リロイ・ホンヤクテワ。
ちょっといかついお兄さんって感じの人でしたが、
作るジュエリーは体つきに似合わず、小さなもの
が多かった(私が見たものだけですが)。
↑の写真のホピメイデンとコヨーテのピアスは
彼がたまたま仕事場に持って来たものを買いました。
(私の2010年7月11日のブログで登場しています)
いつだったか(↑の写真の下の方の)コヨーテの
ピアスをつけていたら、
お店に来て私のピアスを見て
「へぇ、いいコヨーテのイヤリングしてるじゃない」
といたずらっぽく笑っていました。
見かけによらず(ごめん、リロイ)面白くて
「いいやつ」でした。
|
ホピの本に載っているリロイのページ。
私が彼にサインをもらったのは1年半ほど前。
リーって呼んで、と笑っていました。
昨日の土曜日、元奥さんが、次のダンスで使う
鈴を買いに来ましたが、お店では今はもう、
カチーナダンスでカチーナが身につける大きな
鈴は置いていません。
14日のダンスで行くセカンドメサ、ミシャンガヴィへの
地図を描いてもらって、それをもらって突然、
彼、死んだのよ、2月に・・・。
えっ?どうして・・・。
夜、道路を渡ろうとして車にはねられて・・・。
多分即死だったんだと思う。
救急車が着いた時にはもう息はなかったって
言ってたから。
フラッグスタッフのドライヴァーたちははっきり言って
道を歩くインディアンや非白人など
目にも入らないかのような運転の仕方。
私もつれあいも歩いていて何度も轢かれそうになった
経験があります。
本当に運転のマナーも何もありません。
偶然ですが、ホピジュエリーの本のリロイの上の
ペリー・フレッドも1999年に亡くなっています。
彼のお母さんが1度お店に来たことがあり、何かで
ジュエリーの話になって、息子さんがペリーだった
ことを聞きました。
私がもうずい分前にパサディナであったインディアン
ジュエリーのショウで初めて買ったキーホルダーが
たまたまペリーのでした。 |
|
彼がヴィレッジからフラッグスタッフに出て来て
暮らすようになったのは奥さんのルーシーと
別れてからでした。
二人の間に何があったのかは知りませんが、
どうもルーシーにボーイフレンドが出来て、それで
彼は村を出たようでした。
僕は彼女をまだ愛してるんだよ。
と私に話していたリロイ。
きっとやさしい人なんだな、と思いました。
彼の顔とあの時の言葉が今も心に浮かびます。
昨日ルーシーにもそう話しました。
リロイはルーシーのお父さん、ホピオーヴァーレイ
ジュエリーの創始者の一人グレン・ルーカスから
ジュエリー作りを学んでいました。
惜しいです。
リロイ、安らかに眠ってください。
あなたの作ったピアス、大切にします。
|
0 件のコメント:
コメントを投稿