2017年5月22日月曜日

映画「パッチギ」


差別超え愛された番長 「パッチギ!」モデルの男性逝く


1968年の京都を舞台に日本人と在日朝鮮人の青春群像を描いた映画「パッチギ!」(井筒和幸監督、2005年公開)。強烈な印象を残した主人公の一人、「朝鮮高級学校の番長」のモチーフにもなった男性が先月、64歳で亡くなった。在日朝鮮人の朴安錫(パクアンソ)さん。大阪・ミナミでの破天荒な生き様が愛された「アンソ」は、仲間たちにとって「自由に生きた時代」の象徴だった。
 映画「パッチギ!」は、京都府立高校に通う日本人の少年と朝鮮高級学校(朝高)の少女との恋愛を軸に展開される。そこに少女の兄で朝高の番長リ・アンソンの壁が立ちはだかる。
 こんな場面がある。
 リ・アンソンが、サッカー・ワールドカップ(W杯)出場をめざすため、北朝鮮への帰国船に乗ることを周囲に宣言する――。
 大阪朝高サッカー部で活躍しながら、当時の大会規定で全国大会に出場できなかったアンソさんの実体験を、井筒監督は主人公に反映させていた。
 ミナミに若者の街・アメリカ村が形成されていった1970年代。ミナミの音楽と酒を愛するアンソさんの姿が多くの人の記憶に残っている。米国のカウンターカルチャー(対抗文化)が真っ盛りの時代。20歳を過ぎたばかりのアンソさんは、長髪に、はやりのアロハシャツを着てウイスキーをあおっていた。
 多くの若者と同じように米国に憧れた。日本は北朝鮮と国交がなく、朝鮮籍のアンソさんは「俺は無国籍やから」と当時、自ら渡米をあきらめていた様子だった。でも、自由に渡米したい願望もあったからか、「『養子にしてくれ』とおどけていた」と20代からの友達でミュージシャンの新町利明さん(64)。ただ決して悲観的ではなかった。「自分の力でどうにもならないこと、運命を悟ってたのかな」


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映画「パッチギ」はもしかしたら
私が日本映画で好きな5本の映画の中に
入るかも知れません。


最後の戦闘シーンと
新しい命が生まれるシーンの対比
を持ってきたのは上手だなあ、
と思った記憶があります。


沢尻エリカ扮する「キョンジャ」
の兄にはモデルがいたのですね。


1970年代、
朝鮮統一がなされた時には、自分は
韓国に帰ると話していた、
当時の在日韓国人の民族運動家だった
大学の1年先輩だった男の子。



当時の朴正煕軍事政権の下、
家の近所に聞き込みが来たと言う
別の在日韓国人の活動家もいました。


大学を出て行きたかったアメリカに
に渡ったけれど、当時は協定永住権保持者は
1年しか海外には出られず、
やむなく1年で帰国した友人もいました。


そんな時代でした。

現実は色々な意味でもっと厳しく
激しいものだったとは思いますが、
よくこんな映画を作ってくれました。


中上健次も読んでいたというアンソさんに
会って話してみたかったなあ。


64歳だったってことは、
1952年か53年生まれだったのですね。





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