2017年3月20日月曜日

石原慎太郎と片岡義男、ロッキードから豊洲


今日の朝日新聞の記事
石原慎太郎・元東京都知事(84)が、豊洲市場問題について都議会の調査特別委員会(百条委員会)で証言した。なぜ、土壌汚染が残るガス工場跡地を移転先に選んだのか。証人喚問は石原氏で一区切りを迎えたが、多くの謎が残ったままだ。
    「残念ながら私、全ての字を忘れました。思い出せないことが多々ある」。濃いグレーのスーツを着た石原氏は冒頭、2年前の脳梗塞(こうそく)の影響で記憶にあいまいな点があると明かした。石原氏側の要望で質疑の予定時間は当初の3時間から1時間に短縮され、体調を考慮して医師も同行した。
     質疑の間にはたびたび手元のメモに目線を送り、質問が長くなると目をつぶって天を仰いだ。2011年に560億円で豊洲市場用地を購入した契約などの具体的な経緯を尋ねられると、「担当者に一任していた」などの説明を繰り返した。
     ログイン前の続き「部下に適切な指示を下すのがトップの役割では」と問われると、「行政というのは一人の人間が仕切ってできるものではない。私はいちいち細かい問題を詮索(せんさく)する立場でもありませんし、見識もない」と話した。
     「記憶にないものはない。私は何をすべきだったとおっしゃるんですか」と気色ばむ一幕もあったが、かつて強気な発言でたびたび物議を醸した「石原節」はやや控えめで、時折、言葉に詰まりながら証言した。
     





先日読み始めたとブログで紹介した
片岡義男の「日本語で生きる」
を読了しました。



1999年、世紀の変わるほんの数日前に
出版されている本なので、
さすがに多少の時代感覚のずれ
を感じる部分があるとは言え、
読み進めるにつれ、
赤い横線が増えていきました。



取り上げたい箇所や点はいくつもありますが、
第3章の8つに分かれた論題のタイトル、
最後から2番目の
<嘘と隠蔽の国>を読んでいて、
豊洲市場についての証人喚問に出席した
石原慎太郎を想定して書かれたような
表現がいくつもあり、愕然としました。



片岡義男いわく、


主観と客観のダブルスタンダードの社会では、
複雑なことを正面からきちんと
論理の筋道をつけて喋ったり
書いたりするという、
言葉による説明能力は敵となる

‥‥私的な損得にかまけ続けるという実態が、
こうして拡大されていく。

自分にとってもっとも好ましい都合
とは、一定の効果を生むために自分が
引き受ける負担が、可能なかぎり小さくて
軽いことだ。
‥‥楽をするための必須条件は、なにか。
事実というやっかいなものを、
いっさい見ずにおくことだ。

責任を負うなんてとんでもない、
リスクはまっぴらだという信条は、
事実に関して完全に無知な状態を作り出す。
認識は恐ろしいまでに甘く、
ゼロに近くなる。
隠しておいて嘘をつくという状態も、
可能なかぎり楽をしたいという、
自分の都合から発生してくるものだ。



✨ ✨ ✨


ロッキード事件の時の小佐野賢治が喚問の際に
何度も発した「記憶にございません」は、
石原慎太郎に受け継がれ、
今回の豊洲市場問題での証人喚問で
「記憶にない」を連発。


<記憶にない>って
英語にしたら I have no memory.
でしょうか。

これって質問の答えとして
筋がとおっているのでしょうか。


例えばアメリカで上院議員が証人
である誰かに質問をして、

I have no memory.

って答え方って存在するのでしょうか。


主語があいまいな日本語であっても、
少なくても、「それに関しては
(私は)覚えておりません」
程度には答えるべきではないでしょうか。


「記憶にない」を連発したからって
誰もあなたに記憶がないとは
思ってはいませんよ、石原慎太郎さん。

それよりも何も、あなたの心象を
悪くするだけですよ。



それにしても結局責任の所在から
何もかもが<あいまい>で終わってしまう
という、いまだにあいまいな国、
日本なのでした。

















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