息子が来る前にタイミング良く出版された 村上春樹のエッセイ「職業としての小説家」。
買って来てもらったのを、 やっと今日読み終えました。
あちこちでいろんな方が書評的なことを 書いていらっしゃるはずなので、 長年村上春樹ファンである私の
ごくごく個人的な感想です。
小説の書き方などの彼の個人的な方法や、
考え方や説明などの描写が多い章は除き、
彼の小説家としてのデビューから アメリカの出版界に打って出た経緯などを 読んで、 今さらながらに思ったのは、 彼が日本で群像新人賞を取ってから日本で、 日本の文学界、出版界で経験した 様々なことはまさに、日本の中の 悪しき<いじめの構造>ではないか ということです。
このエッセイの中ですら、
彼は極端とも言える、
「僕個人の〜〜です」とか
「個人的には」等の表現を多く使っている
ように感じます。
それは過去のきついバッシングから身を
守るために彼が身につけた、
あらかじめ置かれたクッション
のような気がするのは
考え過ぎでしょうか?
私の11月6日のブログでは、
このエッセイの中の学校教育についての
村上春樹の感じ方、見解などについて
書かれていた部分の抜粋を載せましたが、
彼は学校時代は本を読むことに
<逃げ場>を見つけ、
作家になってからは<外国、アメリカ>に
活路を見出そうとしたわけです。
⭐️
出る杭は打たれる
という言葉通り、他者と違う、他者より
何かが目立つというだけで
はじき出される学校、そして社会。
はじき出されるならまだしも
いじめられて、逃げ場もなくて、
追いつめられて、心も体も傷つけられて
死にいたってしまう。
安保や辺野古にうつつを抜かす前に
真の日本の未来のために
やること、他にあるでしょう、政治家たちよ。
この国の当主よ。
未来を作るのは今の若者、
そして子供です。
学校教育です。
彼らのことを一番に考えるべきでしょう。
⭐️
エッセイの感想からは離れてしまったかも
知れませんが、
「職業としての小説家」
ちょっと感動してしまいました。
春樹さん、ありがとう!
|
0 件のコメント:
コメントを投稿