たまたま見つけた記事にあった、ある言葉 に思わず笑ってしまったのが、 今日のブログを書こうと思った発端です。
この本、読んだわけではありませんが、 もしかしたらこの<50の教育法>の中の1つ
に入っているのかも知れません。
私がその記事を読んだのは <ダイヤモンドオンライン>ですが、 元々dot.という週間朝日やアエラなど 朝日新聞系列の雑誌の記事を扱うサイト に載ったものでした。
つい昨日もたまたま家人と 女子中学生を誘拐して監禁していた 千葉大学の学生だったという犯人の話 から始まって、 3人の息子を東大に入れた母親 の話をしていました。
恋愛は不必要などと母親に叩き込まれて <純粋培養>された子供の、 大学入学後ってどうなんかしらねえ、などと。
日本人って「脇目もふらず」とか「まっしぐら」 「⚪️⚪️あるのみ」って大好きですよね。
そのあまりにもの余裕のなさと徹底主義 が第2次世界大戦での天皇は神→神風攻撃 と突き進んで行ったわけです。
特にスポーツの世界ではいまだに そういう教え方、指導の仕方って まかり通っているのではないでしょうか。
しかし、最大の違いは「受験に恋愛は不要です!」と言い切った佐藤ママに対し、アグネス・チャンは、「恋愛は大切な受験経験」ととらえていることだ。
頭の良さはもちろん、内面の充実も重視してきたアグネス・チャンにとってこれは自然なことらしい。異性との付き合いを否定すると、子どもは恋愛に対して臆病になってしまい、健全な男女関係もつくりにくくなってしまうからだという。
私もアグネス・チャンの考え方に賛成です。
多感な高校時代に異性との出会い、
甘くて苦い恋愛体験の1つや2つは
起こり得ることですよね。
そういう自然な性的な感情を
頭から押さえつけてそんなものは不要
と洗脳する母親。
受験のためなら、東大入学のためなら
他のすべてを犠牲にして取り組みなさい
と母親から言われて受験生活を送った男子が
いざ大学に入ったからと言って、
すんなりと異性とのいい人間関係を構築
出来るのでしょうか。
そのため、子どもが9歳ぐらいになるごろから男女のホルモンの違いを話し、それが思春期特有のイライラにもつながることを説明し、中学生になる前には性教育もきちんとしたという。中学生になってからは、健全で安全なセックスについても話し合ったというから、かなりオープンな家庭だったといえる。三人の息子は、みなアメリカの高校に留学しているが、日本を発つ前には「No Drinking, No Drugs, No Babyね!」といって送り出したという。
こういうのは欧米的と言えますよね。
私が笑ったのは、
「No Drinking, No Drugs, No Babyね!」の
<No babyね!>です。
アメリカだって高校、大学での
飲酒もドラッグも大問題です。
そこへもってティーンエイジャーの妊娠、
出産も日常茶飯事に近い。
子供を海外に留学させるという
たいていの親ならお酒とドラッグのこと
には言及するかと思いますが、
No Babyと言ったところがさすが、
アメリカの事情をよく
わかっていての言葉だなあと感心したわけです。
No Girl(あるいはNo Sex)ではなく、
No Baby。
勉学の途中で<親>にはなるなと。
息子にでも娘にでも釘をささないといいけない
のはここなのですよね。
子供が成長する上で、性に関しては
避けられないことであり、
それをはなっから不必要と切り捨てて、
あまりにも<純粋培養>で育てられた子供、
特に男の子の将来がちょっとコワい
気がしませんか?
願わくは性に関する考え方や捉え方
が「歪ん」でしまわないことを。
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