2019年1月15日火曜日

Romaを観る








月曜日、ROMAが観たいなあ、と思いつつ
アルバカーキではとてもロードショウ
はないだろうと、何気なく
サンタフェで検索したら、
何とやっているではありませんか。


少し前に「万引き家族」を観に行った
サンタフェにあるCCAという
オーガナイゼーションです。


翌日(本日)は家人の仕事がオフ。
ということで急遽、
サンタフェに行くことにしたのです。


出かける前に確認の電話をしたら、
(電話をかけて正解でした)
ROMAが観れるのは別のロケーションで、
慌ててグーグルマップで検索してから出発しました。



私は極めてせっかちな人間なのですが、
だからこそ初めての場所に行く時は
たっぷり時間の余裕を持って
家を出たいタイプです。


特に映画を観に行く時は
ばたばたと映画館に着いて、急いで
座席につくなんてことはいやで、
何事もゆっくり済ませて
座席に座ってリラックスしたいのです。


家人は真逆で、待つのがいやなので、
オンタイムに着きたい人。


ところが今日は家人のせいで
アパートを出たのは12時15分。
サンタフェまでほぼ1時間。
着いたとしてもギリギリです。


フリーウェイを降りて、
グーグルマップで調べた通りに車を進め
ましたが、シアターへ向かう最後の道が
走っても走っても出てこない。


途中で歩いている人やたまたま出てきた
スリフトショップのパーキングでも聞きましたが
誰も知らない!


ついに小さな信用金庫を見つけて
中に入って聞きました。
すると受付の一人の女性があそこじゃない?
と教えてくれて、そこを目指してまた走る。


シアターというのはアート&デザイン大学
のキャンパスの中にあったのですが、
広いキャンパス、どのドアも閉まってるし、
誰も歩いてもいない。


一人見つけた男性にたずねると、
彼が行き方を教えてくれましたが、
今一つわからない。


もう観るのはあきらめて、
とりあえず場所だけでも確認できたらと
男性が話していた感じの道を走ってみたら
あったのです。


一旦はあきらめましたが、
シアターのドアを開けてみると、
これがまた立派なワイドなスクリーン。


そのまま一番前のシートにもぐりこみました。










映画が始まるとスクリーンはぐんと
横に広がります。








広々とした立派な館内。








これがその、迷いに迷ってやっと見つけた
建物です。








見逃したシーンを観たくて、
断ってから2回目の上映の最初の15分ほどを
観てから帰途につきましたが、
結局映画自体のミスした部分は5分ほどでした。



⭐️⭐️⭐️



映画は1970年初頭のメキシコシティを舞台に、
あるドクター一家の住み込みのお手伝いさん
兼ナニーとして働くインディオの女性を中心に
当時のメキシコの社会情勢なども織り込んで
物語は進みます。


監督のアルフォンソ・キュアロンの
半自伝的と言えるストーリー。


彼自身学者の家に生まれた超がつくエリート
ですが、映画の説明では
メキシコシティの中産階級の家を再現
とあり、では
上級階級の家ってどんななの?
と思うくらい大きな家です。


今もそうでしょうが、貧富の差の激しい
国の現実の一端を見ます。


家族は全員全くの白人で、
クレオという名前のナニーは褐色の肌、
もちろんインディオで
オハカ出身です。


アメリカのレストランで働くメキシコ人には
オハカ出身者が多いのですが、
こういう時代の「召使い」もやはり
オハカ出身なのでした。


このクレオ役の女優さんの顔つきが、
昔訪ねたオハカで見かけた女の子や
女性を思い出してしまうくらい
(私の中では)典型的なインディオ女性で、
演技をしてるとは思えないくらい自然なんです。


それにしても路上を走る車、
メキシコシティの町、
映画館で上映される映画、
病院の設備等々、
完璧に70年代を再現していて、
これにも圧倒されます。


キュアロン監督は映画の最後に出る
タイトルバックで< For LIbo >
とナニーに捧げたものであることを表現していますが、
確かにこの頃彼女は子供たちの両親の役目を
果たしていたとインタヴューでも話していて、
彼女と写った写真も載っていました。


貧しいオハカから都会に出て来て、
女性解放運動も女性の地位向上とも無縁の世界で
ひたすら家事と子供たちの世話に自分を
捧げた一人の女性の物語を語ることで
キュアロン監督は何を訴えようとしたのか。


そこに何のメッセージはなくても、
私たち、特に女性に訴えかけられるものは
大きく深いと思います。












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