2018年4月21日土曜日

祝島のたたかい


原発マネーを拒否!「私たちの島は汚させない」山口・祝島、36年目の闘い

原発の新設に36年、抗い続けている地がある。山口県上関町の祝島だ。豊かな海に浮かぶ、周囲約12kmのハート形の島。その集落の目の前、約3・5km対岸の田ノ浦を、中国電力(以下、中電)は上関原発の予定地とする。
 だから祝島の人々は、総数1000人を超えた当初から400人を切った現在まで、一貫して約9割が反対の声をあげる。
 この3月末も、山口県漁協の祝島支店(旧祝島漁協)として、上関原発を建てるための漁業補償金の配分案を否決。18年前から9回目の受け取り拒否だ。
「この漁業補償金は、これからも拒否し続ける。私らは海で育って、海で仕事をして、みなさんに魚を届けるのが誇り。原発を建てては絶対にダメだ。福島の事故が証明しているでしょう」
 3月の採決のあと、祝島支店の運営委員長・岡本正昭さん(69)はそう話した。

祝島民を苦しめる問題とは

 人をだまして金を奪う話は聞いても、金の受け取りを迫る話は珍しい。なぜ祝島はその稀な事態となったのか。
 『漁業権とはなにか』(熊本一規、日本評論社)によれば、「漁業補償金が支払われるのは、事業者が不法行為を犯すことを回避するために補償契約を結んだうえで工事にかかる必要があるから」といえる。
 漁業権は財産権だ。それに損害を与える埋め立て事業は、補償せずに進めれば不法行為となる。だから事前に補償し、侵害行為について同意を得て、始めなければならない。その手続きが補償契約だという。
 ところが、上関原発の予定地周辺の旧8漁協のうち祝島漁協は、1982年の計画浮上当初に賛成を表明した組合長をリコール。漁業者は以降、原発反対を決議する形でそれぞれの意思を示し、補償交渉にも応じなかった。
 前出・岡本さんによれば、上関原発の原子炉建設予定地は南岸が岩礁で藻場があり、親魚が産卵し稚魚が育つ場。取水口や放水口近くも好漁場だ。だが「海が埋め立てられ、原子力発電所が建設、運転されると、これらの漁場が失われる」(後述する裁判での岡本さんの意見陳述書より)。
 すると中電は'00年4月、8漁協と個別にではなく、8漁協で構成する共同漁業権管理委員会(以下、管理委員会)を相手に、漁業補償契約を締結した。祝島を含む8漁協への補償を、一気にすませる算段だったと思われる。
 だが、祝島漁協は5月、管理委員会から振り込まれた前期支払い分を即返金する。'08年の後期支払い分も受け取りを拒んだ。ただ、祝島漁協は、'06年の合併で山口県漁協(以下、県漁協)祝島支店となっていた。
 そのため後期支払い分は県漁協の本店が保管。以降、原発に関わる大事な手続きである漁業補償が、漁業者の内紛に矮小化されていく。
 '09年2月と'10年1月、県漁協の本店幹部が祝島へ来島。
「祝島漁協が管理委員会へ返した前期支払い分は法務局へ供託されており、'10年5月までに取り戻さないと国に没収される。取り戻すか?」
 祝島支店の組合員に、そう言って採決を迫ったという。「取り戻さない」が多数という結果だったが、本店は取り戻した。祝島分の補償金約10億8000万円は全額、現在も本店が保管する。

さらなる危機が襲う

 '11年には、より直接的な危機が起きた。海の埋め立てを強行しようと、中電は1〜2月、連日のように作業台船を予定地へ派遣。最後は約500人もの人員と、20台以上ともいわれる数で押し寄せた。
 騒然とする陸へ海へ、祝島の人々は総出で駆けつけ、意思表示をした。
「私ら同意していない」
「漁業権は持っています」
「補償金も受け取っとらん」
 福島第一原発が爆発したのは、陸でのケガ人発生と海況の悪化を受けて台船が徐々に引きあげ、ひととき、穏やかさが戻ったころだ。
「人のやることに“絶対”はない。自然というものに勝とうと思ってもダメよ」
 そう話す祝島の人々が恐れていた事態が起きた。
 その3か月前、「万一の事故のときどうやって逃げるか、いちばんの不安だ」と訴えた上関町議の清水敏保さんに、経産省資源エネルギー庁の役人は、こう答えている。
「避難計画は原発ができてから、地元のほうで結ぶもの」
 国も事業者も関知しない、と聞こえる。その状況で原発を進めようとしていたのだ。
 中電が埋め立て工事を「一時中断」したのは3月15日。山口県知事や上関町長の強い要請を受け、ようやくだった。
 それでも原発の新設計画はなくならない。その漁業補償をめぐり、祝島支店の組合員は'12年2月、また採決を迫られた。結果は、受け取り拒否。2度と補償金の話はしないことも決議した。

普通のおばちゃんだからできる闘い

 ところが'13年2月、本店が「漁業補償金について」の集会を招集し、採決の結果、受け取り「賛成」多数となったと伝えられた。
「『賛成』が勝つまでやるんじゃから、どうもならん」と憤る50代の女性は、しかし気持ちは負けていなかった。
 祝島の人は普通のおじちゃん、おばちゃんだ。難しい言葉を巧みに使う人が現れて、専門用語を言ってもわからない。一方で、言葉に偏重しない情報の収集・分析力がある。
 風や潮を読み海とともに生きる暮らしや、乳児・高齢者・動植物をケアする経験から培うのだろう。だから言葉にだまされにくい。
 例えば漁業補償の問題は、語られる難しい言葉はわからなくても、語り手の「死んだ魚のような目」(50代女性)などから「何かオカシイ」と感知する。抗いは、そこから始まるのだ。
 翌3月、祝島支店の過半数の正組合員31人は「補償金は受け取らない」と1人1枚の書面で表明し、押印して本店へ提出。
「あれから私も県漁協の定款規約を勉強した。請求しても集会前には規約は交付されなかったが、読むと、あの集会で本店が、規約に反して議長の決め方に介入したことがわかった」(清水さん)
 本店に協力的な人が議長に就く流れができ、あの採決に至ったのだ。原発推進側は、強行突破で既成事実化を進め、抗う人々をあきらめさせて事後承認させようとしていた。
 祝島の人々は発奮した。自主勉強会をやった人も、漁業補償に関する祝島支店や、本店の会議議事録を請求した組合員もいる。
「知れば知るほど嘘でやられてきたんだ。バカにしとる」
 本店はその後、補償金の配分案を一方的に作成。'13年6月から'14年3月に4回、採決集会を招集したが延期を繰り返した。祝島の人々が反発したのだ。島だけの問題ではないと全国へ連帯を呼びかけた。
 次に本店が採決集会を招集したのは'15年4月。初の島外開催に、組合員の多くは書面議決で配分案を否決した。
 そのころ、中電社員が3人、4年前から社名を隠して毎月のように来ていたと発覚。だまされていた宿の関係者はこう悔しがる。
「NTTの人だと思っていたら、あれは中電の人だという人がいて。それで名刺を見せてと言うと、出さん。会社の電話番号を聞くと、やっと言ったのは下関の番号。実際は上関の事務所から来ていた。
 漁協の集会のたびに補償金受け取り賛成が増えて、オカシイと思っとった。金で切り崩したんでしょう、3人は夕方になると弁当持って仕事に出かけとったから
 '17年5月には、祝島支店の集会で、補償金受け取りの是非を事実上問う採決が抜き打ち的に図られた。騒然となり採決しないで終了したが、翌6月にも採決が強行され、ついに司法へ持ち込まれた。
 山口地裁岩国支部は12月、この書面による採決は「違法で無効」と開票を禁じる決定をした。受け取りを拒む組合員の主張は認められたのだ。
 前運営委員長の恵比須利宏さんは、こう話す。
「補償金は、もらわないのがいちばんいい。この問題は第2次安倍政権から。現首相を辞めたら、なくなるだろう」
〈取材・文/山秋 真〉
ノンフィクションライター。神奈川県出身。石川県珠洲市、山口県上関町と原発立地問題に揺れる町と人々の姿を取材。近著に『原発をつくらせない人びと――祝島から未来へ』(岩波新書)がある ※岡本さんの意見陳述書はこちらに全文掲載https://wan.or.jp/article/show/7763

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