ギュンター・グラスは予感していたのですね、 「人類の貧困化」を。
「例えばカルカッタ」は、この昨年 (1989年でしょうか)に ローマ・クラブでの講演のために執筆 した文章を一部省略してまとめたものである、 とこの記事の紹介文にあります。
1975年に初めてインドを旅行した 時にカルカッタを見た時の衝撃を、 ギュンター・グラスが再びこの地を 訪れ、滞在したところから、 この記事は始まります。
時々刻々膨らむ世界人口の圧力は減る どころか、むしろ増大しているし、コントロール できない大都市の成長と、それに比例して 田舎の貧困化が進む結果、 スラムの数と密度はであろうから、そして この成長率は貧困を第三世界にと留めて おくことができず、それどころか境界線を 超えて今やすでにその前兆が見られる のだから、工業国が---いまだに教訓から 学ぶことをせず、ヨーロッパという 砦を夢みているらしい---この成長と それに伴う貧困化に関与することは 避けられないだろう。 別の言葉でいえば、カルカッタが 私たちを襲うだろう。
(中略)
つまり、第三世界の貧困化と昔も今も 効果的な軍拡競争とが、互いに原因であり 結果であるように、抑制のきかない工業の 膨張と、増大する環境破壊や気象変化とは、 全体として恐るべき関係にあることを 理解しなければならない。
(中略)
今すでに予兆が現れているが、今さら 腕ずくで防ごうとしても抵抗できない民族運動が、 世界とその旧来の構造を変えるだろう。 ヨーロッパ中心の、あるいは国家単位の構想 などでは、このような襲来に対して、 ただ愚かさを証明するだけかもしれない。 だが工業国がどんな反応を示そうとも、 この多くの富める高慢に対して一つのことだけは 今から言っておかねばならぬ。 カルカッタはドアの前に立っていて、 避けることはできない。
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新聞で昨今の日本の貧困家庭の子供たち のおかれた状況の痛ましいニュースを見るたびに、 あるいはベルギーの、移民が集まる 貧民街に住んでいた、 フランスで起こったテロの犯人たちのことを ニュースで知るほどに、 ギュンター・グラスのこの予言と言うか 予告は当たっていたと感じざるを得ません。
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何の検索もせず、この町の事情も何も知らずに、 1度目に見て即決した、 私たちが引っ越したアルバカーキのアパート は下の中か上と言ったところの代物でした(苦笑)。
ひどい管理、ひどいマネージメント。
特に私たちが引っ越したユニットがある 建物は特に子供が多くてうるさい。
でもね、アパートの敷地内には小さな公園があり、 子供たちはそこで日々 大声を出して遊んでいます。
家人いわく、ゲームも買ってもらない んだなあ、きっと。
確かにそうかも知れませんが、 少なくても、彼らが外で無邪気に 滑り台を滑り、砂場で遊んでいる。
それって何だか懐かしい光景です。
世界も人間も一体何が不幸で 何が幸せなのか。
そんなことを考えさせられた、 ギュンター・グラスの言葉でした。
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