以下はニューズウィーク日本版からの記事です。
「こんまり式」はもう古い!? スウェーデン式の断捨離「死のお片付け」とは?
自分の死後を想像して進めるお片付け
著書「人生がときめく片付けの魔法」が英語に翻訳されて以来、近藤麻理恵氏の「ときめく」片付け法は世界的なトレンドになった。しかし今、英語圏で「こんまり式はもう古い!最新のお片付け法はこれ」として話題になっているものがある。スウェーデン発の「死のお片付け」だ。
スウェーデン語の「döstädning」をもとにしており、英語では「Death Cleaning」と呼ばれている。デイリーメールによると「dö」は「死」、「städning」は掃除を意味する。「死」とはなんとも不吉な響きだが、このお片付け法のポイントは、遺品整理のように遺族がするものではなく、自分が死んだ後を想像しながら自分のものを整理するのだ。つまり、遺品を整理する人の立場を考えて、その人たちにとって負担になりそうなものはどんどん捨てましょう、というのが基本的な考えのようだ。
実は筆者は数カ月前に十数年ぶりに引っ越しをした。その荷造りで改めて自分の所有物の多さに圧倒されてしまい、ふと、自分が死んだ後にこの荷物は一体誰が片付けるんだと考えて絶望感に似た感情に襲われてしまった。誰に対してでもなく申し訳ない気持ちになり、少しでも断捨離が進んだ気がする。なので、スウェーデン式の「死のお片付け」はとても納得がいく。
「これをとっておいたら誰かが喜んでくれる?」
英語圏で話題になっている「死のお片付け」は、スウェーデン人アーティストのマーガレット・マグネソン氏が書いた本「The Gentle Art of Swedish Death Cleaning: How to Free Yourself and Your Family from a Lifetime of Clutter」がもとになっている。出版は来年の1月なのだが、すでに英語圏のメディアでは多数取り上げられており、オーストラリアのニュースサイトNews.com.auでは「試してみた」という体験記事が掲載されている。
こんまり式のお片付けは、自分がときめくか否かで捨てるかとっておくか決めていくが、デイリーメールによると「死のお片付け」は、「私がこれをとっておいたら誰かが喜んでくれるか?」と自問するのが捨てるか否かのポイントとなる。ただしこんまり式同様、洋服から始めることをアドバイスしている。これは、個人的な思い入れが他の物と比べて少ないため早く進められるから、という。
米雑誌「ピープル」とのインタビューでマグネソン氏は、「死のお片付け」を経ても捨てずにとっておいた物が詰まった箱の存在について語っている。手紙や写真など個人的な思い出の品で、つまり自分には意味のあるものだが、いくら家族と言えど自分以外の人には不要な物だ。自分にもしものことがあったら、家族はこの箱に何が入っているかを吟味することなく捨てていいことになっていると言う。
ヒュッゲに似た考え方
デイリーメールによると、この本はマグネソン氏がこれまで両親や夫など近しい家族を亡くした時の経験をもとに書いたものだ。「大切な人たちに負担を残したくない」という思いが出発点らしいが、自分の死に向けた準備と捉えると、日本語の「終活」に少し似ているようにも思える。ただし、終活が死に向かった身辺整理であるのに対し、「死のお片付け」は、「死」を意識はしているものの、より快適に生きることを目指したもののようだ。米雑誌「アメリカン・ハンディマン」が「ヒュッゲに似た考え方」と書いているのもそのためだろう。
デイリーメールは、死がまだまだ先だと思える若い人を含め、「死のお片付け」はあらゆる年齢層が取り入れるべき考え方だというマグネソン氏の言葉を紹介している。「『死のお片付け』を40歳から始める必要はないけど、(たとえ40歳でも)つい物を集めてしまう癖を考え直す必要はあるし、整理整頓を始める必要はある」。
ピープル誌とのインタビューでは、「死のお片付け」を始める年齢として65歳くらい、と話しているが、早すぎることは決してない、とも述べている。現在80代というマグネソン氏は、同サイトに掲載されたビデオの中で、これまでずっと「死のお片付け」をしてきたと言い、「いつ死ぬかなんて分からないから、死のお片付けはずっと続きます」と語っている。
⭐️
「死のお片づけ」とはちょっと引いてしまう
表現ですが、読んでみるとなかなか
表現ですが、読んでみるとなかなか
理にかなった、納得のいく断捨離、
身辺整理方法です。
身辺整理方法です。
「私がこれをとっておいたら誰かが
喜んでくれるか?」
と自問するのが
喜んでくれるか?」
と自問するのが
捨てるか否かのポイントとなる。
う〜ん、確かにねえ。
私は日本に帰るたび、
母のたんすの中の着物や帯を見ては
ため息をついて、
その中でも高価ではないもの
を取り出しては
着物や帯の端切れで小物を作る、
母も知る私の友人の名前を出して
◯◯ちゃんにあげてはどうかしら?
と言ってみますが、
返事はいつでもノー。
お母さんが死ぬまでは置いておいて。
もう彼女もそして私も袖を通すこともない
着物や帯を処分して、
大きな重いたんす類も今のうちに処分
しておいてくれた方が
残されたものには助かるのですけれどね。
もののない時代に育った昭和一けた世代、
なかなか「死のお片付け」
の発想と心境にはなれないのでしょうね。
でも私は母の世代ではないのです。
母親が残したものを見て
一人息子がため息をついて、
うんざりさせたくはありません。
さあ、私も真剣に「死のお片づけ」
を始めないといけません。
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