養老孟司さんのこの本が出たのは 2009年。
エッセイ自体は2002年から 2009年に書かれたものです。
その中に<「テロに屈するな」の掛け声> というタイトルの文章があります。
以下抜粋です。
「テロに屈するな」。 虚しい言葉ではないか。 なぜなら「テロに屈する」人なんて、 じつはどこにもいない。
(中盤略)‥‥
戦争に負けるのもまた、 ある意味でテロに屈する、 つまり腕力に屈することだからである。 いくら現代のテロが酷いといっても、 「一発で市民20万人」の原爆には及ぶまい。
あるいはまた彼はこんなことも書いています。
こちらのタイトルは、 <大義が消えた世界>。
2004年に書かれたものです。
以下は抜粋。
イラク戦争に大義はない。 何を示しているのか不明な 「大量破壊兵器」は見当たらない。
‥‥
大義なんて馬鹿みたいなものである。
<しかしそれが消えた世界には 暴力がはびこる。
「なにが正しいか」、
大義が消えた世界では、 それは、
「だれが正しいか」 に置き換わる。 「だれが正しいか」なら、 「腕力がものをいう」のである。>
今回、日本人のもう一人の人質が 殺されたという事実から、 何が始まるのか。 何を始めてはいけないのか。
日本人はしっかりと考えないと いけない時期に来ているのではないか。
というより、もう崖っぷちに立たされて いると言ってもいいかも知れません。
ところで殺害されたジャーナリスト の男性は、アメリカのCNNでは明確に <斬首された>と書いていました。 イギリスBBC、フランスのニュース局、 スペインの国営放送のトップニュース でも取り上げられていましたが、 この3つのテレビ局では CNNと同じ表現をしていました。
日本でもかつて敵方の武将を討ち取ったら、 こうしていました。
<戦い><戦争>とはこれほど残忍 なものなのです。
1人のジャーナリストををこういう 形で殺すにしろ、あるいは 1発の原爆で市民を20万人殺した (原爆の被害は生存者にも 多大な影響を及ぼしました)にしろ。
私は日本には住んではいないけど、 私にはまだ若くて、 体力もいっぱいある息子がいて、 彼は日本に住んでいます。
私は彼を戦争にはやらせたくない。
若くて未来のある
どんな若者だって、
戦争には送りたくない。
ばかなことを言わないで、 と言う人はいっぱいいるかも 知れませんが、今回のこのことで、 日本がどちらに動くか、 あの総理大臣を「どうするか」に かかっているでしょう。
このままだとばかなことを、とも 言ってられなくなる時が
来るかも知れない‥‥。
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