著者のことば 西部邁さん 最後まで貫いた自己
21日に入水して死去した保守の評論家、社会経済学者が、最後に放った文明論、人間論だ。死の10日前に、取材に応じた。「不完全な人間の作り出すイノベーション(革新)に、安直に飛びつくな。新しい便利なものをいずれは受け入れるにしても、一番遅れてでいい。僕の保守思想は、生活者の常識のような、普通に生きて死のう、という程度のものなのです」
近代は、物事を形式と数量に還元して把握する、技術の文明だ。価値尺度は利便性だけとなり、人間精神の繊細さ、つまり文化は圧倒されている。「近代(モダン)とは模型(模倣=モデル)が流行(モード)する時代のこと」。その近代に、戦後日本は過剰適応してしまった。
戦後の保守派が支持してきたアメリカ、革新派が支持したソ連は、近代主義を「個人主義的に実現するか集団主義的にやったかで、根本は同じ」。どちらも、歴史や伝統から離れるほど、「自由、平等、友愛に近づくと見なしてきた」。ところが、共産党の独裁だけではなく、「民主主義も容易に衆愚政治へと陥る」。
さらに、アメリカを頂点とする資本主義については、「マルクスの理論はうそだが、気分は正しい」。資本主義は、何もかもを商品にして、費用対効果に還元する。「そんな下品な世の中は住むに値しない」
近代の毒に抗するために大切なのが、「慣習の奥底から、その都度、発見される歴史の知恵。つまり伝統」だという。伝統とは「理想と現実の間のバランス感覚」であり、特定の制度やもののことではない。
あるべき国家像を、仏の作家、カミュが論じたギリシャ神話の「シジフォス」になぞらえた。「国家は、永久に伝統を見つけ続ける作業を繰り返さなければならない。歴史を大切にして、おおまかな国民社会の結束を確認する。資本主義の暴走にたがをはめ、民主主義の腐敗に防腐剤をまく」
戦後の北海道に育った。「土着性が希薄な移民の地に輸入民主主義。僕のアメリカ批判は自己批評につながっている」。自らを「故郷喪失者」と呼び、だからこそあえて保守思想を選んできた。最後まで、自己を貫いた人生だった。<文と写真・鈴木英生>
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私の使っているiPhoneがおかしくなって、
グーグルで検索しながら
自分で何とか復元はさせたのだけれど、
その後も問題は続く。
というわけで、今日はアップルストアに
行くことにしました。
家人を仕事場に落としてすぐにアップタウンへ。
それでもお店に着いたのは10時半近く。
列に並んで、ウォークインの予約を取り、
最初は1時間待ち。
そして前の人に時間がかかっているのでと、
15分がプラスされ、
ついにはその上にまた15分遅くなる。
待てなくなった時のことを考えて、
じゃあ、ジーニアスバーの予約を取っとくわ、
と聞いてみたら何と、一番早いので
2月の6日だと。
うそでしょ、と言いたくなる。
一番いいのは朝なるだけ早く来て、
今日のように並ぶことだと言われて、
とにかくもうしばらく待つことに。
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待っている間に、私はなぜか
SMAPが歌って大好きだった、
「夜空のムコウ」
の歌詞の一節を思い出していました。
「あの頃の未来に
僕らは立っているのかなあ
全ては思うほど
うまくはいかないみたいだ」
そして毎日新聞の記事から引用した、
この西部さんの言葉。
原発からスマートフォーンから、
それこそおそらくAIも、
不完全な人間の作り出すイノベーションに
安直に飛びつくな、
という西部さん。
もうきっとこんな言葉を発せられる人は
いないのかも知れません。
夜空のムコウの歌詞と
西部さんのことを思ったら何だか
涙が出て来てしまいました。
かつて10代だった私は、
赤い公衆電話から、
たった十円で好きな男の子に電話して、
夜中、家の黒い電話機で、
何時間も話していました。
いつ帰って来るかも知れない好きな人の
アパートの部屋の前で何時間も待っては、
なぜかせいせいした気持ちで
すごすごと立ち去ったっけ。
西部さんが今の世の中、社会から
オサラバした理由が何かわかるような
気がします‥‥。
✨
私のホピの友だちの一人の家には
Wi-Fiもなければ、4Kのテレビもない。
家族の誰もスマートフォーンは持っていない。
彼女は自分のガラケーの携帯を
おばか携帯と呼んでいますが、
少なくとも彼らが不幸だとは感じないし、
不便を感じているようにも見えなかった。
幸せって何だろう?
幸せはどこにある?