2015年8月3日月曜日

1979年にすでに取り上げられていたタラフマラ族(ララムリ)







昨日部屋の模様替えをして、
雑誌もたくさん整理しました。

1979年と1980年、
1年分のセットを買っていた
<アリゾナハイウェイ>。

1979年のアリゾナハイウェイから、
昨日のインディアンジュエリーの特集号と、
こんな記事が載った号も見つけました。







1979年5月号。










タラフマラ族について書かれた記事。







彼らの主たる食べ物、コーンを挽く女性。







すごいトレードビーズ!!!







ビーズに関して言えば、
こんな古いトレードビーズが

欲しいのです(笑)。







これは私がブックマンで買った本。
これが出版されたのが1979年なのです。

Born To Runが出版される、
30年も前に、すでにララムリは
知られていたのですね。



ところでアリゾナハイウェイのこの号。

ララムリの物語のスタートは、
アリゾナの南に住む
パパゴインディアンの話から始まります。

彼らはかつて、数人が、
木で作ったボールを蹴って、
片道10〜15マイル(16キロから24キロ)
の道を走って競争していたというのです。

確か、日本のドキュメンタリーで、
ララムリが今でも、
木のボールを蹴って走るレースをしている
のを見ました。

アリゾナの真ん中へん、ソルトリヴァー沿い
に住むピマ族も、同じようなレースを
していたというのです。

パパゴもピマも、男女共に
裸足で走っていたのだと。

ところが記録によれば、1920年までには
もう彼らは走らなくなったと。

馬に乗るようになり、汽車が走り、
そして車がやって来て、道路も舗装された。

食生活も変化して、男も女も子供まで、
肥満になってしまったからだと。

1979年にすでに、そう書かれているのです。


ホピは今も自らを「走る民」と自認し、
セレモニーでも走るし、
地元の中高のクロスカントリーチームは
毎年優秀な成績を収めています。


でもピマやパパゴがララムリのように
走っていたことは知りませんでした。


ブンメイというやつですね。


⭐️


とまあそんなことも新たに知った、
たまには古い雑誌をめくってみるのも
悪くはないなあというお話でした。














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