「見えない安心感」日本人の心とらえる 非日常空間でひと絞り
今日は土曜日で、私たちの通うジムでは
10時半からのズンバのクラス。
インストラクターのサマンサが
何週間か休んでいて、
その間、ダンスフィットのケリーがサブ。
でもケリーのサブは今日が最後。
来週からはサマンサが戻ってくるからです。
私も家人も出来ることならズンバは
ケリーにやって欲しいところなのですが。
ケリーのクラスはまさにこの
暗闇フィットネス。
サブで行うズンバのクラスでも
いつものライティングを
持ち込んで、暗闇にカラフルで
細かい光が飛び交う中でのクラスです。
暗闇の中で行うスピニング、
ソウルサイクルが
ニューヨークやロサンジェルスで
流行っていることは知っていましたが、
この産経新聞のニュースでは
何とこの暗闇の中、
まるでエアロビクスのクラスみたいな
ビートの効いた音楽に合わせて
ヨガをするとは‥‥。
1回3500円?!
マジですか?!
1ヶ月にではなくて?
🌠 🌠 🌠 🌠 🌠
「見えない安心感」
『見られたくない』という日本人独特の
感性の受け皿にもなっている」
とは31歳エリート女性社長の弁。
アメリカで始まった暗闇で行う
グループフィットネスは
少なくても「他人(ひと)の目を気にしないで」
出来るという発想から生まれたのではない
と私は思うのです。
ケリーのダンスフィットのクラス
がそうですが、
カラフルな照明がチカチカする暗い部屋で
音楽ががんがん流れる中、
インストラクターの指示と我々にも
掛け声をかけさせたり、叫ばせたりと
鼓舞する彼女の通りのいい声が響き、
部屋の中は嫌が応にも盛り上がります。
アメリカ人は太っていようが、
動きについていけなくても、
一切気になんてしない。
周りの目が気になるのなら、
タイトなウェアを着て、
三段腹丸出しであんな激しい動きのクラス
には来れないでしょう。
「恥」の文化がある日本では
例えばジムで、
自分が出来ていないのを周りの他人に
見られるのが恥ずかしいから、
周りの目を気にしないで、
自分の動作に集中出来る暗闇がいい、
という心理なのでしょうか。
それにしても私としては、
暗闇でビートの効いた音楽が鳴る中で
ヨガはしたくない。
ホットヨガも好きじゃない。
だいたいアメリカ人には、
黙々と行う、
ゆっくりと流れるような動きのヨガには
刺激がなく退屈なので、
じゃあ汗をいっぱいかけて痩せられる
室温をぐっと上げた部屋で行うホットヨガ、
もしくは暗くした部屋で、
音楽をがんがん流してやる刺激的なヨガクラス
を考え出すのではないでしょうか。
別にインド音楽はなくてもいいですが、
私としては明るい部屋で、
低く軽めの音楽を流しながらプラクティスする
普通のヨガクラスで十分満足ですけれどね。
(お寿司からヨガからピッツァにしても)
何でも自分たちの好きなように
アレンジするのが得意なアメリカ人
の作り出すものは、
(日本人もフレンチ、イタリアン、パン作りと
本場で修行して日本で
ビジネスを始める方も多いですが、
そのレベルの高さは世界レベルまで
行ったりもしますよね)
本場以上にはならない(ことが多い)し、
まるで別物になってしまったりします。
まるで別物になってしまったりします。
お寿司がいい例で、
都会の特化したお店で出されるお寿司
は知りませんが、
アメリカの片田舎で出すお寿司なんて
こんなの日本食でも何でもありませんもの(苦笑)。
お話がずれてしまいました。
今日私が言いたかったこと、
日本の「恥」の文化は素晴らしい文化
であると思います。
でもそれも程度のもの。
他人(ひと)の目ばかり気に
しててもねぇ。
いつも思うことですが、
あなたが気にするほど、他人は
あなたのこと見てませんって。
みんな自分のことで精一杯ですよ、きっと。
ちなみに私は連れ合いから長年
あなたは日本人ではない、
宇宙人、と言われています。
宇宙人、と言われています。
他人(ひと)の目なんて
全然気にならないですもん!
お久しぶりです
返信削除他人を気にしないなんて・・・すごく羨ましい生き方です。
日本にいると、つい他人の雰囲気に飲まれてしまいます
それこそ今の政治や社会の歪み方は雰囲気に飲まれ、他人を気にして自分を殺す社会だからこそ問題が起っているのだと思います。
maizeさんのような考えが日本に広がれば、きっと世の中が変わると思うのですが難しいですね
ここぺりさん、お久しぶりです。
返信削除コメント、ありがとうございます。
日本には「人の振り見て我が振り直せ」という言葉がありますよね。
私も子供の頃から母に言われ続けました。
これは他人(ひと)を見ることから始まります。
他人(ひと)の主に欠点をを見て自分を正すということです。
その結果、あんな(みっともない)服装をしてはいけない、
あんな(いい加減な)人になってはいけない等々と
親は子供に諭すわけです。
日本はそういう社会だから、つい他人(ひと)の目を気にする、
目立たないように、出る杭にならないように生きることが
暗黙のルールみたいになってしまうのかも知れません。
政治に異議を唱えたり、何かを強く主張したりすることが
暗黙のうちに憚れる社会であることをみんな承知しているから、
なかなか政治や社会が変わって行かないのだとも言えますよね。
でもね、ひとの目なんて気にしないで生きましょうよ。
他人がどう思おうが、ひとの勝手。
何もモンスターになるわけではありません。
着たい洋服を着て、言いたいことは言って、
主張すべきことは声を出す、おかしいと思ったら
異議を唱える。
自分の納得の行くように、しなやかに。
そしてそういうふうに生きるには、一人を怖れない勇気も
必要かも‥‥。