2015年9月19日土曜日

アメリカの軍隊と日本の自衛隊


安保関連法:成立 政治の不実、現場へ 東京社会部編集委員・滝野隆浩=防衛大卒、55歳

毎日新聞 2015年09月20日 東京朝刊
 19日に成立した安全保障関連法を現役自衛官は歓迎しているのか。私はそうは思わない。忍耐を習い性にしている彼らは、取材カメラの前では決して本音を言わない。だが、家族と、国会を取り囲む「戦争反対」などのプラカードの群れをテレビニュースで見ながら、たぶん嘆息している。
 昨年7月1日、自衛隊が「還暦」を迎えたその日に、政府は集団的自衛権行使容認の閣議決定をした。以後、私は全国の幹部、曹クラス、OBら数十人と会ってきた。陸海空の制服の色や階級で微妙に違うが、彼らに共通するのは「国民に支持されたい」という思いである。
 それは自衛隊という組織の来歴による。自衛隊は1954年の創設当初から「憲法違反」と批判されてきた。災害派遣などに打ち込み約60年かけてやっと、国民の92・2%が「良い印象」を持つようになった(内閣府の世論調査、今年1月)。ところが、国会審議の中で法案は大多数の憲法学者から再び指弾された。<違憲の存在>を脱したら、今度は<任務の違憲>にぶつかった。これから任務は過酷さを増しリスクは間違いなく高まるのに、再び国民から厳しい目を向けられる。現場の隊員にとって、こんな不条理はない。
 「日本を、守りたい」。これが隊員たちの偽らざる気持ちである。任務が多様化して手いっぱいなのだ。そのために平時から、日本周辺で米軍と情報を共有し訓練も行いたい、という。ただ、日本を離れて国連の下の国際任務に出ろと命じられたら、危険を顧みず海外にも行く、と。法案を強く推してきた海自OBですら「やるべきことがやれるなら、個別的自衛権の拡大解釈であってもいい」と言い切る。彼らには「任務は憲法の枠内で」という感覚が染みついている。このあたりまでの解釈変更であれば、国民の理解はもっと広がったと思う。
 ところが、安倍晋三首相は、そんな現場の感覚には無関心で、<集団的>という言葉に固執した。「戦後初めての大改革」と大見えを切る割に憲法を改正することなく、異論の出ない閣議決定だけで解釈変更を決めた。そこを出発点に積み上げられた法案だから、首相や防衛相の国会答弁は何度もブレた。
 一方、国会で多数を占める与党に対し、野党は法案の細部の矛盾を突くしかなく、政府は「細部はいい、我々が責任持つから」という態度に終始した。一番の問題は、その「細部」の中に憲法問題まで放り込んだことだ。そして首相は「わが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が……」のフレーズを早口言葉のように繰り返すだけ。国の最高法規でさえ軽く見ているような態度を見て、何万人という反対デモが連日、国会を取り巻く。それでも最後まで、聞く耳を持たなかった。
 「戦争反対」と唱えるだけなら、私はデモをする人たちにくみしない。だが、彼らの真剣な声に耳を傾ける必要があった。反対意見を持った人と対話しながら、合意形成を目指すのが政治ではないのか。政治の不実への批判は現場に向いてしまう。この法制は自衛隊に苦悩を強いる法制だといわざるを得ない。
 「法案が成立し、時が経てゆく中において間違いなく理解は広がっていく」。安倍首相は国会審議の終盤に言った。国民はすぐに忘れるというのか。私はこの1年余の経緯を忘れない。法的安定性について、隊員のリスクについて、デモをする若者について。首相やその周辺が何を言ってきたか、心に刻みつける。

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