「赤毛のアン」で、アンが先生になり
受け持ったクラスに一人、どうしても言うことを
きかない男の子がいて、
それまで(当時ですから)教室で<鞭>を使うことに
反対していたアンでしたが、
悩み抜いた結果、アンはその子に1度だけ鞭を使います。
すると彼は変わるんですよね。
「赤毛のアン」は小学生の時、夢中になった本。
確かピンクの箱入りのシリーズを最後までそろえて
何度も読み返したものです。
あの物語には忘れらないアンの言葉や
アンを取り巻く人々が出て来ます。
☆
大阪の市立高校で、体罰を受けていた高校生の
男子生徒が自殺したというニュースに
何ともいたたまれない気持ちになりました。
正規ではなかったですが、一時期日本で教師を
していたこともあり、
こういうニュースは身につまされます。
自分が教師だった当時も働いた学校の中には
生活主任と称した男性教師が
体罰をふるっていたシーンを今でもはっきり
思い出します。
何かで体育館に集まった時の女子生徒の座り方が
なってないと、坐っているその子の太もも
を蹴飛ばしていた男性教師。
朝礼で並んだ時、制服がおかしいと
あとで職員室に呼んだ何人かの男子生徒を
正座させて説教していた生活主任。
生徒の頭を出席簿でばんばんたたいていた
女性教諭。
私自身は体罰を受けた経験はないけれど、
教師からいじめられた経験はあります。
だから私は自分が教師になった後でも
<学校の教師>というものが好きではなかったし、
「職員室」自体も好きではありませんでした。
教えることも好きだったし、中学生、高校生くらいの
年頃のコたちって大好きでしたが、
いじめしかり、体罰しかり、
日本の学校って、ある意味聖域で、
教師の世界には独特のものがあるように思います。
私はそれが好きになれなくて、教師を続けることが
出来ませんでした。
自殺した男子生徒のお母さんが、お通夜で
体罰を加えていた教師に、息子さんの腫れた
遺体の顔を見せられた、とニュースにありました。
前の晩は普通に楽しそうに夕食をすませたという彼。
お母さんはどんなに悔しかったことでしょう。
☆
ここにも学校側、教育委員会の無責任さ・・・。
☆
それがいいかどうかは別として、
アメリカでは今やホームスクーリングが一般的です。
学校という枠組みに取り込まれない一つの
教育の選択。
日本は教育の場にあまりにも選択の幅が少ない
ような気がします・・・。
それと私たちの時代には高校は普通科か
工業科、商業科くらいしかなかったですが、
今は市立高校もこの桜の宮高校のように、
スポーツコースなどという、言葉は悪いですが、
生徒寄せコースを作っているのですね。
下手にそんなコースがあるから、
勝つことが優先されてしまう。
もちろん競技というものはある程度勝負ではありますが、
それだけが目的になってしまうと、
今回の教師のように(多分)熱血が行き過ぎて
体罰にまでエスカレートしてしまうのではないでしょうか。
殴ったから勝てるものでもないでしょうに・・・。
☆
最初の赤毛のアンの話に戻りますが、
アンは考えて考えて、悩んで悩んで、そして
やっと鞭を使おうという決断を下します。
それくらい教師が悩んだ上での<体罰>なら、
きっと生徒にもその教師の苦しさも伝わるでしょう。
だからこそアンの教え子の男の子も変わったのです。
それでもアンは悩んだのでした・・・。
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