2016年4月10日日曜日

どうして第<4>の手だったのか









「ガープの世界」と「サイダーハウスルール」
は映画を見ましたが、どちらも
原作は読んでいません。

「サイダーハウスルール」は2度読みかけて
挫折しています。


手持ちのポール・オースターも読み終えて、
もう読む本はこれしかないと
いうので読み始めた
ジョン・アーヴィング「第四の手」。

いつ買ったかも覚えていませんが、
おそらく数年前に、ロサンジェルスに行った時、
ブックオフで買ったものです。

ジョン・アーヴィングだし、たった1ドルだし、
という理由で。

最初の部分では何度か大笑いする箇所。

何しろ女好きのプレイボーイが主人公で
ベッドシーンもいっぱい出て来るのですが、
何だかコミカルに描かれていて、
さらっと読み流すことが出来ます。


訳者の小川高義さんもアーヴィングのことを
<災害小説家>と呼んでいらっしゃいますが、
「第四の手」では取材中の事故で
左手を失くしたテレビ局のアンカー
である主人公が、移植により新しい手を得て、
それをまた失くすという<災害>を軸に
医者、テレビ局の同僚など、
主人公を取り巻く様々な人々とのからみで
物語は進みます。




<訳者あとがき>によると、
「ガープの世界」の最後は「ガープの世界観」
によれば、
「すべてこの世の人間は末期症状
の患者(terminal cases)である」と
結ばれているそうです。


なるほど。


五木寛之も何かのエッセイで
「この世を地獄だと思っていれば、たまに
いいことがあれば、
それをすごく有り難く思える」みたいな
ことを書いていたように記憶しています。



ほとんどの人間にとって人生は平坦ではなく、
大なり小なりの<災難>続きかも知れませんが、
そこへ多少の<救い>を経験した時の
有り難さ、うれしさ。



✨ ✨ ✨



さて片手を失くして、新しい手を得た
主人公が再びその新しい手も失くす。

なのにどうして「第四の手」なのか、

チャンスがあったら読んでみてください。










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