2017年7月20日木曜日

日本にて (24)太宰を巡る旅、太宰治疎開の家








金木の駅を降りたら、そこはもう
太宰一色です。


電車から降りた人たちのほとんどが
目指す場所は同じです。







津軽鉄道のガイド女性の説明にあった、
金木で訪ねる3つの場所。


太宰記念館「斜陽館」

津軽三味線会館

太宰治疎開の家









私はまず太宰治疎開の家へ向かいます。








太宰治疎開の家というのは、
お兄さんが結婚して
新婚夫婦のために建てられた津島家
の離れのことです。







太宰が疎開をしていた家で、そこから
疎開の家と呼ばれています。








ここで津軽鉄道の例のガイドさんが
ちょっとお得ですよと教えてくれた
3館共通券を購入しました。


結局津軽三味線会館には足を運ぶ

時間はありませんでしたが。







そのガイドさんが話していた、
疎開の家のガイドの男性。


お話がとってもお上手なので、
時間をよく見ていないと、
次の場所を見学する時間がなくなります、
と聞いていたとおり、
すばらしいガイドさん。


太宰の実家がどれほどの土地を所有して
いたか、パネルで説明をします。


それにしてもどれほど裕福なお家だったか、
当時で250町歩の土地、
300人の小作人をかかえていた
のですって。


駅から自分の家まで他人の地所を
通らずに行けたと言います。


250町歩って坪にしたら
75万坪。


東京ドームが1万5千坪ですから、
その広さは想像がつきません。


しかも毎年300人の小作人からの小作料
が入って来るわけですから、
それはすごい収入だったことでしょう。


大学に入って、彼はその実家の収入に
逆にコンプレックスを持ってしまったのです。












この「離れ」だって和洋折衷の
素晴らしいお宅で、洋間にはこんな
カウチも設置されてあり、








当時のカウチのクッションの中身は
⬆️の写真の通り、藁でした。







文庫本を片手に、こういうシーンは
このページに書かれています、と。









確かこの時はお母さんが亡くなる前に、
太宰とお兄さんが和解したお話をして
くださっていたと記憶しています。



とても感情豊かに、
ここで病気で亡くなる前のお母さん
が寝ていて、そこに
お兄さんと太宰が座って‥‥と。








この「疎開の家」で23作の作品
を書いた太宰は、
この部屋のこの座布団に座って、
小説を書いていたのだと。









ここに座ったら小説家になれますよ、
作家の〇〇さんも、〇〇さんも来て
座られました。


又吉さんも何度もいらっしゃっています。


もう遅いけど(苦笑)私も座らせて
いただきました。









緻密でまるでそこに太宰やその家族
がいるかのように
お話してくださったのは白川さん。


津島家とは少しご縁があるお家の方
のようでした。








「疎開の家」を後にする前に売店で
文庫本を購入しました。









買ったのはこれでした。




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