「遺体ホテル」、増える都市部での需要 その理由は?
亡くなった人を葬儀や火葬まで預かるサービスが広がっている。「遺体ホテル」との呼び名も。背筋がゾクッとしそうだが、時代のニーズを映した施設だとか。どんなものなのか?
「ご遺体ホテル 質素ながら自由にお別れができる施設です」
外観は地味な青とグレー。1階に9室ある10~12畳の部屋には、棺(ひつぎ)を置く台や、テーブルがあった。昼夜を問わず故人と面会でき、飲食物の持ち込みも可能だ。利用料は24時間9千円。ソファで夜を明かすこともできる。
(途中略)
なぜ、都市部に多いのか。
住宅事情と並ぶ大きな理由が、火葬待ちの「行列」だ。人口約150万の川崎市に公営火葬場は二つしかなく、数日待ちが常態化している。多くの人が亡くなる冬場は、東京では1週間近く待つこともあるという。火葬場の新設には住民の反対が根強く、この状態はすぐに解消されそうにない。
また、葬儀場などで通夜や葬儀をせず病院などから直接火葬場へ送る「直葬(ちょくそう)」の増加も、遺体保管ニーズの高まりの背景にある。
ただ、遺体ホテルの新設は住民の反発を招くことも。住宅街にある「そうそう」には開業前、「気持ち悪い」「子どもの教育に悪い」といった反対の声が殺到。川崎市は15年4月、遺体保管施設や葬祭場の開設に先立ち、近隣住民への説明などを業者側に求めるルール(要綱)を施行した。同様のルールは、東京都大田区、新宿区、千葉市などが制定している。
国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、15年に131万人だった死亡者数は39年にピークの約166万人に達する。超高齢化による「多死社会」が迫り、遺体保管は誰もが直面する問題になりつつある。
供養・仏事関係の市場調査を行う鎌倉新書(東京)の増沢貞昌さん(43)は「死者が増え続けるなか、どこかで折り合いをつけないといけない。消費者には遺体を預けている間に、複数の葬儀業者の見積もりを比べられるメリットもある。身近な人が亡くなる機会が増えるほど、社会の理解も進んでいくのでは」と話す。
[QOD 生と死を問う]死を語る(上)一人で逝く覚悟必要 五木寛之さん
世界で最も高齢化が進む日本で、私たちは老いや死をどう受け止めていけばよいのか。質の高い死について考えるシリーズの第4部では、識者の言葉から、やがて訪れる「多死社会」への向き合い方を探る。初回は、戦中、戦後を通して人と死を見つめてきた作家、五木寛之さんに聞いた。(聞き手・手嶋由梨)
高齢化が騒がれているけれども、その後に、650万人の団塊の世代が一斉にこの世から退場していくわけです。大量の要介護老人と、大量の死者が周囲にあふれかえる時代がくる。
まさに未曽有の事態です。これまでの歴史で経験したことがなく、今はまだ解決法もノウハウもありませんから、手探りでやっていくしかありません。
近代は、個人としての老いや死を問題にしてきましたが、これからは社会全体でどう受け止めていくかが課題になります。政治や経済の問題だけでなく、宗教のような、集団的思想がクローズアップされるんだろうと思います。
老いや死に対して、安らかな、落ち着いた境地があるというふうに想像するのは幻想でしょう。年老いるというのは、そんなにきれいなものじゃありません。身体が次第に崩壊していく中、肩身を狭くして生きていくことなのですから。昔は高齢者が少なかったから大事にされたが、若者より高齢者の方が多くなれば、そうはいかなくなる。
年を取ってから負う障害については、「転ぶ」ことが大きな問題になります。日本転倒予防学会に寄せられた川柳に、「つまづいて身より心が傷ついて」というのがありました。骨折するかどうかよりも先に、「どうしてこんなところでつまずくんだろう」と心が傷つくんですね。
死が突然訪れてくれば簡単ですが、多くの場合、自分が崩れゆく過程を体験しないといけない。昔は宗教があり、あの世の極楽と地獄という観念がリアルにありました。しかし今は、死ねば宇宙のごみになる感覚でしょう。
その中で、自らの人間的、肉体的な崩壊に日々直面していかなきゃいけない。介護を受ける人たちも、ある種の失意というか、痛みを感じているんだろうと思います。だから、認知症は、天の恵みなのかもしれないという医師もいますね。
僕は敗戦を 平壌 で迎え、その後何年かの引き揚げ体験のなかで、大量の死に直面しました。両親や家族も割合早くに亡くし、死を日常的なものとして受け止めてきました。
僕自身の体が不自由になって、意思の疎通も難しくなってきたときには、食べなきゃいいだろうという感覚があります。水もあまり取らないようにして、自ら枯れていけばいいじゃないかと。緩慢な退場というか、そういうのができればいいなと思います。
多くの人が、家族との絆も薄れる中で、自らの老いや死と向き合わねばならない時代です。子や孫に囲まれて、息をひきとるようなことは、もうあり得ないと思ったほうがよいのではないか。最期は、一人でこの世を去る覚悟を持たないといけない時代でしょう。
僕は、老いさらばえていく姿を、むしろ家族に見られたくない。単独死、孤独死が、悲惨だとは思いませんね。
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朝日新聞と読売新聞からの
記事とコラムです。
「火葬待ちの行列」
記事とコラムです。
「火葬待ちの行列」
確かにその年代に生まれた人数が多い
ということは、おそらく
死ぬ時期も似かよっているだろうから、
団塊の世代の死者がこの数年間に
急増するだろうということですね。
話は変わりますが、
いつから火葬がポピュラーに
行われ始めたのかはわかりませんが、
昔は日本も土葬でした。
日本も、と言ったのは、
それを意識したのが、ホピと出会って
からだったからです。
ホピの人たちは、
ホピが亡くなると、ブランケットにくるんで
土葬にすると聞きました。
仏さまの姿はまさしく、
日本人が土葬で取った姿、膝を曲げて
座らせるということでした。
ホピの墓場がどうなっているのか
私には知る由もありませんが、
私は85歳の母に、
自分の父親が亡くなった時の
土葬の様子をメールで聞きました。
それは私が感じた限りでは、
何だかとても人間味あふれる見送り方でした。
✨
話は再び、遺体ホテル。
そして「火葬待ち」。
これはまさしくブラックユーモアですが、
(亡くなった方やご遺族をからかったりする
ものでは全くありません)
家人いわく、
そのうち火葬も順番待ちで、
ただ今は(冬の)シーズンですので、
暖かくなるシーズンオフまで
お待ち願えますか?
などと葬儀会社がメールを送ったり
するようになるかもね〜などと。
自分の(火葬後の)骨なんて、
ゴミ袋に入れて捨ててくれたらいいんですけど、
まあそうも行かないでしょうけどね、
と言った、知人である過激な
お坊さんの言葉に
激しく賛同すると言った家人です。
「つまづいて身より心が傷ついて」
という川柳。
わかりますよ、私のこの年令ですら、
何でよ〜?
ここでこんなへま、やるかぁ〜
とか、え〜、こんなこと出来ないの〜!
って思ってびっくりしたり、
がっくりしたりすることは日常茶飯事。
へまをしたり、出来なかったことよりも、
今までこんなことはなかったのに、と
感じること自体がショックなのです。
老いさばらえて‥‥
さて、あなたならどうする?!
という川柳。
わかりますよ、私のこの年令ですら、
何でよ〜?
ここでこんなへま、やるかぁ〜
とか、え〜、こんなこと出来ないの〜!
って思ってびっくりしたり、
がっくりしたりすることは日常茶飯事。
へまをしたり、出来なかったことよりも、
今までこんなことはなかったのに、と
感じること自体がショックなのです。
老いさばらえて‥‥
さて、あなたならどうする?!
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