2010年9月18日土曜日

ホピの農作物シンポジウムに参加

<ホピの種、我々の祖先、子供たち、そして未来>
と題したホピの農業シンポジウムに参加しました。
<ナバホ・ホピオブザーヴァー>というネイティブの
新聞で知り、これがタイミング良く、私の仕事のオフの
木曜日にあったので、これは行くしかないと
8時半からの開始に間に合うように、朝6時40分に
家を出ました。
受付の女性から、このシンポジウムはまだ2年に1度の開催だと
聞いて、やっぱり来て良かったと・・・。
開催場所は<HOPI VETERAN'S MEMORIAL CENTER>。
ここに来たのは2年前。
お手洗いの奥のドアを開けたら、そこは最新のマシーンや
トレッドミルが並んだジム!
あとで案内したもらったらシャワールームには
ドライサウナまでありました。
お手洗いもハイテクになってきれいにリモデルされてびっくり。
しかもここは誰でも無料で利用出来るのです。

シンポジウムは主に<種>に重点を当てて進められました。
パネリストのお話が終わると、個別のテーマで
各セクションに分かれてのレクチャー。
私は<ホピの種の保存>というテーマに参加しました。
ホピのドライファームの畑にはホピの畑で収穫された
作物の種が一番合っててよく育つ。
昨今の遺伝子組み換えとうもろこしはホピの畑の
生態系を壊す、とかそういったレクチャーでした。
このNATWANI COLITIONという団体が出来たのは
5年前だそうです。
やはりこの地球環境のドラスティックな変化に
雨だけが頼りの農業を実践するホピが
危機感を持つのは当然でしょう。

一番下の写真はホピのとうもろこしの種の撒き方から始まって
その成長を表わす段階ごとの表現(言葉)とその
状態を絵に描いたものを指し示しながら教えてくれた
???さん。
名刺をもらったと思ったのに見つからず、名前がわかりません・・・。
ホピ語と英語の半々で話されたので
私に理解できたのはわずかでしたが、それでも
興味深いお話でした。

彼の前に同じセッションで話をされたリーさんに
後で、品種改良のことをたずねたら、
自分のおじいさん、おばあさん、おじさんに言われたことは
旱魃でもとにかく種を植え続けること。
それを乗り越えて、種自体が強くなるのだから、ということでした。
将来、セカンドメサに灌漑用水が出来ることはあるかしら
という私の問いに、それはないだろうし、それは必要ないんだ。
ドライファームこそがホピの伝統であり、
先祖から受け継いだものだから。

このシンポジウムについてのブログは次にも続きます・・・。

2010年9月14日火曜日

ソノランサンセット、ソノラの夕焼け、


  毎月第2日曜日にとあるところでオープンする小さなマーケット。
 月に1回ですが、町外れなので、毎回行けるわけではなく、
 たまーにのぞきます。
 この日も久しぶりにファーマーズマーケットの帰りに寄りました。
 私の目に留まったのは入り口の端っこで小さなテーブルを1つ出して
 石を売っている男性。
 ネイティブなの?ときいたら、いやメキシカンだよ、だから僕の英語
 こんななんだ。
 彼もきっと嫌と言うほどこの国で英語で差別されたり、ばかにされたり
 したのでしょう。
 でないとこんなこと言わないですもの。
 私もたまにお店でアメリカ人が私の発音が聞き取れずにいたら
 「ごめんなさいねぇ、私のバッドイングリッシュ!」って言ってやります。
 彼らには単に想像力がないだけなのです。
 まあそれはさておいて・・・。
 彼が持っていたのは SONORAN SUNSET( ソノランサンセット<ソノラの夕焼け>)
 という名前のクリソコーラの1種の石です。
 誰が名づけたのか、すてきなネーミング!!
 私は今までクリソコーラにはあまり興味はなかったのですが、
 この色に何だかとても気を引かれました。
 クリソコーラの緑がかったターコイズ色にレンガ色の赤銅石が混じったものが
 一般的に知られています。
 抽象画のような模様が面白い石です。
 私はあえて赤色のを選びました。
 黒い色の石が1つあり、これは何なの?とたずねたら、それはわからない
 という答え。
 黒、と言うか濃い墨色に所々カーキ色の細かい斑点のような模様の
 入ったこの石も気に入って、赤と黒を1つずつ買いました。
 後でインターネットで調べてみたら、この黒いのもソノランサンセットでした。
 ただ構成されている鉱物が違っているのです。

 彼の名前はヘスース。英語ではジーザス! 
 彼はメキシコのまさにこの石の採れるあたりの出身でした。
 自分で石を買って、カットして磨いてワイヤーラップをして売っています。
 
 このソノランサンセットの採れる鉱山はやはり銅山のそばで、
 まだ新しく、2006年に開かれたそうです。
 石的にも新しい石みたいです。
 
 何と言ってもローカルと言ってもいいくらいのアリゾナ、メキシコ国境近く
 で採れた石というのがいいですよね。
 しかもナチュラル。
 何の処理もされていません。
 
 私が石を買っていったん車に戻り、写真を撮らせてもらおうと戻ったら、
 彼はもう帰り支度。
 来月、もう1度行ってみましょう。
 
 
 
 

 
 
 

2010年9月13日月曜日

Pico De Gallo サルサ


 日曜日のファーマーズマーケットで、
例の ローストしたグリーンチリを売っている
カップルが売っていたサルサ、PICO DE GALLO。 
自分たちが売っている野菜で作ったフレッシュサルサです。 
真っ赤な、ぎっしり詰まったトマトに気をそそられて、1つ買ってみました。
これを先週行ったフェニックスのホールフーズマーケット で買った、ホールフーズのキッチンで作っている コーンチップスにのせて食べたら、最高に美味しかった。

もちろんチリが入っているので少しぴり辛。  今まで食べたサルサの中で、1番美味しかったと思います。
何て言うのか、メキシコ料理の辛さはドライですぱっとした
ピリ辛。まあ料理自体もシンプルというのもあるのでしょうが。

30数年前に初めてアメリカに来て食べたタコスでメキシコ料理に
はまってしまって以来、ブリトー、タコス、コーンチップス、
サルサ、エンチラダ、グリーンチリ等々、日本に帰れば
1番missする食べ物ではあります。
とにかくとうもろこしで作ったものなら何でも好き。
フラグスタッフに引っ越して、初めて食べた、
メキシカンの<タマレ>。
ナバホの作る<ニールダウンブレッド>。
ホピのハレの食べ物、スミヴィキ。
どれもコーンで作ってあります。

私の場合(白い)お米がむしょうに食べたくなるということは
美味しいお漬物やキムチでもがない限りないのですが、
コーンチップスは切らすとだめなんです・・・。
メキシコやグァテマラの手織りの布や民族衣装が病的に好きな私。
ホピの人たちとも初めて会った時から何かすごく波長が合うし、
これはもしかして私ってマヤ系ってことでしょうか・・・?
そう言えばアラスカで働いていた時、そこの会社の社長が私のことを
マヤ人って呼んでいました・・・。
あれはどうしてだったんだろう。

         
         

2010年9月12日日曜日

真っ赤なポルシェ968カブリオレ、オーナーは79歳。ルート66クラブ

いつものように日曜日は朝早く(と言っても7時ですが)起きて
ダウンタウンでやっているファーマーズマーケットへ。
この朝市ももうあと数回でおしまいです。
今日はなくなったロイヤルゼリーを買いに。
聞けばはちみつ屋さんのロザたちは11月から始まるセドナの
ファーマーズマーケットにも出るらしい。
MOONRISE FARMで1番のりで美味しいトマトを買い、
あとは別のスタンドで卵やピーマンを買いました。

買い物を終えていつもはこのマーケット用に開いている駐車場が
入れなくなっているのでどうしたのかと思ったら
そこにはクラシックカーたちが次々とやって来て、
ご自慢のマシンを展示する会場になっていました。
近くの公園でもテントが張られて、ヴェンダーたちが集まって来ていました。
金曜日から始まっていたルート66クラブの主催する、
クラシックカーショウです。
そう言えば毎年あったように記憶しています。

今年はヨーロッパ車が多いと係りの男性がもらしていましたが
確かにBMW、フォルクスワーゲン、イタリアのスポーツカー、
MG、そしてポルシェ、と大きなアメ車が端っこで何だか
小さくなっているみたいです。
私の気を引いたのは真っ赤なポルシェ(山口百恵の歌ではないですが)。
特にポルシェのファンではないけれど、
この1994年製ポルシェ968カブリオレはすらりとして品がある・・・。

「僕が最初にポルシェを買ったのは1970年。
911Tだよ。
Tはターボじゃなく、TOURING の Tだよ。
まだ持ってるよ。
値段は7000ドルだった。
7000だよ、今、いくらする?!(と笑い)
このカブリオレは当たったんだ。
入っていたポルシェクラブがある病院のためのファンドレイジング
(基金集め)で会員にラッフルチケットを買わせたんだ。
1枚50ドル、2枚買ってね、それが当たったんだよ。
(さすがポルシェクラブ、やることがすごい!!)
車はただでもその年の税金、13000ドルも払わされた。
これも収入とみなされるからね」

リチャード(ディック)は79歳。
若いです!!
フラッグスタッフで教師をしていたと言います。
1987年にはリタイアしたと話していたので、66歳で退職しているのでしょう。

「この車が遠出したのはオレゴンまでさ。
あとは町の中をちょこちょこ走るだけ。
普段はトヨタカムリやトヨタの車にはよく乗った。
今は韓国車に乗ってる」

私にはなじみのなかった968というポルシェに気を引かれて
話したディックは気のいい(おじいさんではなくて)おじさんでした。
正直な気持ち、ほんの10分だけ助手席に乗って
ディックにドライブに連れて行って欲しいなって思ってしまった。
だってこれ6速ですから、私にはとても運転は無理ですもの。

Water is Life Run



  9月11日(アメリカでは9・11ナインイレヴン)土曜日、ホピの
  ファーストメサのヴィレッジの1つWalpiで毎年行われている
  Water is Life Runを走りました。
  50kmを走るウルトララン、それを3人、もしくは6人で走るリレー、
  それと4マイルのfun runです。
  このレースがあることは知っていましたが、走ったことはなく、
  今年は1度だけ試してみようと参加しました。
  レースのスタートは午前8時と他のホピのレースに比べてゆっくり
  だったけれど、一応余裕をもって朝5時10分に家を出ました。
  約2時間のドライブですが、結果的に早めに出て正解。
  初めて行くところ(ファーストメサはホピのヴィレッジの中の
  1番東にあり、受付とかの場所もほとんどわからないまま
  でした)で、しかも表示もわかりにくく、私以外にも迷って
  砂地の道を行ったり戻ったりする車が数台いました。
  やっとレジストレーションのテントのある場所に行き着いたけれど
  もらったゼッケンにはもう安全ピンがなく、
  周りのランナーに1つ譲って、と言って回って、やっと
  2つを確保。
  その分お金もらわないとなぁ、なんて言うヤツがいて、
  それも10ドル(参加費)のうちでしょ、言うならあの人たちに
  言って、と言い返してやりました。
  (朝っぱらからこういう人がいると何か気分が悪いです、
  はっきり言って・・・。ナバホはよくこういうことを言うんですよね)
  4マイルのレースにはTシャツ以外何もなし。
  ウォーターステーションもなしで、ペットボトルに少しお水を入れて
  凍らせたのを持参して正解でした。
  コースは多少のアップダウンはあるとは言え、ほぼ平坦な砂地で
  コンディションも良く、4マイル(6.4km)を35分で走りました。
  走った後にもスイカも飲み物もなく、かろうじてゲイタレードを
  自分の持っていたペットボトルにもらって、その足で
  私は仕事に。
  11時にはタイムカードを押していました。
  このレースは今回でおしまい。
  でも1度は走ってみないと内容もわからないですしね。
  50kmのウルトラランは白人男性が多かったみたいで、
  力だめし的なレースになっているのでしょう。
  停められた車の中にはカリフォルニアナンバー、
  ナンバープレートもまさしく<ULTRARUNNER>というのも
  ありました。  

  ただ<水は命>というレースのタイトルはすばらしいですよね。
    私はすべての生きとし生けるものに敬意を表して
    走ります。
    すべての人が<水は命>であることを忘れないように
    と私たちは祈ります。
    
  少し前にお店にやって来たホピのおじさん。
  「人間は水なんだ」と色々意味深い話をしてくれました。
  
  ところでこのレースのTシャツの後ろのロゴの英語の
  スペルが1つ違っています。
  REVERANCE ではなくREVERENCE
  崇拝、尊敬、敬意という意味です。確かに発音は<ア>に
  近いのですが。
  
  さてさてこれでホピのレースも終わりかな・・・。
  
  
  

私の周りのがんと闘う人たち

今朝、仕事に行くのにアパートのパーキングまで来たら、
アパートのオフィスでパートタイムのマネジャーをしているアンジーに
ばったり出くわしました。
元気?
   A たった今病院から出て来たところなの。
どうしたのよ?
   A  2日間吐きっぱなしで病院へ行ったら、また手術。

彼女は3年ほど前に胃がんで胃の手術をしています。

   A 最初の手術から私、これでもうあと3回も同じところを切ってるのよ。
とTシャツを捲り上げて、手術痕を見せるアンジー。
(胃を切った者同士だけが共有できるコト)
何が一体どうなっているのか・・・。

病院を変えることは出来ないの?と言いかけてやめました。
アメリカの保険制度は複雑で、制限が多く、日本の健康保険の
ように、基本的には誰でも、自分の行きたい病院、診てもらいたい
ドクターのところへ行けるわけではないと思ったからです。

ハズバンドも私のこういうのに疲れて来てるの・・・。
病気のつれあいを持つということは相手の我慢強さも試されます。

ホピの友人マーカスの奥さんRUTHも脳のがんと闘っています。
つい先だってはフェニックスの病院で放射線治療を受けていました。
数日間だけ病院が用意してくれたのは、冬のシーズンだと1泊500ドル
もするリゾート。
(夏場は多分あまり泊り客もいないのでしょう)
私がフェニックスに行く予定があったので、そこまで行こうかなと
電話で話していたら「迷う(ほど大きい)よ」、とマーカス。
そんなところに泊まって、セレブみたいじゃない、と言ったら
うれしそうに笑っていました。
食事はどうしてるの?とたずねたら、ここ(ホテルの)レストランは
高いから、マクドナルドだよ。
マーカスはあのひょうひょうとした性格もあり、いつもにこにこと
奥さんのめんどうをよくみています。

先日ホピで走ったがん予防のためのFUN RUN&WALK(競争じゃない
レース)で赤ちゃんを背負った家族や親子づれも多かったのは、
きっとみんな家族や親戚にがんの人がいたからでしょう。
ホピにも日本人にも白人にも、どんな人にも平等に降りかかる
がんという病気。
その病気と闘う人たちとその家族。
それぞれの状況があり、それぞれの受けとめ方があり、
それぞれのサポートの仕方がある。
これはおそらく<介護>にも言えることなのでしょう。
そう見たら、RUTHは幸せだなと思います。

どうぞみんな病気に(精神的に)負けず、毎日を出来るだけ
楽しく生きて欲しいです。
私自身もそう努めようと日々を生きています。
(そんなたいそうなことでもないですが・・・。ただ楽しみを
見つけて、こんなところに自己満足のブログを書くのが
精一杯?・・・)

2010年9月8日水曜日

野に咲く花

負けないように枯れないように、黙って咲く花になろう
ってミスチルが歌っていたような・・・。
いつも仕事の帰りに少しだけ歩く途中の駐車場で、ふと見れば
何もないコンクリートの隙間から野生のひまわりが
咲いていました。
今住む町に引っ越して来て、夏の終わりから咲き始める
野生のひまわりを、そうとは知らず、咲いている道ばたに建つ
オフィスの中へ、この花をもらっていいか、ききに行った私。
「それは野生だから好きなだけ取ればいいよ」と言われて、
これは野生のひまわりなんだと初めて知った私。
少なくともロサンジェルスでは見たことがなかった・・・。

でもよく思い出してみたら、それこそずいぶん前のミスチルのCDのジャケットにも
一面に咲き乱れるひまわり(畑?)の写真が使われていたし、
それと瓜二つ写真を、LAの知り合いのカイロプラクターの先生の
オフィスのカレンダーで見て、思わず、これください!と
無理を言ってもらいまでしたこともある、
まさにあの風景が、この町で私が目にする、野生のひまわりの群生
なのでした。

それは遠くから見たら真黄色で、花屋で売っている
ひまわりの花は好きではない私も、この野生のひまわりは大好き。
小ぶりで、可憐で、けなげで・・・。
アラスカでヤナギランが咲き始めたら秋の始まりのように
このあたりでは野生のひまわりが咲き始めたら夏の終わり。
下の写真は遅咲き?のもの。
これは今を盛りに咲いていました。
誰が肥料をやるわけでもないのに、毎年、野生の花たちは
雨と土だけを養分に、こうして花開きます。
野に咲く花。
美しく、たくましいのですね。