国歌演奏時の選手の姿勢話題に ついにMLBでも?
今アメリカのスポーツ界ではゲーム開始前に行われる国歌演奏の時に選手たちがどのような姿勢をとるかに注目が集まっている。
事の発端はプロアメリカンフットボールNFLのサンフランシスコ・49ersに所属するクオーターバック、コリン・キャパニックによる行動だった。先月26日に行われたプレシーズン・ゲームでの国歌演奏時に普通は直立不動の姿勢がとられるが、キャパニックはベンチに座り続けたのだ。
この行為をキャパニックは黒人など人種的少数派を抑圧している国の国歌や国旗に敬意を払うことはできないという抗議を示したのだと説明している。
この件はすぐに大きな話題となった。直後は「チームや競技に対して失礼」という批判が多かった。しかし憲法で保護された「表現の自由」を理由にキャパニックの行動を擁護する声が退役軍人などから挙がるようになり、ついにはオバマ大統領も5日行われた記者会見で、「彼は、憲法で保障されている表現する権利を行使している。スポーツ選手がそうした行動に出るのには、長い歴史があると思う」、「私は彼の真摯さを疑っていない」と話すまでになったのである。
そして元々黒人を始めとした人種差別に対する抗議行動が活発になっていたこともあり、この国歌演奏時の抗議姿勢がスポーツ界に広がっているのだ。キャパニックは今月1日のゲーム以降、国歌演奏時にフィールドにひざまずく姿勢を取るようになり、同じような行動を起こす選手がリーグ全体に広がりつつある。さらにはメキシコ五輪時の表彰式でとられた抗議姿勢である右手を突き上げる姿勢をとる選手も出てきた。またサッカー女子アメリカ代表のミッドフィルダー、ミーガン・ラピノーが女子プロリーグ、NWSLの試合前の国歌演奏時にやはりフィールドにひざまづいている。
9.11から15年、NFLの選手たちは「愛国」と「差別への抗議」の間で揺れた
ペイトリオッツ
2001年の同時多発テロから15年となる9月11日のナショナル・フットボール・リーグ(NFL)。サンフランシスコ49ersのクォーターバックQBコリン・キャパニック(28)が、人種の不平等などを訴えて国歌斉唱を拒否した直後、NFLの選手たちは、政治と無関係ではいられなかった。
シアトル・シーホークスの選手たちは、国歌斉唱の間、腕を組んで立っていた。対戦するマイアミ・ドルフィンズの何人かは、9月8日のデンバー・ブロンコスのブランドン・マーシャルにならってひざまづいた。
⬆️の記事はそれぞれ日刊スポーツと
ハフィングポストからですが、
ハフィングポストの記事では
それぞれのプレイヤーが
取った行動の写真が掲載されているので、
見て欲しいと思います。
サンフランシスコ49ナーズのクオーターバック、
コリン・キャパニック選手の行動が
波紋と賞賛を呼び、
他の選手にも広がっていました。
9月8日の試合でのデンヴァーブロンコウズ
のラインバック、ブランドン・マーシャル。
ドルフィンズの3選手はフィールド
にひざまづき、
カンザスシティチーフスのマーカス・ピーターズ
は握った拳の右腕を突き上げ、
ニューイングランドペイトリオッツ
のマーテラス・ベネットとデヴィン・マッコーティ
も国家斉唱の間、右腕を突き上げていました。
✨✨✨
1968年のメキシコでのオリンピック。
男子200M走で1位と3位だったアメリカ
の黒人選手が、優勝台で
黒い手袋をはめた手を突き上げた、
あの写真は衝撃的でした。
1968年と言えば、キング牧師が
暗殺された年でした。
✨✨✨
当然のことながら、キャパニック選手の行動
には賛否両論出ていますが、
これがサンフランシスコだったというのも
ちょっと興味深くはあります。
チームは「宗教や表現の自由をうたう米国の
精神に基づき、個人が国家斉唱に参加するか
しないか選択する権利を認める」
と声明を出し、
NFLは声明で、演奏中に選手が起立する
ことを推奨するが強制ではないと指摘した。
(以上ウィキペディアより)
49ナーズの声明も羨ましいですが、
NFLも寛容ではないですか。
<人間は犬に食われるほど自由だ>
と言ったのは藤原新也ですが、
アメリカは「国歌を支持しない行動を認める」
くらい(やはり?)「自由」な国だったので
しょうか‥‥
アメリカでMLBの試合を、
球場に足を運んで何度となく見て
来ましたが、例えキャンプの時の
練習試合でも、
試合前に国家斉唱は必ずあり、
あれが実はあまり好きではありません。
まわりはみんな帽子を取り、
右手を胸にあてている中、
日本人である私がそんなポーズを取ること
にも違和感を感じ、
世界で、特に中東で何が起こっているかを
見たら、とてもそんな行動は取れない私は
いつもい心地の悪さを感じるのです。
✨✨✨
ところで19歳の母親から生まれて
白人の両親に養子に出され、黒人でありながら
白人の親のもとで育ったコリン・キャパニック。
アメリカでは養子がさかんなので、
白人の母親が例えばアジア人の子供や
アフリカ人(らしき)子供を連れている光景
はよく見ますが、
見る方としては違和感を感じてしまいます。
それは私が日本人だからかも知れませんが。
自分の文化的バックグラウンドとは
全く違う親に育てられるということって
子供自体に何か精神的齟齬は生まれないのか、
それが人格形成に影響はしないのか、
そんなことまでつい考えてしまいます。
✨✨✨
ところで19歳の母親から生まれて
白人の両親に養子に出され、黒人でありながら
白人の親のもとで育ったコリン・キャパニック。
アメリカでは養子がさかんなので、
白人の母親が例えばアジア人の子供や
アフリカ人(らしき)子供を連れている光景
はよく見ますが、
見る方としては違和感を感じてしまいます。
それは私が日本人だからかも知れませんが。
自分の文化的バックグラウンドとは
全く違う親に育てられるということって
子供自体に何か精神的齟齬は生まれないのか、
それが人格形成に影響はしないのか、
そんなことまでつい考えてしまいます。
アメリカの自由と愛国心?は難しいですよね。
返信削除あれだけの人がいるわけですし。
誰の為の?と思ってしまいます。
私もアメリカで家族を見て違和感を覚える事が何度かありました。
右手を上げての講義は教科書に載っていたくらい有名な話ですよね…。
私の友人が教えてくれたのですが、
こちらの人の話は知らなかったので。
http://www.imishin.jp/peter-norman/?ref=fb
ちょっとブログな内容とは違ってしまいますが。
みと
みとさん、コメント、ありがとうございます。
返信削除私もこの銀メダルを取った選手のことは全く知りませんでした。
オーストラリアの<白豪主義>のことは知ってはいましたが、
ピーター・ノーマンがオーストラリア人だったことは元より、
彼のこんな意思と、その後彼が辿った人生についても全く
知りませんでした。
彼の葬儀で、彼のお棺を担ぐ、かつて同じ表彰台に立った二人の
アフリカンアメリカン、トミー・スミスとジョン・カルロス。
この写真はショックでした。
と言うか、思わず目がうるみました。
トミーとジョンはどんな思いだったかと想像して‥‥。
貴重な記事をシェアしてくださって、ありがとうございました!
ところで、オーストラリア政府もアメリカ政府がインディアンに
施したのと同じような政策を取って、アボリジニの子供たちを隔離
して寄宿学校に入れたりしていたのですね。
朝日新聞の記事で見ましたが、「ワンロード 現代アボリジニ・アートの世界」
という展覧会が、10月1日から千葉県市原市で始まりますね。
写真で見ただけでも、どの絵もすばらしいです。
私、行けるかなあ‥‥。