2012年2月10日金曜日

謙遜するという文化

昨日のことです。
時々シルヴァーを買いにやって来る
ナバホの若い男性。
レジを済ませたのに、隣のレジで別の
お客さんのチェックアウトをしていた私を待って
あなた日本人でしょう?
と話しかけてきました。
一つききたいことがあるんだ。
日本語のコトバなんだけど、と言って彼が紙に書いた
のがGAMAN。
これってどういう意味なの?
アメリカ人にきいたけど、あなたは日本人だから
ちゃんと教えてもらいたいんだ。

GAMAN、我慢、がまん・・・。
英語だとまあPATIENCEになるのでしょうか。

日本ではねGAMANするって小さいときから
親や学校で教えられるの。
(今はもう違うかも知れない・・・。)
GAMANするってことは日本では一つの美徳
とされてるの・・・。
あぁでもうまく伝わらない・・・。

彼は<謙遜>についてもきいていました。
が、これもレジで向かい合ったままぱぱっと説明する
なんて出来ない・・・。

かつて故黒澤監督がアカデミー賞を受け取った時、
そのあいさつで
「ぼくはまだ映画のことがわかっていません」
と話して、確か会場からほんの少し
(多分微笑ましいという意味の)笑いが
広がったのを今も覚えています。
あの巨匠ですら、そんなことを思っていたのです。
何と奥ゆかしい、そして奥の深い言葉でしょう。


彼がどこでGAMANという言葉を見つけた
のかはわかりませんが、
私が日本人だとわかって、そういうことを
たずねてくれるのはうれしいことです。
時間が許すなら1時間でも2時間でも
説明してあげられるのになぁ。
我慢したり謙遜したりすることって、先日のブログ
http://katsina-katsina.blogspot.com/2012/02/blog-post_05.html
に書いた大林宣彦さんの
<自由を、不自由に使ってこそ、人間である。>
という言葉にも通じるような気がします。

もちろん程度の問題ですが、
自由だから何でもやっちゃえ、と言うのでは
我慢も何もありません。
我慢、ある意味「わきまえ」ということでしょうか。

あ~よけい複雑になって来た。
これでは日本文化を語る資格なしです・・・。

How are you? ときかれて
I'm excellent.
I'm super.
なんて答えるアメリカ人。
そこまで言うかなぁ、って私などはそばで
聞いていてもちょっと小恥ずかしくなってしまうのですが。

文化の全く違う、ある意味正反対の国で暮らすのも
疲れます・・・。
何年住んでも・・・。


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