「遺体ホテル」、増える都市部での需要 その理由は?
亡くなった人を葬儀や火葬まで預かるサービスが広がっている。「遺体ホテル」との呼び名も。背筋がゾクッとしそうだが、時代のニーズを映した施設だとか。どんなものなのか?
「ご遺体ホテル 質素ながら自由にお別れができる施設です」
川崎市中原区の「ビジテーションホームそうそう」はウェブサイトにそう掲げる。住宅街の3階建て工場を改装し、遺体を安置するサービスを2014年10月に始めた。
外観は地味な青とグレー。1階に9室ある10~12畳の部屋には、棺(ひつぎ)を置く台や、テーブルがあった。昼夜を問わず故人と面会でき、飲食物の持ち込みも可能だ。利用料は24時間9千円。ソファで夜を明かすこともできる。
(途中略)
なぜ、都市部に多いのか。
住宅事情と並ぶ大きな理由が、火葬待ちの「行列」だ。人口約150万の
川崎市に公営火葬場は二つしかなく、数日待ちが常態化している。多くの人が亡くなる冬場は、東京では1週間近く待つこともあるという。火葬場の新設には住民の反対が根強く、この状態はすぐに解消されそうにない。
また、葬儀場などで通夜や葬儀をせず病院などから直接火葬場へ送る「直葬(ちょくそう)」の増加も、遺体保管ニーズの高まりの背景にある。
ただ、遺体ホテルの新設は住民の反発を招くことも。住宅街にある「そうそう」には開業前、「気持ち悪い」「子どもの教育に悪い」といった反対の声が殺到。
川崎市は15年4月、遺体保管施設や葬祭場の開設に先立ち、近隣住民への説明などを業者側に求めるルール(要綱)を施行した。同様のルールは、
東京都大田区、
新宿区、
千葉市などが制定している。
国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、15年に131万人だった死亡者数は39年にピークの約166万人に達する。超高齢化による「多死社会」が迫り、遺体保管は誰もが直面する問題になりつつある。
供養・仏事関係の市場調査を行う鎌倉新書(東京)の増沢貞昌さん(43)は「死者が増え続けるなか、どこかで折り合いをつけないといけない。消費者には遺体を預けている間に、複数の葬儀業者の見積もりを比べられるメリットもある。身近な人が亡くなる機会が増えるほど、社会の理解も進んでいくのでは」と話す。
[QOD 生と死を問う]死を語る(上)一人で逝く覚悟必要 五木寛之さん
世界で最も高齢化が進む日本で、私たちは老いや死をどう受け止めていけばよいのか。質の高い死について考えるシリーズの第4部では、識者の言葉から、やがて訪れる「多死社会」への向き合い方を探る。初回は、戦中、戦後を通して人と死を見つめてきた作家、五木寛之さんに聞いた。(聞き手・手嶋由梨)
高齢化が騒がれているけれども、その後に、650万人の団塊の世代が一斉にこの世から退場していくわけです。大量の要介護老人と、大量の死者が周囲にあふれかえる時代がくる。
まさに未曽有の事態です。これまでの歴史で経験したことがなく、今はまだ解決法もノウハウもありませんから、手探りでやっていくしかありません。
近代は、個人としての老いや死を問題にしてきましたが、これからは社会全体でどう受け止めていくかが課題になります。政治や経済の問題だけでなく、宗教のような、集団的思想がクローズアップされるんだろうと思います。
老いや死に対して、安らかな、落ち着いた境地があるというふうに想像するのは幻想でしょう。年老いるというのは、そんなにきれいなものじゃありません。身体が次第に崩壊していく中、肩身を狭くして生きていくことなのですから。昔は高齢者が少なかったから大事にされたが、若者より高齢者の方が多くなれば、そうはいかなくなる。
年を取ってから負う障害については、「転ぶ」ことが大きな問題になります。日本転倒予防学会に寄せられた川柳に、「つまづいて身より心が傷ついて」というのがありました。骨折するかどうかよりも先に、「どうしてこんなところでつまずくんだろう」と心が傷つくんですね。
死が突然訪れてくれば簡単ですが、多くの場合、自分が崩れゆく過程を体験しないといけない。昔は宗教があり、あの世の極楽と地獄という観念がリアルにありました。しかし今は、死ねば宇宙のごみになる感覚でしょう。
その中で、自らの人間的、肉体的な崩壊に日々直面していかなきゃいけない。介護を受ける人たちも、ある種の失意というか、痛みを感じているんだろうと思います。だから、認知症は、天の恵みなのかもしれないという医師もいますね。
僕は敗戦を 平壌 で迎え、その後何年かの引き揚げ体験のなかで、大量の死に直面しました。両親や家族も割合早くに亡くし、死を日常的なものとして受け止めてきました。
僕自身の体が不自由になって、意思の疎通も難しくなってきたときには、食べなきゃいいだろうという感覚があります。水もあまり取らないようにして、自ら枯れていけばいいじゃないかと。緩慢な退場というか、そういうのができればいいなと思います。
多くの人が、家族との絆も薄れる中で、自らの老いや死と向き合わねばならない時代です。子や孫に囲まれて、息をひきとるようなことは、もうあり得ないと思ったほうがよいのではないか。最期は、一人でこの世を去る覚悟を持たないといけない時代でしょう。
僕は、老いさらばえていく姿を、むしろ家族に見られたくない。単独死、孤独死が、悲惨だとは思いませんね。
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朝日新聞と読売新聞からの
記事とコラムです。
「火葬待ちの行列」
確かにその年代に生まれた人数が多い
ということは、おそらく
死ぬ時期も似かよっているだろうから、
団塊の世代の死者がこの数年間に
急増するだろうということですね。
話は変わりますが、
いつから火葬がポピュラーに
行われ始めたのかはわかりませんが、
昔は日本も土葬でした。
日本も、と言ったのは、
それを意識したのが、ホピと出会って
からだったからです。
ホピの人たちは、
ホピが亡くなると、ブランケットにくるんで
土葬にすると聞きました。
仏さまの姿はまさしく、
日本人が土葬で取った姿、膝を曲げて
座らせるということでした。
ホピの墓場がどうなっているのか
私には知る由もありませんが、
私は85歳の母に、
自分の父親が亡くなった時の
土葬の様子をメールで聞きました。
それは私が感じた限りでは、
何だかとても人間味あふれる見送り方でした。
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話は再び、遺体ホテル。
そして「火葬待ち」。
これはまさしくブラックユーモアですが、
(亡くなった方やご遺族をからかったりする
ものでは全くありません)
家人いわく、
そのうち火葬も順番待ちで、
ただ今は(冬の)シーズンですので、
暖かくなるシーズンオフまで
お待ち願えますか?
などと葬儀会社がメールを送ったり
するようになるかもね〜などと。
自分の(火葬後の)骨なんて、
ゴミ袋に入れて捨ててくれたらいいんですけど、
まあそうも行かないでしょうけどね、
と言った、知人である過激な
お坊さんの言葉に
激しく賛同すると言った家人です。
「つまづいて身より心が傷ついて」
という川柳。
わかりますよ、私のこの年令ですら、
何でよ〜?
ここでこんなへま、やるかぁ〜
とか、え〜、こんなこと出来ないの〜!
って思ってびっくりしたり、
がっくりしたりすることは日常茶飯事。
へまをしたり、出来なかったことよりも、
今までこんなことはなかったのに、と
感じること自体がショックなのです。
老いさばらえて‥‥
さて、あなたならどうする?!