2013年4月5日金曜日

高校じゃなくて中学校で始めなきゃ

「授業は英語で行うことを基本とする」という
高校の学習指導要領が今年度から
全面実施されるというニュースが
今日の朝日新聞のトップ記事になっています。

http://digital.asahi.com/articles/TKY201304050445.html?ref=comkiji_txt_end_kjid_TKY201304050445

どうして高校なんだろう、とすぐに私は
思ってしまいました。

始めるなら中学校からじゃないかなぁと。

それに高校英語を英語で教えられる英語教師
がそんなにいるのかしら・・・というギモンも。

すみません、きっと日本の高校の英語の先生たちは
英語の能力は高いと思うんですよね。
でも文法や読解力や和訳が優れていることと
英語で英語を教えられるということは
少し違うような気がするんです。


かつてアメリカのコミュニティカレッジで、
成人した外国人に
インターミディエイトの英語を教えた経験から言って
それと後に英語で日本語を教えた経験と比べても、
英語で英語を教える方が簡単だったんですよね。


かつてロサンジェルスにいた時に知り合った
男のコ。
当時学生でコミュニティカレッジに行き始めていましたが、
日本での英語の成績もめちゃくちゃなくらい下の下。
アルファベットの筆記体も書けなくて、
自分の名前をアルファベットで書くこともおぼつかない
ような<英語だめ>なコでした。

でもコミュニティカレッジでは当然
アメリカ人の先生が英語で英語を教えます。
もちろん若かったこともあったのでしょうが、
彼はぐんぐん耳が慣れて行って、
英語の成績もどんどん上がって行ったんです。

私もアメリカに来て、かつてとある英語の学校で
カレッジプリパレーションのクラスを取った時、
担当の女性教師はいきなり、テープに吹き込んだ
レクチャーを聴かせるのです。
その後、色々な質問をされます。
だから学生はメモを必死で取るわけです。
いわゆる<ノートテイキング>です。

レクチャーの内容ももう覚えてもいませんが、
1つだけ鮮明に覚えているのは
<クルマはなぜ走るのか>というレクチャー。
クルマのメカなんて日本語だってさっぱりわからない
のに、それが英語で説明されたら、
もうお手上げでした。

でもそれが続いて行くと、耳もだんだん慣れて
レクチャーの内容も聴き取れるように
なって来るんですよね。


日本では何とかラーニングなどと言う英語勉強法が
さかんにコマーシャルされていますが、
言葉ってその中に放り出されて、
その言葉しか聴けない状況の中なら、人間
耳を凝らして、その言語をそのまま受け入れる
ようになるんですよね。
頭の中で翻訳するのではなく。

だからなぜ中学校からそれを始めないのか
と私は思ったわけです。

中学校の英語がきっと今でも基本なはず。
不定詞だの、関係代名詞だの、
時制、現在完了形や過去完了形、
仮定法、などなど文法の基本は確か
中学校で習いますよね。

それを英語で説明された経験があってこそ、
高校に入っても英語で行われる英語の授業に
すんなりと入って行けて、ついて行けるのでは
ないかなあと私は思うんです。


話はずい分と過去に戻りますが、
70年代に出版された別冊宝島の
「道具としての英語」は
タイトルからして画期的でした。
道具は使うもの、英語もと言うかコトバって
使って、使えてなんぼ、の世界。
<使う>って結局コミュニケーションが取れる
ってことです。

ガイドをしていた時にもホテルのフロントで
何も言えない若い日本人を見て
私は今さらながらに日本の英語教育の
遅れと言うか、なってなさに愕然としたものです。
そこへ日本人独特の遠慮深さと恥ずかしさ。

アメリカで英語で生きていくには、恥も外聞もない
って思えるくらいの(性格)の人でないと
むずかしいかも・・・。

そういう私もいまだ日々英語と格闘中。
ブログに書きかけたままになっていますが、
何かのコトバを発して、
ハァ?って聞き返される時の悔しさ。
またここの人たちは外国人になれていないこともあり、
それにアメリカ人自体、想像力のかけらもないので、
アクセントの位置が違っただけで、何のことを
言ってるか、さっぱりわかろうとしない。
いわんや発音だってです。

村上春樹さんではありませんが、
やがて悲しき外国語
です。


鉄は熱いうちに打てというように、
学校で英語を習い始める中学校から、
教師が話す英語に慣れて、
その「感じ」を耳に叩き込んでやっと、高校で
英語の授業を受ける用意が出来るのではないかなあ
と思います。

教師も覚悟が要りますよね。
照れはだめ。
堂々と英語で授業を進める度胸も養わないと・・・。

そうなったら中学校1年の最初の授業から
全く日本語はなしで、英語で初めたらどうでしょう。
先生は一切日本語を話さない。
廊下ですれ違っても、職員室でも、
生徒とは英語で話すっていうのは。

生徒にあの先生とは英語でコミュニケーションを
取る以外に方法はないんだって意識を植え付ける。
日本人同士でむずかしいかも知れないけど、
英語の教師になるくらいの人は
ある意味どこか<役者>かエンターテイナー
になるくらいの覚悟が必要かも・・・。















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