北アリゾナ、標高2100メートルのフラッグスタッフに10年暮らし、家族で初めてアメリカにやって来て住んだサンタフェの町から103キロ南、ニューメキシコ州最大の都市、アルバカーキに3年、そして再びアリゾナの地に戻り、サンタフェ→LA→アンカレッジ→LA→フラッグスタッフ→アルバカーキ→ツーソンと30年目のアメリカ生活は続きます
2015年5月9日土曜日
敬語が迷走してる昨今の日本人
S◯◯◯の中◯クンのお父様が亡くなられていたことを、中◯クンがラジオの番組で打ち明けたというニュースが載っていました。
それにしても私はこんな形ででも、書かざるを得ないと思って、ブログなんぞに書いていますが、中◯クンも42にもなって、自分の父親の死を「お父様が亡くなりました」と公共の場で言うかしら‥‥とちょっとびっくりしたわけです。
自分の家庭で、父親を「お父様」と呼ぶのは勝手です。
が、こういう場合普通は「私の父が」ではないでしょうか。
だって自分の身内のことですよね。
本来は「亡くなった」という言い方もていねいな表現らしいですが、まあそれは置いておいても、ワタシクノ「オトウサマ」はちょっといただけないのでは‥‥。
昨今特にたまたま見たりするブログでの丁寧語、尊敬語の使い方にあ然とすることが多いのは感じていました。
自分の夫や大きな子供に「〜をいただきました」「〜していただきました」はごく普通に使われていますが、〜していただくは謙譲語であり、今の時代、日本語では自分の身内には使わない表現です。
ていねいな表現をすることがとにかく敵も作らなくていい、と好まれる昨今のご時勢もあるのかも知れません。
言葉の前に、必要以上な<お>をつける。
例えばお店で食べ物を買って、アメリカ式に言えば<to go>する際に、お店の人はお客さんに当然ていねいな表現を使いますから、「お持ち帰りですか?」と聞きますよね。
でも客の本人も「はい、お持ち帰りで」と返すのは、本来おかしい表現ではないのでしょうか?
今はもう当たり前になってはいますが、でも私はどうしても自分の行動に<お>をつける気持ち悪さが捨てきれずに、「はい、持って帰ります」くらいしか言えません。
もちろん私だって使い方が今一つはっきりわかっていない言葉もたくさんあり、日本語のプロに聞いてみたいといつも思っています。
日本語の敬語はすばらしいものだと思っていますし、適切な使い方をされた時の表現は、美しいとさえ思います。
でも昨今の<ていねい過ぎる?>過剰な敬語の使い方には、ちょっと首をかしげてしまう、古〜い人間のわたくしです。
ロサンジェルスのお店で、今はどうかは知りませんが、かつては、そこの従業員なり店長なりに電話をした時、◯◯は
今日はお休みをいただいております、と言われて、はっ?とした経験があります。
従業員はたとえ店長であれ、お客様のために働いているので、休みはお客様から<いただく>ものであると、自分も働いてみて上のものから説明されたことがあり、日本ってすごいなあと思ったことを思い出しました。
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