2016年5月17日火曜日

アルバカーキまで運んだもの その3)古い新聞の切り抜き、ギュンター・グラスの予言




どさっとダンボール箱に詰めて来たファイル類
の中の古い新聞や雑誌の切り抜きを
(引っ越し前にその時間がなかったので)
整理していたら、
こんな古い朝日新聞の切り抜きが
出て来ました。

不思議なことに全く同じものが2枚
ありました。










1つはおそらく大学時代の友人が送ってくれたもの。

彼のコメントが書かれていました。








もう1つは私が自分で切り抜いたものでしょう。







学生時代にインドに行き、
「ブリキの太鼓」も見たはずの彼が、
感銘を受けたと送ってくれたものだと察します。








ギュンター・グラスは予感していたのですね、
「人類の貧困化」を。

「例えばカルカッタ」は、この昨年
(1989年でしょうか)に
ローマ・クラブでの講演のために執筆
した文章を一部省略してまとめたものである、
とこの記事の紹介文にあります。

1975年に初めてインドを旅行した
時にカルカッタを見た時の衝撃を、
ギュンター・グラスが再びこの地を
訪れ、滞在したところから、
この記事は始まります。



時々刻々膨らむ世界人口の圧力は減る
どころか、むしろ増大しているし、コントロール
できない大都市の成長と、それに比例して
田舎の貧困化が進む結果、
スラムの数と密度はであろうから、そして
この成長率は貧困を第三世界にと留めて
おくことができず、それどころか境界線を
超えて今やすでにその前兆が見られる
のだから、工業国が---いまだに教訓から
学ぶことをせず、ヨーロッパという
砦を夢みているらしい---この成長と
それに伴う貧困化に関与することは
避けられないだろう。
別の言葉でいえば、カルカッタが
私たちを襲うだろう。


(中略)


つまり、第三世界の貧困化と昔も今も
効果的な軍拡競争とが、互いに原因であり
結果であるように、抑制のきかない工業の
膨張と、増大する環境破壊や気象変化とは、
全体として恐るべき関係にあることを
理解しなければならない。


(中略)


今すでに予兆が現れているが、今さら
腕ずくで防ごうとしても抵抗できない民族運動が、
世界とその旧来の構造を変えるだろう。
ヨーロッパ中心の、あるいは国家単位の構想
などでは、このような襲来に対して、
ただ愚かさを証明するだけかもしれない。
だが工業国がどんな反応を示そうとも、
この多くの富める高慢に対して一つのことだけは
今から言っておかねばならぬ。
カルカッタはドアの前に立っていて、
避けることはできない。



✨✨✨


新聞で昨今の日本の貧困家庭の子供たち
のおかれた状況の痛ましいニュースを見るたびに、
あるいはベルギーの、移民が集まる
貧民街に住んでいた、
フランスで起こったテロの犯人たちのことを
ニュースで知るほどに、
ギュンター・グラスのこの予言と言うか
予告は当たっていたと感じざるを得ません。



✨✨✨


何の検索もせず、この町の事情も何も知らずに、
1度目に見て即決した、
私たちが引っ越したアルバカーキのアパート
は下の中か上と言ったところの代物でした(苦笑)。

ひどい管理、ひどいマネージメント。

特に私たちが引っ越したユニットがある
建物は特に子供が多くてうるさい。

でもね、アパートの敷地内には小さな公園があり、
子供たちはそこで日々
大声を出して遊んでいます。

家人いわく、ゲームも買ってもらない
んだなあ、きっと。

確かにそうかも知れませんが、
少なくても、彼らが外で無邪気に
滑り台を滑り、砂場で遊んでいる。

それって何だか懐かしい光景です。

世界も人間も一体何が不幸で
何が幸せなのか。


そんなことを考えさせられた、
ギュンター・グラスの言葉でした。












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