今日の朝日新聞の記事。
もうずいぶん前、ロサンジェルスにいた時に見た映画。
もちろんハリウッド映画ではありません。
独立系の映画館で見ました。
しょっぱなだったか、よく思い出せないのですが、主人公の女の子が、小高い丘の上から、亡くなった父親の遺灰を撒くシーンが大きく映し出されました。
彼女は父親との思い出があまりなく、でも父の遺灰を、彼が住んだ町に持って行って、撒くんですよね。
古いアメリカ人の友人は、長年連れ添ったワンちゃんを火葬にして、灰を小さな壷に入れて、写真と一緒に、暖炉のマントルピースに飾っていました。
アメリカと日本の、火葬の仕方が違うのでしょうか。
アメリカでは火葬したら、残るのは灰だけ。
だから<撒く>のも、基本的に<自由>なのでしょうか。
そのへんの事情や規制は、ちょっとわかりませんが。
もし、火葬されて<灰>だけが残るのなら、わざわざ遺骨を叩いて、粉砕しなくてもいいわけです。
私自身は遺骨を叩いて、割るという行為自体、いくら肉親と言えど、想像するだけで、ちょっとこわいです。
個人的な希望を言うなら、土葬かアメリカ式に灰しか残らない火葬です。
いつか、たずねるだけ、たずねてみようかと思っていますが、いえ、私が死ぬまで、ここにいるかどうかもわかりませんが、ホピの友人に、どこか、ホピの墓地の端っこに、埋めてもらえないか‥‥。
ちなみにホピは土葬です。
それか、たとえ日本で死んでも、灰しか残らないように、火葬してもらえないか。
アウトドアでは、訪れた先には自分の足跡しか残さないというルールがあります。
それでなくてもエコブーム。
自分が生きた証なんて、自分を知る人の心の中にあれば十分。
「赤毛のアン」の中でアンが言っていました。
「その人が忘れない限り、亡くなった人は、生き続けるの」
実際問題として、お墓を作る費用、それに伴う諸々の出費、
維持費、お墓参りに来る人が費やす、時間とお金、精神的負担。
この少子化社会。お墓だって、いつか、誰もお参りする人もなくなり、荒れ果てる日が来るかも知れない。
そんなことを考えたら、ちっとも、エコじゃない。
私の友人ではないけれど、部屋のどこかに、写真を飾ってもらえれば、それで十分。
そんなことを考えさせられた、この記事でした。
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