える周辺住民らが「核開発の犠牲者の歴史も伝えるべきだ」と主張。原爆が使われた広島・長崎や原発事故があった福島、水爆実験が実施されたマーシャル諸島などとの連帯を視野に入れた「ヒバク博物館」を米国内に造るためのNPOを設立した。
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     計画関連3施設の一つ、米ワシントン州ハンフォード。そこの技術者の娘で、法律家のトリシャ・プリティキンさん(65)らがNPO「コア」(CORE:Consequences of Radiation Exposure=放射線被曝(ひばく)がもたらすもの)を設立した。
     「米国内の既存の核関連博物館は称賛ばかり。核開発の犠牲者の物語を切り捨てている」。プリティキンさんらはこう訴え、日本からの来訪者も多い米西海岸の同州シアトルに新たな博物館を建設するため、寄付や資料の提供をウェブサイトで呼びかけている。
     ハンフォードでは1945年、ニューメキシコ州での世界初の核実験や長崎に投下された原爆「ファットマン」のプルトニウムが生産された。戦後も、旧ソ連との核開発競争の主戦場として長崎原爆約7千発分の兵器用プルトニウムが造られた。
     86年に住民らの情報公開請求で米エネルギー省が公開した1万9千ページに及ぶ機密文書によると、49年12月の「グリーン・ラン実験」では740テラベクレルキセノン133、287テラベクレルのヨウ素131が放出された。冷戦期も様々な放射性物質によって周辺の大気、地下水、土壌、川が汚染された。生産停止後の89年から除染作業を続けているが、地中の177個のタンクに貯蔵する大量の高レベル放射性廃液は処理施設の設計上の問題などで1滴も処理できておらず、老朽化したタンクから地中に漏れ続けている。
     90年代以降、がんや甲状腺障害などの症状を抱える「風下住民(ダウンウィンダーズ)」ら約5千人が事業請負会社を提訴し、プリティキンさんも原告に。だが放射能と被害との因果関係が認められず、多くの人は結審前に亡くなった。両親が甲状腺がんなどで死亡し、自身 ハンフォードでは1945年、ニューメキシコ州での世界初の核実験や長崎に投下された原爆「ファットマン」のプルトニウムが生産された。戦後も、旧ソ連との核開発競争の主戦場として長崎原爆約7千発分の兵器用プルトニウムが造られた。
     86年に住民らの情報公開請求で米エネルギー省が公開した1万9千ページに及ぶ機密文書によると、49年12月の「グリーン・ラン実験」では740テラベクレルキセノン133、287テラベクレルのヨウ素131が放出された。冷戦期も様々な放射性物質によって周辺の大気、地下水、土壌、川が汚染された。生産停止後の89年から除染作業を続けているが、地中の177個のタンクに貯蔵する大量の高レベル放射性廃液は処理施設の設計上の問題などで1滴も処理できておらず、老朽化したタンクから地中に漏れ続けている。
     90年代以降、がんや甲状腺障害などの症状を抱える「風下住民(ダウンウィンダーズ)」ら約5千人が事業請負会社を提訴し、プリティキンさんも原告に。だが放射能と被害との因果関係が認められず、多くの人は結審前に亡くなった。両親が甲状腺がんなどで死亡し、自身も10代後半から頭痛や胃腸障害などの症状に悩まされ、甲状腺の除去手術もしたプリティキンさんは「次は自分が死ぬ番かもしれないと思いながら声を上げ続けている」と言う。
     プリティキンさんと共にNPOを立ち上げた農家のトム・ベイリーさん(68)も子どもの頃から様々な病気を抱え、18歳の時に無精子症だとわかった。家族や親戚もがんで死亡。流産や奇形児、がん、白血病が多発した近所一帯を「死の1マイル」として米国内外メディアを通じて告発した。
     日本映画「ヒバクシャ~世界の終わりに」(03年、鎌仲ひとみ監督)にも出演し、広島・長崎での原水爆禁止世界大会にも参加(01・11年)した。「米国では理解されないが、核兵器であれ原発であれ、人類とは共存できない。これをよく知る日本の皆さんと一緒に博物館をつくりたい」と呼びかける。
    も10代後半から頭痛や胃腸障害などの症状に悩まされ、甲状腺の除去手術もしたプリティキンさんは「次は自分が死ぬ番かもしれないと思いながら声を上げ続けている」と言う。
     プリティキンさんと共にNPOを立ち上げた農家のトム・ベイリーさん(68)も子どもの頃から様々な病気を抱え、18歳の時に無精子症だとわかった。家族や親戚もがんで死亡。流産や奇形児、がん、白血病が多発した近所一帯を「死の1マイル」として米国内外メディアを通じて告発した。
     日本映画「ヒバクシャ~世界の終わりに」(03年、鎌仲ひとみ監督)にも出演し、広島・長崎での原水爆禁止世界大会にも参加(01・11年)した。「米国では理解されないが、核兵器であれ原発であれ、人類とは共存できない。これをよく知る日本の皆さんと一緒に博物館をつくりたい」と呼びかける。


    12月17日の朝日新聞の記事です。

    実はワシントン州にあるこの施設のことを知ったのはわりと最近です。
    長崎に投下された「ファットマン」のプルトニウムが生産された場所だったというのは、この記事で初めて知りました。

    先週の金曜日、ジムでジョウのクラスが終わって、彼にファイナル(期末テスト)の課題だった25ページのリポートのテーマをたずねたら、ワークアウトと人の体に与える影響というので、3ヶ月間、何人かの人にジムでワークアウトしてもらっての結果などをインタビューしたものだったそうで、一番興味深かったのは、減量だとかフィジカルな結果ではなくて、精神的に及ぼした(ポジティヴな)影響だったのだと話してくれました。
    そして、自分の回りでは面白い調査をした人もいてね、とこんな話をしてくれました。
    テーマはサンフランシスコピークス。
    下水処理水で作った人工雪を撒くようになったスキー場、フラッグスタッフのスノーボウルで、植生がどう変化したかを、何人かのホピにインタビューしたリポートだったそうで、誰もが、かつて薬草を採りに行っていた場所にはもう薬草は生えなくて、採りには行けないのだと話したと。
    それで私がたまたまハンフォードのこと知ってる?と聞いたのです。
    すると、地元の大学で人類学のマスターに行くジョウは、お父さんも人類学者で、何とそのハンフォードで長く地元のトライブのために働いていたのだと話し始めたのです。
    彼曰く、あそこはひどいよ。
    でもね、ハンフォードと同じくらい(とは言え、グランドキャニオン周辺やナバホのリザヴェーションでもひどいのですが)デュランゴもひどいんだよ、知ってるよね?あの汚染物質が川に流れたニュース。
    もちろん知ってるわよ、と私。
    デュランゴにもウランの鉱山があってね、廃棄物を近くの山に捨てて、その上から岩とか土で覆ってるんだけど、それが流れ出しててね、デュランゴでガイガーカウンターを持ってレストランに行ってごらんよ、ビービー鳴るから。
    あ〜何と恐ろしい‥‥。
    アメリカって何という国。
    原油もウランもいっぱいある‥‥。
    そしてそして皮肉なことに、ウランが埋蔵されてるところはネイティヴたちの聖地であり、彼らが住むところ、そしてターコイズの産地。
    神様は何て賢いんだ、ずるいんだ、人間を試すなんて。
    試されていますよね?聖なる場所を静かに放置するか、金儲けをするか。
    金儲けに走っちゃったんだもの、ニンゲンは。
    と言うか、欲深いハクジンどもは。