滑って転んで賠償請求、相次ぐ 「防滑」取り組み進む
お店などで滑って転んでけがをした人が、「床に問題があった」として裁判を起こす例が相次いでいる。高齢者の死亡原因のうち、転倒事故は年間約5千件で、交通事故を上回る。未然防止のため、床を滑りにくくする「防滑(ぼうかつ)」に取り組む事業者も出てきた。
■店の責任?客の過失?
大阪市の50代主婦は4月、市内のリサイクル店を相手取り約800万円の賠償を求める裁判を起こした。雨でぬれた床で滑り、足の靱帯(じんたい)を切るけがを負った。入院生活は約1カ月に及んだ。
主婦側は訴状で、「客が転ばないようにする義務があった」と主張。足拭きマットを敷いたり、床の清掃回数を増やしたりするべきだったと訴えている。一方、店側は「転倒には女性の過失が関係している」として争う姿勢だ。
同様の訴訟では、店側に賠償を命じるケースも出ている。岡山地裁は2013年、「ショッピングセンターの床に落ちていたアイスクリームで滑って転んだ」とする70代女性の訴えを認め、店側に約860万円の支払いを命令。大阪地裁では「餃子(ギョーザ)の王将」店内で転んだ40代女性に対し、店側が解決金100万円を支払う和解が15年に成立した。
昔なら『自分が悪い』となった事案でも、ここ10年ほどで提訴になることが増えたように感じます」。建物内での事故訴訟に詳しい佐藤貴美弁護士(第一東京弁護士会)は話す。インターネットの普及に伴い、同種事故の訴訟情報が入手しやすくなったほか、権利意識の向上も背景にあるとみている。ただ、訴訟を起こしても、不注意だったとして主張が全面的に認められることはまれという。
佐藤弁護士は「いきなり裁判を起こすと社会がギスギスする。店側、客側が丁寧な話し合いで歩み寄ることも大切です」と話す。
✨ ✨✨✨ ✨ ✨✨✨ ✨ ✨✨✨ ✨
今回2年ぶりに日本に帰っていた間に、
へぇ〜と感じたことがいくつか
ありました。
1つはやっぱり肥満が増えてるなあ
ということ。
老若男女です。
いわゆる太ってる、ぐらいではない
電車で座席に座ると、横幅の方がすごくて、
前から見ると、お肉が垂れまくってるという
アメリカ人的肥満体型の男性も
何度か見ました。
若い女のコとともに、子供、特に目についたのは
小さい男の子の肥満でした。
それから町に出たら、デパートの中、
駅で、スーパーマーケットで
ぎゃあぁ〜〜〜〜っと叫ぶ子供。
アメリカでは日常茶飯事ですが、
レストランのような比較的狭い空間では、
これを耳にするのは耐えられないです。
たぶん10年前にはあまり見なかった光景。
小さい子供はなぜにこうなったのか。
それと今回気がついたのは、
小さい子供が、
親に連れて来られたデパートの子供服売り場
や量販店の床の上、
駅の階段を降りたスペース、
あと、どんなところだったかなあ、
とにかくえっ?こんなところに寝転がる?
って場所に小さい子がごろんと
寝転がっている風景をけっこう目にしたことです。
(ずいぶん前にこのブログでも書いたと思いますが)
それこそ「かみ(上)」と「しも(下)」
ではないけれど、
日本人はうちと外をしっかり区別して
来ましたよね。
例えば台所用のお布巾とぞうきんを分けるように。
(過敏?に神経質の私は)
外出用の洋服と家で着るものは分けています。
家の中では靴を脱ぐ。
<外>を歩いた靴のまま家の<中(内)>
には入りません。
でもそんな<内と外>の概念が
ある意味崩れたかのように、
外で寝転がる子供をほったらかしで、
「そんなところに寝転がるものではありません」
と注意するわけでもない若い母親。
感覚は変わったのかなぁと。
そして今日のこの朝日新聞の記事。
レストランで転んで怪我をして
お店を訴訟するんだよ、
と言う話を聞いたのは、アメリカに引っ越して
そんなに経たない、
20年以上前のことでした。
マクドナルドのコーヒー訴訟は
超有名で、日本でも取りざたされましたよね。
「滑って転んで賠償請求、相次ぐ」
と言う朝日のヘッドラインには
多少の揶揄も含まれているように感じるのは
私だけでしょうか。
火傷を負ったのはコーヒーが熱過ぎたのが問題、
滑って怪我をしたのは、
お宅のフロアが滑りやすかったのが問題、
と言う発想。
おそらく20年前の日本人なら
思いもつかなかったことではないでしょうか。
アメリカは訴訟の国です。
日本人の私から見れば、
えっそんなことを?それは自己責任じゃない?
と思ってしまうようなことでも
とにかく訴える、が基本と言ってもいい
社会です。
でも日本社会もそうなりつつあるんだなあ
と実感した今日の朝日新聞の
この記事でした。
最近の日本は随分心に余裕が無い人が増えて、ちょっとしたことで他人のせいにする風潮が広まりつつあります。
返信削除クレームひとつで店を潰した人達も最近は珍しくありませんし、今の日本は個人主義でありながら誰かへ不満をぶちまけるための憂さ晴らしに誰かを犠牲にする残酷な社会です。
もう昔のように助け合いや地域のつながりも消えかけて本当に生き辛い世の中へ変貌してしまい、それを誰も疑問に思わないことへ恐怖を感じます。
そして12月に日本の自衛隊がスーダンの戦地へ赴くことすら誰も疑問も不満もあげません。
もしも戦死者が出た場合、言論統制もされるかもしれません、戦前に本格的に逆戻りです。
ここぺりさん
返信削除コメント、ありがとうございます。
返信が遅れてごめんなさい。
「ちょっとしたことを他人のせいにする日本人」
「不満をぶちまけて憂さ晴らしをするために誰かを犠牲にする社会。
熊本地震の時の井上晴美さんのブログに起こったことも、記憶に新しいです。
寅さんはきっと嘆いていることでしょうね。
「おいちゃん、日本はどうしてこんなになっちまったんだい?
日本人の義理や人情はどこに行っちまったんだ。何とも世知辛い
世の中になっちまったじゃねえか」って。
そうしてあれよあれよという間に、PKOに自衛隊員のスーダン派遣が決まり、
それに異を唱える動きも流れも出て来ない。
ここぺりさんがおっしゃるように、これは怖ろしいことです。
確かに生活もある、他人(ひと)のことなどかまってられない、
社会で何が起こっているのか、そんなことに目を向けているひまなんてない、
そういう人も多いでしょう。
でもそう言っている間に、ひたひたと戦争への道を歩かされていること
にも気づかず、気がついた時には手遅れ、という事態が起こらない
と誰が保証してくれるでしょう。
ここぺりさん、どうか、私の今日(11/30)のブログを見てください。
そしてまたコメントをお待ちしています。