2013年1月8日火曜日

教師というもの、日本の学校、体罰といじめ

「赤毛のアン」で、アンが先生になり
受け持ったクラスに一人、どうしても言うことを
きかない男の子がいて、
それまで(当時ですから)教室で<鞭>を使うことに
反対していたアンでしたが、
悩み抜いた結果、アンはその子に1度だけ鞭を使います。
すると彼は変わるんですよね。
 
「赤毛のアン」は小学生の時、夢中になった本。
確かピンクの箱入りのシリーズを最後までそろえて
何度も読み返したものです。
 
 
あの物語には忘れらないアンの言葉や
アンを取り巻く人々が出て来ます。
 
 
 
 
大阪の市立高校で、体罰を受けていた高校生の
男子生徒が自殺したというニュースに
何ともいたたまれない気持ちになりました。
 
正規ではなかったですが、一時期日本で教師を
していたこともあり、
こういうニュースは身につまされます。
 
自分が教師だった当時も働いた学校の中には
生活主任と称した男性教師が
体罰をふるっていたシーンを今でもはっきり
思い出します。
 
何かで体育館に集まった時の女子生徒の座り方が
なってないと、坐っているその子の太もも
を蹴飛ばしていた男性教師。
 
朝礼で並んだ時、制服がおかしいと
あとで職員室に呼んだ何人かの男子生徒を
正座させて説教していた生活主任。
 
生徒の頭を出席簿でばんばんたたいていた
女性教諭。
 
私自身は体罰を受けた経験はないけれど、
教師からいじめられた経験はあります。
 
だから私は自分が教師になった後でも
<学校の教師>というものが好きではなかったし、
「職員室」自体も好きではありませんでした。
 
教えることも好きだったし、中学生、高校生くらいの
年頃のコたちって大好きでしたが、
いじめしかり、体罰しかり、
日本の学校って、ある意味聖域で、
教師の世界には独特のものがあるように思います。
私はそれが好きになれなくて、教師を続けることが
出来ませんでした。
 
自殺した男子生徒のお母さんが、お通夜で
体罰を加えていた教師に、息子さんの腫れた
遺体の顔を見せられた、とニュースにありました。
前の晩は普通に楽しそうに夕食をすませたという彼。
お母さんはどんなに悔しかったことでしょう。
 
 
ここにも学校側、教育委員会の無責任さ・・・。
 
 
それがいいかどうかは別として、
アメリカでは今やホームスクーリングが一般的です。
学校という枠組みに取り込まれない一つの
教育の選択。
 
日本は教育の場にあまりにも選択の幅が少ない
ような気がします・・・。
 
それと私たちの時代には高校は普通科か
工業科、商業科くらいしかなかったですが、
今は市立高校もこの桜の宮高校のように、
スポーツコースなどという、言葉は悪いですが、
生徒寄せコースを作っているのですね。
下手にそんなコースがあるから、
勝つことが優先されてしまう。
 
もちろん競技というものはある程度勝負ではありますが、
それだけが目的になってしまうと、
今回の教師のように(多分)熱血が行き過ぎて
体罰にまでエスカレートしてしまうのではないでしょうか。
 
殴ったから勝てるものでもないでしょうに・・・。
 
 
最初の赤毛のアンの話に戻りますが、
アンは考えて考えて、悩んで悩んで、そして
やっと鞭を使おうという決断を下します。
 
それくらい教師が悩んだ上での<体罰>なら、
きっと生徒にもその教師の苦しさも伝わるでしょう。
 
だからこそアンの教え子の男の子も変わったのです。
それでもアンは悩んだのでした・・・。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


0 件のコメント:

コメントを投稿