「考える人」という季刊誌をご存知でしょうか。
2010年夏号がたまたま<村上春樹ロングインタビュー>という
特集で、日本から来る友人のお母様に買って来ていただいたのが
初めて手にした「考える人」でした。
そして「考える人」はメルマガがあり、登録すればメールとして届きます。
雑誌は手に入らないけれど、このメルマガがとても読み応えがあります。
これを書いておられる編集長の河野通知さんという方の文章がとても好きです。
今回届いたメルマガに茨木のり子さんの詩が紹介されていました。
「よ(人偏に奇)りかからず」というタイトルです。
少し長いけれど引用します。
もはや/できあいの思想にはよりかかりたくない
もはや/できあいの宗教にはよりかかりたくない
もはや/できあいの学問にはよりかかりたくない
もはや/いかなる権威にもよりかかりたくはない
ながく生きて/心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目/じぶんの二本足のみで立っていて/
なにか不都合なことやある/
よりかかるとすれば/ それは /
椅子の背もたれだけ
昨今、何でもに<よりかかる>人が多いように感じます。
<じぶんの耳目、自分の二本足>で立たない人が増えている。
自分の頭で考えない。
イコール想像力がない。
想像力が欠けるとどうなるか、<自己チュー>になります。
日本でささいなことで救急車を呼ぶ人が増えているというニュースは
もうだいぶん前に見て知っていましたが(連ドラにもなっていましたよね)、
今や110番にかかる電話も似たような状況になっているというニュースを
最近、インターネット版の日本の新聞で読みました。
これをしたらどうなるか、という想像力の欠如。
いじめもすべてここから来ています。
病気、差別、いやな思い、もちろんその苦しみはそれを体験したり、
蒙った側にしかわかりませんが、少なくてもそれを
想像してみることは出来るはずです。
それもなくなれば、人間はおしまい。
想像してみてごらん、とジョン・レノンは言いました。
なら想像力を養うためにはどうすればいいのでしょう・・・。
0 件のコメント:
コメントを投稿