2015年3月4日水曜日

そうなんですか?沢木耕太郎さん





八十四歳の人がこのような作品を撮るのか。凄(すご)い、とうならざるをえない。だが、見終わって、こう思わないでもない。これは誰かが言うように「反戦映画」だったり「厭戦(えんせん)映画」だったりするのだろうか、と。
 確かに戦場の惨(むご)たらしさ、帰還兵の困難さは描かれている。しかしイーストウッドは、スナイパーという職人でもあり徹底した現場の人でもあったカイルの半生を忠実に描いていくうちに、彼の心の底にある思いを無意識のうちに掘り起こしてしまったのではなかったか。
 その思いとは、そう、「だが戦争は楽しい」というものだ。
 この映画が、アメリカ本国でイーストウッドの作品としては例のないヒットというかたちで受け入れられたとすれば、それは観客がその表面には現れてこない微(かす)かな気配に鋭く感応した結果であったように思える。少なくとも私は、カイルが彼の言う「野蛮人」の頭や胸を正確に射貫(いぬ)いていくとき、快感に似たものを覚えているのに気がつき、ハッとしたものだった。




朝日新聞に掲載されている沢木耕太郎のコラム<銀の街から>3月4日版に載った、「アメリカンスナイパー」についての文章からの抜粋です。(ただし赤色のハイライトは私がつけました



私は映画を見ていないので、何とも言えないのですが、イーストウッドが<掘り起こした>かも知れない、「戦争は楽しい」という思い。

本当に不謹慎としか取れない表現だと思うのですが、確かに人間は、<戦争>という状況に放り込まれたら、いつの間にか戦争を楽しむ、<敵>をやっつけるのは楽しいという<快感>に陥るのかも知れません。


が、それにしても沢木さんは「‥‥少なくとも私は、(中略)快感に似たものを覚えているのに気がつき、ハッとしたものだった」と正直に書かれたのかも知れませんが、そういうものなのですか?

それこそイーストウッドの刷り込みなのではないですか?

映画の中でイラク人のことを、主人公は「野蛮人」と呼び続けているわけですね。
で、映画を見たアメリカ人たちは、きっとイラク人=「野蛮人」とこれまた刷り込まれるわけですよね。

でも沢木さんはきっと、<野蛮人>はアメリカ人の方だって、もちろん、わかっていらっしゃいますよね?




映画は大ヒット。


アメリカ人の大好きな<戦争>と<人殺し>を描いてくれているのですものね。


戦争は映画で見るのも嫌です。



アメリカよ、ハリウッドよ、これ以上戦争映画を作らないで‥‥。








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