「授業は英語で行うことを基本とする」という
高校の学習指導要領が今年度から
全面実施されるというニュースが
今日の朝日新聞のトップ記事になっています。
http://digital.asahi.com/articles/TKY201304050445.html?ref=comkiji_txt_end_kjid_TKY201304050445
どうして高校なんだろう、とすぐに私は
思ってしまいました。
始めるなら中学校からじゃないかなぁと。
それに高校英語を英語で教えられる英語教師
がそんなにいるのかしら・・・というギモンも。
すみません、きっと日本の高校の英語の先生たちは
英語の能力は高いと思うんですよね。
でも文法や読解力や和訳が優れていることと
英語で英語を教えられるということは
少し違うような気がするんです。
☆
かつてアメリカのコミュニティカレッジで、
成人した外国人に
インターミディエイトの英語を教えた経験から言って
それと後に英語で日本語を教えた経験と比べても、
英語で英語を教える方が簡単だったんですよね。
☆
かつてロサンジェルスにいた時に知り合った
男のコ。
当時学生でコミュニティカレッジに行き始めていましたが、
日本での英語の成績もめちゃくちゃなくらい下の下。
アルファベットの筆記体も書けなくて、
自分の名前をアルファベットで書くこともおぼつかない
ような<英語だめ>なコでした。
でもコミュニティカレッジでは当然
アメリカ人の先生が英語で英語を教えます。
もちろん若かったこともあったのでしょうが、
彼はぐんぐん耳が慣れて行って、
英語の成績もどんどん上がって行ったんです。
私もアメリカに来て、かつてとある英語の学校で
カレッジプリパレーションのクラスを取った時、
担当の女性教師はいきなり、テープに吹き込んだ
レクチャーを聴かせるのです。
その後、色々な質問をされます。
だから学生はメモを必死で取るわけです。
いわゆる<ノートテイキング>です。
レクチャーの内容ももう覚えてもいませんが、
1つだけ鮮明に覚えているのは
<クルマはなぜ走るのか>というレクチャー。
クルマのメカなんて日本語だってさっぱりわからない
のに、それが英語で説明されたら、
もうお手上げでした。
でもそれが続いて行くと、耳もだんだん慣れて
レクチャーの内容も聴き取れるように
なって来るんですよね。
☆
日本では何とかラーニングなどと言う英語勉強法が
さかんにコマーシャルされていますが、
言葉ってその中に放り出されて、
その言葉しか聴けない状況の中なら、人間
耳を凝らして、その言語をそのまま受け入れる
ようになるんですよね。
頭の中で翻訳するのではなく。
だからなぜ中学校からそれを始めないのか
と私は思ったわけです。
中学校の英語がきっと今でも基本なはず。
不定詞だの、関係代名詞だの、
時制、現在完了形や過去完了形、
仮定法、などなど文法の基本は確か
中学校で習いますよね。
それを英語で説明された経験があってこそ、
高校に入っても英語で行われる英語の授業に
すんなりと入って行けて、ついて行けるのでは
ないかなあと私は思うんです。
☆
話はずい分と過去に戻りますが、
70年代に出版された別冊宝島の
「道具としての英語」は
タイトルからして画期的でした。
道具は使うもの、英語もと言うかコトバって
使って、使えてなんぼ、の世界。
<使う>って結局コミュニケーションが取れる
ってことです。
ガイドをしていた時にもホテルのフロントで
何も言えない若い日本人を見て
私は今さらながらに日本の英語教育の
遅れと言うか、なってなさに愕然としたものです。
そこへ日本人独特の遠慮深さと恥ずかしさ。
アメリカで英語で生きていくには、恥も外聞もない
って思えるくらいの(性格)の人でないと
むずかしいかも・・・。
そういう私もいまだ日々英語と格闘中。
ブログに書きかけたままになっていますが、
何かのコトバを発して、
ハァ?って聞き返される時の悔しさ。
またここの人たちは外国人になれていないこともあり、
それにアメリカ人自体、想像力のかけらもないので、
アクセントの位置が違っただけで、何のことを
言ってるか、さっぱりわかろうとしない。
いわんや発音だってです。
村上春樹さんではありませんが、
やがて悲しき外国語
です。
☆
鉄は熱いうちに打てというように、
学校で英語を習い始める中学校から、
教師が話す英語に慣れて、
その「感じ」を耳に叩き込んでやっと、高校で
英語の授業を受ける用意が出来るのではないかなあ
と思います。
教師も覚悟が要りますよね。
照れはだめ。
堂々と英語で授業を進める度胸も養わないと・・・。
そうなったら中学校1年の最初の授業から
全く日本語はなしで、英語で初めたらどうでしょう。
先生は一切日本語を話さない。
廊下ですれ違っても、職員室でも、
生徒とは英語で話すっていうのは。
生徒にあの先生とは英語でコミュニケーションを
取る以外に方法はないんだって意識を植え付ける。
日本人同士でむずかしいかも知れないけど、
英語の教師になるくらいの人は
ある意味どこか<役者>かエンターテイナー
になるくらいの覚悟が必要かも・・・。
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