2015年9月11日金曜日

ルイス・テワニマレース 5)ションゴパヴィでバタフライダンスを見る







日曜日、ルイス・テワニマのレースが終わって、
ションゴパヴィで行われている
バタフライダンスを見に、リッキーの家に。

リサがふるまってくれたいつものシチュー。

リサにこの大きなパイレックスの
注ぎ口がついたボウルのことを
たずねるのを忘れてしまいました。








リッキーの畑で収穫したホワイトコーン
とマトンのシチュー。

一緒に行ったNくん、
この味がすっかり気に入りました。


ラーメンを入れてもいいよなあ、
などと色々とお料理の構想をぶつぶつ。

ラーメンのスープは考えつかなかったなあ‥‥。








リサがこんな大きなパンを焼いていました。

普段焼く、真ん中の六角形のパンの周りを
もう一重増やして、お花みたいです。

美味しそう‥‥。

リサからびっくりする悲しいニュースを
聞きました。

リッキーの兄さんのサムが7月初めに
突然亡くなっていたのです。


ガンだったそうですが、
サムはそれを知っていて、誰にも告げて
いなかったらしい。

前回のダンスで見た時、
顔がやけに白いというか、黄色っぽかったのを
覚えていたので、
どこのガンだったの?
とリサに聞いてみましたが、
リサもはっきり知らず、
サムがアルコールで苦しんだことを
聞いていた私は、
肝臓?

多分そうだと思う。
でも彼、もうずいぶん前に断酒してたんだよ。

あの顔色はもしかしたら、
黄疸が出ていたのかも知れません。


7月3日に亡くなって、
翌日の独立記念日に葬られたとのこと。

亡くなったのは父親のヴィクター
と同じ日で、
こんなことってあるのね、
みたいな口ぶりでリサが話していました。






バタフライダンスの歌い手だった
リッキーの正装。






きれいな色の、素敵なシャツ。

リサたちは壁を塗り替えていて、
きれいなサーモンピンクのシャツが
白い壁に映えています。

Nくんもプロのようにカッコ良く、
リッキーの写真を撮っていました。






お母さんもとっくに亡くなって、
天涯孤独になったというサムの娘さんに
あげるのだと、
リッキーの畑で採れたブルーコーンが
部屋のすみに置いてありました。







この日のバタフライダンスは、
いつもカチーナダンスを見るプラザとは
別の、女性用のプラザで行われるので
私たちもそちらに移動。

どの辺で見ようかと、うろうろしていたら、
プラザの向こう側から、
私の名前を呼ぶ、アルヴィンの姿。

レースで出会った時に、
家においで、と誘ってくれていたのです。

見つけてくれて良かった。

「北側の家」と言われても、
私にはまず方角がわからないですから。

アルヴィン宅でも「Come, Eat」の言葉に
さそわれてお家におじゃま。

こちらではマトンでなく
ビーフのシチューをいただきました。

これも美味。

アルヴィンの家は
<ウォータークランハウス>。

リッキーの家は
<ベアクランハウス>です。


レースの後でお腹が空いていた私たちは
リッキーの家とアルヴィンの家で
しっかりとご馳走になりました。


この日のションゴパヴィでのバタフライダンス
は歌い手も大勢、
きれいなコスチュームを身につけた男女が
これまたかなりの人数で踊りました。


1回だけ見て、私たちはプラザを後に。


レースを走って、そのまま同じヴィレッジで
ダンスを見ることが出来て、
しかも珍しいホピのハレの食事を味わえた
友人のNくんも大満足。

きっと忘れられない思い出になったことでしょう。





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