✨今日の沖縄新報のコラムから✨
自分の家の敷地内で墜落事故が発生したら、誰もが事故原因や加害者の責任を追及するだろう。しかし今回のオスプレイ墜落事故では、その原因究明どころか現場にすら捜査関係者が入れない
▼第11管区海上保安本部は米側に捜査協力を申し入れているが、日米地位協定に阻まれ、十分な捜査ができない状況が続く。次々と現場から運び出される機体の残骸を、遠くから眺めるしかできない
▼「海の警察」である海保がそのような状況に置かれる中、「陸の警察」である県警はどうか。墜落現場で米軍の規制線の外側に県警が規制線を張り、機動隊が警備している。警備といっても米軍の指揮下で住民側の立ち入りを規制していることに違和感を覚える
▼そんな状況下で沖縄を訪れた若宮健嗣防衛副大臣は「人けのない所に落ちた」「不幸中の幸い」などと発言。米側に捜査の申し入れをするわけでもなく、操縦士を称賛するような発言は、向き合うべき問題を見誤っている
▼地位協定も米軍や県警が規制線を張る根拠となっている、事故現場の立ち入り規制の手続きを定めた指針も、日本の主権を侵害している。植民地的な主従関係の元凶だ
▼「米軍政府はネコで、沖縄はネズミ。ネズミはネコの許す範囲でしか動けない」。米軍統治下のワトキンス少佐の発言だ。米軍と日本政府に置き換えると、変わらない本質が見える。
▼「海の警察」である海保がそのような状況に置かれる中、「陸の警察」である県警はどうか。墜落現場で米軍の規制線の外側に県警が規制線を張り、機動隊が警備している。警備といっても米軍の指揮下で住民側の立ち入りを規制していることに違和感を覚える
▼そんな状況下で沖縄を訪れた若宮健嗣防衛副大臣は「人けのない所に落ちた」「不幸中の幸い」などと発言。米側に捜査の申し入れをするわけでもなく、操縦士を称賛するような発言は、向き合うべき問題を見誤っている
▼地位協定も米軍や県警が規制線を張る根拠となっている、事故現場の立ち入り規制の手続きを定めた指針も、日本の主権を侵害している。植民地的な主従関係の元凶だ
▼「米軍政府はネコで、沖縄はネズミ。ネズミはネコの許す範囲でしか動けない」。米軍統治下のワトキンス少佐の発言だ。米軍と日本政府に置き換えると、変わらない本質が見える。
1960年に締結された
新安保条約の中の日米地位協定という
不平等協定により、
沖縄は今もこんな無念な思いを噛みしめています。
「人けのない所に落ちた」
「不幸中の幸い」
だとのたまわる防衛副大臣。
これはそっくりそのまま
あの米軍トップが発した
「感謝されるべき」という言葉と同じ
発想から出たものでしょう。
アナタ、どちら側の人間なの?
と言いたいです。
今の日本で、曲がりなりにもと言うと
語弊がありますが、
抵抗運動が続いているのは
沖縄ぐらいでしょう。
若い女性や少女が米軍兵士に襲われて
傷つけられる、
道路で米軍兵運転の車に轢き殺される、
訓練機がいつどこで落ちるかもわからない、
そしてこのどでかいオスプレイだって、
現に落ちた‥‥。
彼らには命がかかっているのです。
この1つ前のブログに書いた、
スベトラーナ・アレクシエービッチさんが
言うところの
「日本には抵抗の文化がない」。
ないわけではないのですが、
抵抗運動が国をあげての大きなうねり
となって、政府や政権を倒す、
あるいは大きく動かす、
ところまでには盛り上がらない。
それって何なんでしょう。
「喉元過ぎたら熱さを忘れる」
「長いものには巻かれろ」
「出る杭は打たれる」
こういった日本に伝わる古くからの
ことわざや言い回しが、
「抵抗」をしない日本人を作り上げたのか。
あるいは「抵抗」をしない日本人的文化の
中からこういう言葉が生まれたのか。
米軍政府統治下に軍政府政治部長だった
ワトキンス少佐の言葉、
「たとえば軍政府はネコで沖縄は
ネズミである。
ネズミはネコの許す範囲でしか
遊べない」
まあ何という傲慢な表現でしょう。
いくら統治国と被統治側を例えるにしても
下品です。
米軍の<統治>は終わったにしろ、
沖縄に対するアメリカ側の意識は
全く変わっていない。
Get up, stand up, stand up for your rights!
Get up, stand up, don't give up the fight!
と歌ったのはボブ・マーレーでした。
沖縄のために
日本の民主主義のために
東電の尻拭いなんてしたくないと
日本の国民は立ち上がらないと!
立ち上がってほしいです。
「人けのない所に落ちた」
「不幸中の幸い」
だとのたまわる防衛副大臣。
これはそっくりそのまま
あの米軍トップが発した
「感謝されるべき」という言葉と同じ
発想から出たものでしょう。
アナタ、どちら側の人間なの?
と言いたいです。
今の日本で、曲がりなりにもと言うと
語弊がありますが、
抵抗運動が続いているのは
沖縄ぐらいでしょう。
若い女性や少女が米軍兵士に襲われて
傷つけられる、
道路で米軍兵運転の車に轢き殺される、
訓練機がいつどこで落ちるかもわからない、
そしてこのどでかいオスプレイだって、
現に落ちた‥‥。
彼らには命がかかっているのです。
この1つ前のブログに書いた、
スベトラーナ・アレクシエービッチさんが
言うところの
「日本には抵抗の文化がない」。
ないわけではないのですが、
抵抗運動が国をあげての大きなうねり
となって、政府や政権を倒す、
あるいは大きく動かす、
ところまでには盛り上がらない。
それって何なんでしょう。
「喉元過ぎたら熱さを忘れる」
「長いものには巻かれろ」
「出る杭は打たれる」
こういった日本に伝わる古くからの
ことわざや言い回しが、
「抵抗」をしない日本人を作り上げたのか。
あるいは「抵抗」をしない日本人的文化の
中からこういう言葉が生まれたのか。
米軍政府統治下に軍政府政治部長だった
ワトキンス少佐の言葉、
「たとえば軍政府はネコで沖縄は
ネズミである。
ネズミはネコの許す範囲でしか
遊べない」
まあ何という傲慢な表現でしょう。
いくら統治国と被統治側を例えるにしても
下品です。
米軍の<統治>は終わったにしろ、
沖縄に対するアメリカ側の意識は
全く変わっていない。
Get up, stand up, stand up for your rights!
Get up, stand up, don't give up the fight!
と歌ったのはボブ・マーレーでした。
沖縄のために
日本の民主主義のために
東電の尻拭いなんてしたくないと
日本の国民は立ち上がらないと!
立ち上がってほしいです。
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