2014年3月21日金曜日

日本語八ツ当り












本の整理をしていたら、
こんな本がありました。


1989年発行。

私が持っていたのは、
1990年発刊の第9刷。


古い本です。


どこで買ったかも全く記憶にありません。


タイトルが面白くて、
表表紙にも書かれていますが、
目次のタイトルを見て、これは!
と思って、きっと買ったのだと思います。


何気なく開けたページを読み始めて、
その場で引き込まれてしまいました。


その章のタイトルは、
<恭啓中島らも様>


広告嫌い、「コピーライターの悪口を
書いたり、喋ったり」してきた筆者が、
たまたま見た男性誌の、
中島らものコラムを読んで、
「公開お礼状」を書いているのです。


(本書より)

<広告なんて大っきらいだから広告の
本性が見えてくるのだ>
思わず膝をのりだしました。


江國さんは当時、すでに売れっ子だった
中島らものことはご存知なかったようです。


抜粋は続きます。

貴兄いわく。
<なぜそんなに広告がキライかというと、
「広告は無礼」だからだ。
人をバカにしていると思う>
思う、思う。思いっぱなしでありますよ。

<端的に一番バカにしている例を挙げれば、
「今◯◯が新しい!!というフレーズ
だろう。◯◯の中に何でも自分の好きな
言葉を入れて試してみてほしい。
タワシ、腹帯、ステテコ、ハエタタキ、千葉‥‥>

まったくだ。「いま、千葉が新しい!!
だなんて、千葉の人が聞いたら怒るよ、きっと。

<完全に思い上がっている。文化というのは
捏造できるものだと勘違いしている。
‥(略 by ワタシ)>

テレビCFをはじめとする"広告"という名の
日本語破壊は、実際、目に余るものが
あります。だれもがそう思っていながら、
だれもがいえなかったことを、
あなたは、ずばり、と代弁して下さった。

それについては感謝にたえないのですが、
そういうあなたもコピーライター、
はて、これはどうなっているのかなと
思ったら、さすがは貴兄、ちゃんと
書いておられた。

<ではお前はそれだけキライな広告をなぜ
メシの種にしているのか、という問いが
必ず来ると思います。
キライだから商売になるのだ。
きらってきらい抜くから相手の性格や
相貌が見えてくる>

うーん、なるほど、と感じ入りながら、
うーん、かわいそうに、と思わずには
いられませんでした。

だってそうじゃないですか。
きらいなことで食っていくというのは、
人間にとって最大の苦痛です。

たとえ稼ぎは少なくとも、男一匹、
好きなことだけやって
食っていこうではないですか。

(棒線)ここまで書いて、はっと
気がつきました。「広告なんて大っきらい」
とおっしゃる貴兄は、実は
広告大好き人間で、その裏返しの表現が、
あの見出しになったのではないか、と。

だとしたら、凝りすぎというもので
ありますよ。妄言多謝。



実は私も広告嫌いです。

私個人的に今も忘れられない、
大きな声では言えませんが、
許せないキャッチコピーがあります。


それは
「おいしい生活」

あの頃、バブルへ向かおうとする日本で、
日常生活こそを豊かに、
という提言はまさに時を得て、
一部の日本人の生活様式に、何らかの、
いえ多大なる
影響を与えたことは間違いないでしょう。


いえ、キャッチコピーとしては
多分かなり優れたものだとは思います。

でもね、ワタシは思うんです。
中島らもが言ってた通り、
<人をバカにしている>と思うから。


日本語では<おいしい>という形容詞は
<食べ物>につけるものと決まっていました。

おいしいケーキ、
おいしいコーヒー等々。

それをIさんは、<生活>を<おいしい>と
形容して、そんな<おいしい>生活を
送りましょうと提言したのです。

誰もがびっくりするでしょう。

そしてそんな新しい<おいしい>生活を
求めて、買い物に走った日本人も、
少なからずいたと想像します。





本の整理から、江國さんの古い本を見つけて、
本日のブログに相成りました。


巨人フアン(ファンではなく)、
送り<バンド(バントではなく)>、
グランドかグラウンドか、
プレイボールと、ファインプレー。
同じ、プレイをなぜ違った書き方にするのか。

等々、ワタシがいつも疑問に思う事項を
<ブッタ切る>江國さん。


これはじっくり読んでみます。












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