2010年8月17日火曜日

ハキマーダイヤモンド

ダイヤモンドでもないのに、ダイヤモンドの名がついた水晶。
それが<ハキマーダイヤモンド>。
ニューヨーク州ハキマーでとれる水晶です。
何よりもその透明度が他のクオーツとの差を生み出しています。
とにかく透き通っていて、ハキマーの中でもその透明度と大きさ
によって、値段も違って来ます。
上の写真ではよくわかりませんが、ブレスレットとネックレスの
透明な石がハキマーです。
一緒に使う石のパワーをもアップさせると言われているので
私は前に作ったブラックトルマリンとカイヤナイトの2つの
ネックレスをこわして、ハキマーを使って作り替えました。
単なる暗示にかかっているだけなのかわかりませんが、
身につけていると、何か気分がいいです。
一粒一粒を見ているだけでも飽きないハキマーダイヤモンド。
氷砂糖みたいです。
私はダイヤモンドに興味はないのですが、カナダの原住民の
住む土地から出る<イクマ>というダイヤモンドだけは
きれいだなと思っています。
そうじゃなきゃ、このハキマーで十分。

それにしても<水晶>への興味と思いは尽きることがありません。
小学校5年生の時から<岩石>が大好きで、岩石集めを
始めた私は、この歳になっても<石>から逃れられない
ようです・・・。
<意志>は強いけれど<意思>は弱い私ですが、
<石>も<ROCK>も好き。
もちろんRolling Stonesもね。

2010年8月16日月曜日

イムジン河、悲しくてやりきれない

            イムジン河 水清く
            とうとうと流る
            水鳥 自由に むらがり飛び交うよ
           
            言わずと知れたフォークル<イムジン河>。
            
            イムジン河 空遠く
            虹よかかっておくれ                        
            河よ思いを 伝えておくれ
            ふるさとを いつまでも忘れはしない
            イムジン河 水清く とうとうと流る

           私は井筒和幸監督が特に好きではないけれど、
           映画<パッチギ>はいつ見ても、つい涙が出てしまう。
           あの時代に自分も体験した、様々なことと重なって見てしまう。
           
           差別、葛藤、闘い、新しい命の誕生、それを塩谷舜の歌う
           このイムジン河でつなぐラストシーンは
           感動的でした。

           <イムジン河>のテープを逆に回して出来た
           と言われる<悲しくてやりきれない>も      
           好きな歌です。
           
           胸にしみる 空のかがやき
           今日も遠く眺め 涙を流す

           つらい時、悲しい時にこの歌を聴くと、
           そして歌うと、涙を流しながらもなぜか心が落ち着いて、
           力がわいて来る感じがしました。
           それがこの時代の歌の特徴だったのかも知れません。

           <イムジン河>や<悲しくてやりきれない>が
           作られた時代に、挫折や失恋を体験できた世代で良かった。
           とつくづく思います。
                       

2010年8月15日日曜日

セカンドメサにコリアンの団体が

朝6時半にホピカルチャーセンターに着いて、レジスターも終えて
そこで入ったお手洗いに、コリアンの女性のグループが。
みんな歯を磨いています。
ここのホテルに泊まったの?ときいたらNOという答え。
ロサンジェルスから来ている教会関係の人たちでした。
セカンドメサのションゴパヴィヴィレッジのベースボールフィールドは次にある
<ルイス・テワニマレース>のスターティングポイント。
そこで昨日、ソフトボールの試合があったようです。
コリアンのクリスチャンは(布教に)こんなところまで、来るんだ・・・。
☆
関係はないのですが彼らが乗って来ていたヴァンに横断幕が。
Shu(o)ngopavi のスペルがSoongopavi になっていたのが、
何かコリアンらしいと言うか、ユーモラスでした。
ハングルではsoonは<スン>の音を表わすのによく使われるスペルだからです。

Climb the Mesa to Conqer Cnacer

直前に聞いたホピのレースの情報。
ガン予防のキャンペーンのレース。
とは言ってもこれは時間を競うのではなく、とにかくセカンドメサ
の裏側の、メサを含めた6マイル(ほぼ10k)のコースを
子供も大人も、あるいは家族で参加出来るイヴェント。
走っても歩いても、自分のペースで完走します。
今年は先週のOraibi 8kのレースも参加出来ず、
2つのレースをmissしてしまったので、これだけは走らないとと
目覚まし時計を3時15分にセットして、
家を4時5分に出発しました。
夜明け前でけこう飛ばしたので1時間半でホピカルチャー
センターに到着。
ここからシャトルバスでスタート地点まで運んでくれます。
上の写真は私にレースのパンフレットなどの情報を
メールで送ってくれたドロレス(向かって右)です。

ここがスタート地点。
この景色を見たいがためにホピを走ると言っても
過言じゃない・・・。私にとっては。

1マイルを過ぎてからのこの上り坂。
これがしばらく続きました。
私もみんなに遅れまいと、とにかく歩幅は小さくても
走り続けることに専念しました。

☆

今日はほぼ1マイルごとにウォーターステーションがあり、
そこではボランティアたちが、みんな<アスクアレ(女性言葉でありがとう)>
<クォコイ(これは男性言葉)>と声をかけてくれます。
ある男性は(ホピじゃない私を見て)
「ホピのために走ってくれてありがとう」と・・・。
ホピのレースを走って何よりも気持ちがいいのはこの
<ありがとう>なのです。

☆

私は1時間17分で完走。
最初にドロレスに写真を撮っていいかたずねたら、今回は
レースの写真を撮る人がいないので、写していいよ、ということで
許可を得て、レースの途中も少し写真を撮りました。
こちらは彼女にメールで送ります。

☆

私はちょっと休んで、知り合いのホピの女性たちとしゃべったり
写真を写したりして、帰路につきました。
もっとゆっくりしていたかったけれど・・・。
何せまた2時間近くかけてフラッグスタッフまで戻らないといけないので。
帰りの車の中で半ばつりかけた右足。
でも何とか大事に至らず帰り着きました。

いつも感じますが、ホピに行くと別世界な感じがします・・・。


                   

2010年8月13日金曜日

アーティスト、マーカス、縁ってあるのかな

ランチに入ろうとタイムカードを押したとたん、
私に電話だと。
かけて来たのはマーカスでした。
月曜日に奥さんのRuthをフェニックスの病院へ連れて行って
その帰りにフリーウェイで車がオーバーヒートして動かなくなり、
牽引をしてもらってフラッグスタッフまで来て、
フラッグスタッフでここの病院にRuthを連れて来たということでした。
彼女は脳にガンが出来ていて、フェニックスのインディアンホスピタルと
フラッグスタッフメディカルセンターの両方で
診てもらっています。
☆
ささっとランチを食べて、病院へ。
何とか見つけて車を停めたら、マーカスが病棟の建物の入り口に出て
私の名前を呼んでくれて助かりました。
Ruthは頭をきれいに剃って、やせ細っていました。
体はチューブだらけで、食べ物もチューブから注入するだけ。
いつもの調子でしっかりとはしゃべってはいたけれど、
私には彼女の状態の良し悪しは全くわかりません。
マーカスの息子さんとRuthの姪っ子が一緒で、
彼らをヴィレッジまで連れて帰ってくれる人を探して
あちこちに電話をしているのだと。
誰か(ホピの)お客さんが来たら、きいてみるからと
病院を去りました。
マーカスの1番下の息子だというニールはお父さんに似て
ほわっとしたやさしい男の子です。
写真に写っているようなガウンを私も着て、
病室に入りました。
☆
ホピの村に初めて行った時だったか、
これも初めて立ち寄ったセカンドメサのジュエリーショップ
(そこがトリニのお店だったのですが)で
買った2つの指輪のうちの1つが
マーカスの作った<コーンボーイ>カチーナのものでした。
つけているとたくさん、いいわねというコメントをもらい、
私もその時点ではカチーナのこともあまり知らないまま
これを作ったアーティストを探そうと決めていました。
奥さんがガンになって、彼はジュエリーを作るのを辞めている、
という話を何人かのホピの人に聞いて、がっかりしていたところ
彼のお母さんを知り、そしてマーカスにたどり着いたのでした。
☆
何と言うか<熊吾郎>みたいな人ですが(ごめん、マーカス)
子煩悩でとても心のやさしい人。
彼といるとこちらまで自然に笑顔がこぼれてしまう
そんな人です。
彼のジュエリーは毎日必ずどこかにつけています。
スネイクダンス、参加するの?ときいたら
僕はヘビが怖いから・・・とにこにこ笑っていたマーカス。
☆
私にお金がいっぱいあったら、シルバーをいっぱい買って
彼にジュエリーを作ってもらって、売ってあげたいです。      

2010年8月12日木曜日

この広い野原いっぱい

「このひろ~い世界中の何もかも、
ひとつ残らずあなたにあげる。
だから私に、手紙を書いて」
 この詞の<手紙>はもちろんEメールではなく
手書きの手紙です。
☆  
かつて小、中、高校生用の雑誌(だけではなかったですが)
には最後の方に、文通相手募集のコーナーがありました。
私は引っ越してしまった友だちや、何かのイベントで知り合った
人と手紙のやりとりはけっこう頻繁にしていました。
手紙を書くのが好きでした。
学生時代には恥も忘れて、ラブレターみたいなものを書いたことも・・・。
返事が来ないとわかりつつ、この歌の歌詞
「・・・だから私に、手紙を書いて」という部分に 
とても共感していたのです。
☆
<野原>も(少)なくなり、野原いっぱい咲く花を見れるチャンスも
少なくなった日本では、そんな風景をイメージすることさえも
むずかしくなっているのでしょうか。
昔の歌には風、星、月、花、と言った自然を表現する言葉が
たくさん登場していたように思います。
「見上げてごらん、夜の星を」
「夜空の星に、願いをこめて」
「風にふるえる、緑の草原」
などなど・・・。
☆
いつの間にか自然から遠ざかってしまった私たち。
それこそが文明化だと勘違いしてしまった人間。
でも相変わらず月は満ち欠け、太陽はその輝きを、
雨は湿気をもたらしてくれています。
時に猛威をふるっても。
地球は我々人類のための保育器ではないのですから。    

今日の日はさようなら

「いつまでもたえることなく友だちでいよう」
と森山良子の<今日の日はさようなら>は始まります。
ずいぶん前のテレビドラマ<漂流教室>の中で
歌われたのていたのがとても印象的でした。
☆
今の時代、いつまでも友だちでいることはなかなか大変です。
と言うか友だちを作るのもむずかしい時勢です。
そんな時代にこういう詞はなかなか書けません。
☆
「信じあう喜びを大切にしよう」
信頼という絆、信じあう安堵感、
それって何と心強く、心が平安になるものでしょう。
人が信じあえない時代、それはきっと人が隔絶されているから。
☆
この歌詞はおそらく<ロマン>から始まっているんだと
私は思います。
<ロマン>は不経済だし、時にダサいし、ビンボー。
人の心からロマンが消えて、そして歌の歌詞も
変わってしまったのではないかと。
<青年は荒野をめざす>時代ははるか遠くになってしまったのです。