北アリゾナ、標高2100メートルのフラッグスタッフに10年暮らし、家族で初めてアメリカにやって来て住んだサンタフェの町から103キロ南、ニューメキシコ州最大の都市、アルバカーキに3年、そして再びアリゾナの地に戻り、サンタフェ→LA→アンカレッジ→LA→フラッグスタッフ→アルバカーキ→ツーソンと30年目のアメリカ生活は続きます
2015年2月24日火曜日
アカデミー賞とベルリン映画祭
http://www.yomiuri.co.jp/culture/cinema/cnews/20150218-OYT8T50056.html?cx_thumbnail=09&from=ytop_os_tmb
アカデミー賞が終わりましたが、読売新聞に載った<ベルリン国際映画祭報告>という記事で、2月15日に閉幕した、ベルリン映画祭の様子を知ることが出来ました。
最高賞の金熊賞はイラン映画「タクシー」。
監督は政治的理由で授賞式には来れませんでした。
イラン映画ではキアロスタミ監督の「桜桃の味」と、
「バラン(ペルシャ語で<雨>日本語タイトルは『少女の髪留め』)」くらいしか見たことがありませんが(チャンスがあれば、キアロスタミ監督作品をもっと見たいです)何と言うか、とてもいい映画でした、くらいしか凡才の私には言葉がありません。
金熊賞の次に大きな、審査員大賞を取ったチリの映画「ザ・クラブ」も見たいですねえ。
(ベルリン映画祭が)「社会派志向」へ揺り戻し、と読売新聞では書かれていますが、「世界は苦しみや経済格差などで満ちている。映画祭がそこから目をそらすわけにはいかない」と記者会見で語った、映画祭のディレクターの言葉に同感です。
相変わらず戦争映画を作り続けるアメリカ。
母親の死はそりゃショックだとは思いますが、薬中にまでなり、男を漁り、それで自分探しのハイキングに出た話なんて、世界の<苦しみ>に比べたら、何を甘えてるねん、の世界でしょう。
ロサンジェルスにいた時は、カンヌやベルリン、ベネチア映画祭で賞を取った作品を、よく独立系の映画館へ見に行きました。
ハリウッド映画は見なかったけれど、「外国」映画はよく見たものです。
フランス、イタリア、スペイン、中国、台湾、イラン、ギリシア、メキシコ映画などなど。
ハリウッド映画になくて、そういった外国映画にあったもの、それは<情、あるいは情緒>と<切なさ>でした。
それは時に政治的、社会的、経済的なことが背景にあるからかも知れません。
明るいけれど、切ない、黒白つかない感情、all or nothing ではない世界、葛藤と諦観、そういったものをしみじみと感じるわけです。
何なんでしょうね、これって。
昔、「東京砂漠」なんて歌謡曲がありましたが、こころの「砂漠」は、イランでもイラクでも、シリアでも、アフガニスタンでもなく、ほんとはアメリカにあったりして。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿