2011年4月30日土曜日

ココペリ


ブックマンで買ったココペリの本。
真ん中に写っているホピの古いボロタイ、
好きだなぁ。
豊穣と子孫繁栄の象徴と言われるココペリ。
古い時代、岩に刻まれた様々なココペリの絵が
紹介されています。


これはココペリのカチーナ。


↑は本の中で紹介されている、
1973年、ホピのアーティスト、
バーナード・ダワホヤ作のココペリ。


これはマーカスのココペリ。 


「今」のマーカスのココペリ(左)と
デイヴィッド・モワ作のちょっと古いココペリ。

マーカスのココペリはどうもホピのカチーナに近い
伝統的なデザインのようです。

ココペリはあまりにもポピュラーなので、私自身は
それまであまり気に留めていなかったのですが、
こうやって見てみると、それぞれの
アーティストの味が出ていて、興味深いです。

カチーナダンスでココペリを見てみたいなぁ・・・。

2011年4月29日金曜日

カマンベール!!


学生時代に初めて食べたカマンベールチーズ。
独特のあの臭みと言うか、強くはないけれど
どうも好きにはなれませんでした。
フェニックスのホールフーズで買ったサンアンドレも
切れて、チーズもなくなったので、
他の買い物もあり、ニューフロンティアに行きました。

そこで見つけたこのカマンベール。
コロラド産です。
(本場フランスのじゃなかったから、
淡白なお味だったのかな)
サンプルを試したら、即買いです。
賞味期限が迫っているので50%オフに近いセール。
いいよ、今日食べちゃうから、と1つ購入。

これがくせもなく、あっさりとして、美味しかった。

野菜やミルク以外はフェニックスでの買い物で
賄おうとしていますが、ミルクを買いに行った
ニューフロンティアでたまにはいいもの、見つかりました。

私は明けても暮れても、毎日ワインとチーズ。
それもこってりとしたサンアンドレばかり。
私の年齢、私の年代でこんなにチーズを食べている
人も少ないかも知れませんね・・・。

(血液型ダイエットの)ドクターダダモによると、
血液型A型は乳製品は×。
乳製品は狩猟民族O型にはいいらしい。
農耕民族A型の私。なのに、乳製品が大好き。
バターもチーズも。

あぁ、どうしよう・・・。
でももうさんざん食べて来ました・・・。







2011年4月28日木曜日

古本屋はいいものですね



この町で唯一多少のアカデミックな雰囲気が漂う場所、
それがBOOKMANでしょうか。
一昨年の大雪で屋根が崩落して、やっとオープン
し直して、しばらく行っていませんでした。
今日は例の2冊の本をここへ売りに行きました。
ストアクレジットなら16ドル、キャッシュなら7ドルと
言われたので、迷わずストアクレジットで使うことに。



雑誌を含めて5冊の本をストアクレジットで買いました。
↑の本はココペリに関する本。
友人のマーカスが作ったココペリのペンダントの
デザインが、普通よく見るココペリのとは違っていたので
ちょっとココペリに興味があり、それでこれも
買ってしまいました。

シナグアはフラッグスタッフやセドナでお店などによく
使われる固有名詞。
シナグアと呼ばれた先住民族の名前です。
これにもちょっと興味があり、見つけた雑誌です。



古本屋っていいですね。
それはブックオフであっても、ブックマンであっても、
ウェストLAにあった古びた古本屋も。

そこは流行、社会の指向、世間の嗜好の関知しない
本と雑誌の世界。
あらゆる嗜好と指向と思考が詰まっています。

ブックマンをぶらりと出来ただけでも
今日の休日は価値があったかな・・・?

春の大掃除?



辞書とか年鑑、百科辞典の類が大好きな私は
スリフトショップで見つけたらつい買ってしまいます。
上の写真の法律辞典と科学辞典、本棚を片付けていたら
この2冊、ぶ厚いし重いし、場所も取ります。

でもこんなのもう手に入ることもないだろうし、
これが役に立つことがあるかも知れない(ここが
捨てられない人の落とし穴)なんて思ってしまったら
もうおしまい(笑)。
これらは残すことに。



これも興味深い本なのですよね・・・。
木の種類、木工の歴史、木と木材に関する
ありとあらゆることが描かれています。


これはアラスカの自然を描いた画家の作品を
紹介した本です。

でもこの2冊は処分することにしました。

年齢もあり、生活のダウンサイジング、これは
とても大事なことだと最近つくづく感じています。
なので今日も私用に使っている部屋の大掃除。

外は突風が吹き荒れています。
さぁやろう!という元気がもうひとつ出ないのは
そろそろ5月と言うのにこの寒さにも原因が
あるのかも知れません。
今年は寒い!
そして寒いのは老齢の身にはきついです・・・。






今週の Hopi-Navajo Observer から

毎週水曜日発行の無料新聞
Hopi-Navajo Observer (私が勝手に順番を変えました)
からの記事です。


一面にはホピ族政府の収入役が解雇されたというニュース。

このコラムは読者からの投書で、
<無実の者に下された不正義>というタイトル。

詳しい内容はよくわかりませんが、
たとえホピであれ、政府と名がつき、
相当な額の予算を動かすという場では
こういう事態が起こるのですね。

それにしてもこの収入役を告訴する側に雇われた
人物のその助手的役割の弁護士が
ホピに請求した料金が1時間350ドルだったとか。

彼を弁護する側の読者の投書には
その収入役を罪におとしいれるために何千、
もしくは何百万もの部族のお金が使われたとか。

普通にリザヴェーションで細々と暮らしている
ホピの人たちしか知らない私には、
たまにお店に来るホピのお客さんから耳にする
「上の人間は腐ってる・・・」みたいな言葉を
悲しいけれど、こういう記事を見ると実感してしまいます。


↑も読者からの投書で、これを書いているのは
ホピハイスクールの新聞部の女子生徒です。
私も見ましたが、4月13日付けのこの新聞の
一面で紹介されていた
ファーストメサでの<ホピシードラン>の記事についての
意見です。
決して強い口調ではなく、でも彼女は
この写真がホピの聖なる場所、キヴァで撮られたもので、
私はずっとキヴァの写真は写してはいけないと
言われて来たけれど、これは一体だれが
写すことを許可したのでしょうか、という
内容です。

ホピではカチーナダンスはもちろん、村の中も写真撮影禁止
カチーナダンスがある時は、部外者は
キヴァに近づくことさえも出来ないそのキヴァの
中で写真を撮影するなんて・・・。

記事もトピックとしてもいいものだったけれど、
この写真1枚で私の見方は全く違ったものになって
しまいました。もはや神聖なものなど
あり得ないのでしょうか?
と彼女は結んでいます。

このハイテクの時代。
カチーナダンスだって撮ろうと思えば、携帯電話で
動画すら撮影出来るでしょう。
ホピのルールなんて気にもしない、
そんなやからがいてもおかしくありません。

でもね、私は思うのですが禁止されていることを
やってしまうって
それは彼らの文化を敬っていないってことですよね。
私は1度、知り合いがバッファローダンスで
踊るというので招待されて、彼のガールフレンドから
プラザへ向かう彼を写して!と言われて
私のデジカメでぱしゃっとやったら、すぐさま
ダンスの列にいた男性から怒鳴られました。
これは私のカメラだから、と彼女が助け舟を出してくれて
事なきを得ましたが・・・。

バッファローダンスではダンスが終わると
親戚の人たちがけっこうみんな、コスチューム姿の
ダンサーの男女の写真を撮ったりはするのですが、
やはりよそ者がカメラを向けるのは
大きな×です。


そんなことが載っていた今週の新聞でした。






2011年4月25日月曜日

血液型A型とがん

亡くなった田中好子さん、弟さんを
骨肉腫で亡くしていらっしゃったんですね。
私が入院中に知り合って仲良くさせていただいた
Mさんも骨肉腫でした。

入院中に知り合って亡くなった二人のMさん、
56歳で亡くなった私の父、そして田中好子さん、
みんな血液型A型です。
そして私もA型。
偶然だと思いたいですが、以前何かの本で
血液型の中ではA型が一番弱い、みたいなことを
読んだことがあります。

実際A型の人はがんなどの病気に罹りやすい
と言っている学者もいるようです。

☆☆☆

好きなことってとことん努力できるんですよね。
努力するとそれを人に見てもらいたくなる。
見てもらい、ほめてもらうと自信がついて、
もっと頑張ろうと思って努力したくなる。

(朝日新聞<どらく>人インタビューより)

見ず知らずの遠い世界の人だけれど、
読んでいたら彼女の人柄が思い浮かびます。
そう思いませんか?

A型の生真面目さと律儀さを感じるのは
同じA型の欲目でしょうか・・・。

芸能人の死でこんなに涙したのは
去年に亡くなった忌野清志郎さん以来でした。

YOU TUBE で懐かしいキャンディーズを
聴きましょう。








こんなことが書かれていた・・・


本の処分をしなくてはと手にした1冊の本。
買ったまままだ読んではいませんでした。
1979年初版発行となっています。
いつだったかロサンジェルスのブックオフで買ったもの。

私が初めてアメリカに来た1978年、大岡信さんは
アメリカを旅していらっしゃったんですね。
西部編を読んでいたら、思わぬ発見がありました。
CAMERON TRADING POST が出て来たり、
オブシディアン(黒曜石)で矢じりを作る
おじさんの話とか。
果ては大岡さんのガイドである、若いモルモン教徒の
男子学生がホピとナバホについても興味深い
ことを言っています。
彼はモルモン教徒で日本に宣教師として
行っていたことがあり、日本語を話します。

ナバホとホピでは文化の質がまったく違うね、
だから仲が良くないね、ぼく、地図を見るのが
大好きだし、インディアンのことにも関心あります・・・

そうなんですね。
長い歴史があるのですね。
私が今の仕事場で働き始めて同じことを感じたのは
当然だったし、それこそが真実なのでしょう。


大岡信さんは長い間朝日新聞に「折々のうた」を
連載されていましたよね。
1931年2月生まれとあるので80歳です。

この本、当時でも1400円は安くはない値段です。
でもLAのブックオフで何と1ドル。
古い本ですが、買っておいて良かった。
一体どんな年代の方が売られたのでしょう。

歌は世につれの言葉ではありませんが、
古本屋も世につれで、本を読む世代が下がって来ると
売りに出される本も変わって来て、
最近は私などが興味を持つ本の数もおのずと
減って来ているのがわかります。

それでも古本屋って楽しいですよね。
日本、アメリカを問わず・・・。



2011年4月24日日曜日

やっと気を取り直して・・・



先週は何だか気の重い1週間でした。
田中好子さんのこと、そしてずっとお元気だと思って
いたMさんが亡くなっていたのを知ったこと。
何だかど~んとまた落ち込みました。

今日は日曜日。
うん、野菜を食べよう!
ということで、
朝早くから、ヴェジタブルカレーを作り始めました。


玉ねぎ、人参、セロリ、ナス(もちろん米ナスですが)、
かぼちゃ、生トマト、にんにくもたくさん入れて、野菜だけの
カレー、スープカレーです。

お水も入れず、トレイダージョウの、オーガニック
低塩チキンスープストックだけです。
カレーは市販のルーですが、なかなかいいお味に
出来上がりました。
とは言えお見せするほどのものではありませんが、
文章に添えるものもないので・・・。

何だか元気が出る気がします。
野菜って不思議。
野菜、食べなくっちゃね。

野菜に感謝!






この花、何の花


ちょっと買うものがありターゲットに行ったら
何と閉まってる!
その足で近くのスーパーマーケットへ。
マーケットは開いていましたが、隣のお店も
その隣のお店も閉まっています。
両方とも全米にチェーンのある、
大きなディスカウントショップと雑貨店です。
そうか、イースターもお店は閉まるんですね。


通りがかりに咲いていた桜に似た花。 



花びらは5弁ですが、桜でもなさそう・・・。
でも遠くから見るとピンク色できれいです。

本日のフラッグスタッフは風速40~50mの
強風が吹き荒れています。
はっきり言って気温のわりには寒いです・・・。
もう5月だというのに・・・。



2011年4月22日金曜日

Good Friday

シルヴァーの高騰は止まりません。
毎朝コンピュータをつけたらまずシルヴァーの
市価をチェックします。

今日は仕事はオフでしたが、ここのところの
値上がりの速さに値上がりが気になり、
いつものサイトを開けましたが、マーケットはクローズ。
えっ?どうして?金曜日なのに。

で、気がつきました。
今日はGOOD FRIDAY。
やはりキリスト教国なのですね。
株式市場も閉まるんだ・・・。

明後日の日曜日はイースター。
昨日お店に来たナバホのお客さんの中には
HAPPY EASTER!!と言って帰って行く人もいて、
ああクリスチャンなんだなと・・・。

それにしてもイースターは月齢で決められると言うのも
何だか不思議な話です。

以前ロサンジェルスで住んでいたアパートの
マネジャーがギリシア人で、アメリカ人の奥さんが
いつかギリシア正教のイースターだからと
ささやかなパーティーによんで下さり、
その時にギリシア正教のイースターは
普通のイースターより後なの、
と言って、月の満ち欠けでイースターの日が決まる
という話をしてくれたことがあります。

カレンダーを見たら今年はどちらの
イースターも次の24日の日曜日のようです。

以前はイースターって4月の初めだったような
記憶がありますが・・・。

いずれにしろ今日はニューヨークの株式市場も閉まる
GOOD FRIDAYだったのでした。


Red Mountain Trail 続き 命の恩人?


トレールは続きます。
黒っぽいのは溶岩の燃え殻のようなものでしょうか。
ざらざらとしていて滑ります。 


 こんな景色を見ると、何だかわくわく 
して来ます。
しかも階段?    


階段もトレールのうち・・・。


何だか少しアンテロープキャニオンに似てるかな・・・。 



自然の作り出すマジック・・・。
真ん中と左の赤い岩。
まるで現代アートみたいでしょう?

トレールの最後はまさに岩山の下で終わって、
狭い隙間を登って行くと、丸っこい岩が。
あそこまで登ったら、もっと向こうが見渡せそう。
(○○と煙は高いところに上りたがる・・・)
登ったのは良かったけれど、下りれない!!
そこへ例のカップルが。
僕たちはここまでだよぅ、と引き返そうとしたところを
意を決して助けを求めました。
上がって来てもらってもし何かあったら、と
だんなさんの体型を見てちょっと不安になりましたが
彼の持った杖も役立ち、何とか無事に下まで
下りることが出来ました・・・。
それにしても一瞬、どうしようかと思いました・・・。
大した高さではなかったのですが、
固い岩ではなくて、ずるずると滑るのがコワイのです。
まさに行きはよいよい、帰りはコワイ、でした。


これはまさに溶岩の色ですね。
その溶岩にこけが生えています。
アンカレッジからやって来たビルとメアリーさんご夫妻。
すでにリタイアしていて、去年もこうして
アラスカから車を運転してやって来たのだそうです。

きけば奥さんのメアリーさんのお母さんは
沖縄出身の日本人。
87歳でまだヴァージニアにお住まいだとか。
メアリーさんも1960年代には沖縄に住んでいたのよと
話してくれました。

アリガト!!と私。
(あ、そうだ、どう言うんだっけ・・・?と英語で言ったあと)
ドウイタシマシテ。

親切で暖かいカップルでした。
ビルさん、メアリーさん、本当にありがとう!!
ビルさんがいなかったら私、あの岩からどうやって
下りれたかしら・・・。
考えても怖ろしい・・・。

次に来る時は一人では来ないことね、とメアリーさん。
はい、そうします。

彼らが教えてくれたツーソンの東南、
テキサスとの州境に近い、
面白い名前の国定公園にもいつか行ってみたいです。

懐かしいアラスカのライセンスプレート!!
アリゾナのトレールで助けてもらったのは
アラスカからやって来たビルさんとメアリーさんでした!!

***

たまに一人で出かけると、自分の行動の決定権が
自分だけにあるということがうれしいです。

いったん通り過ぎたけれど、戻ったら
ビルさんたちと出会い、
こんな隠れたトレールを歩けて良かった!!

グランドキャニオンへ行くのにこのハイウェイを
走りながら、いつもどこかで気になっていた
RED MOUNTAIN
これでもう気になることはないでしょう。

うちに帰って北アリゾナのハイキングブックで
見てみたら、ちゃんと載っていましたね。
RED MOUNTAIN TRAIL

しかもここからもう少し南(フラッグスタッフ寄り)に
下りたところにも別のトレールがあり、
こちらは距離にして約9キロ、
2700m少しある山のふもとまでのトレールです。
ここもいつか歩いてみたいです。


初めて歩くトレールってちょっとエキサイティングですよね。

Red Montain Trail


標識は目に入りつつも、いつも通り過ぎるのですが
今日も通り過ぎた後、思い直して逆戻りして
標識のあった砂利道を曲がりました。
進んで行くと、車両進入禁止のサインがあちこちに。
でも車のタイヤの跡はあるのです。
途中で引き返したら、向こうから1台の車が・・・。
ナンバープレートは黄色いアラスカのものです。
すれ違いざまに窓を開けてたずねました、
「ここは車は走っていいの?」
「だってトレールヘッドはこの先だから。
僕たちも去年初めて来た時は迷ったんだよ、
あの看板にね」

この時もすれ違って私はハイウェイに戻りかけて
いたけれど、すぐまた逆戻り。
彼らがトレールを行くのだったら、自分も歩いて
みようと。
だって恐らくこんなことめったにないし、わざわざここまで
トレールを歩きに来ることはないでしょうし・・・。


車を停めて、あなたの後から行くからという
カップルの言葉を後に、私はさっさと
歩き始めました。
上の写真は私がいつも眺めるサンフランシスコ
ピークスのちょうど反対側からの眺めです。 


不思議なことに松の木がどれも、
上の写真のように、半分土に埋まったようで、
背も低いのです。 


彼らが言うにはトレールはあの赤い山の
麓まで 通っているらしい。
Red Mountain ・・・赤い山。
実はちょっとその名前にも惹かれたのですよね。


こんな感じでトレールは続きます。
しんとして聞こえるのはどこかで鳥の鳴き声、
そして風の音だけ。
ちょっと心細いですが、後ろから彼らが来ていて
とりあえず 一人ぼっちじゃないことがわかっているので
安心です。

遠くからも見えた赤い部分の岩山の右隣は
細かく砕けた溶岩 のようです。

サンフランシスコピークスもそうですが、
フラッグスタッフ周辺は(元)火山だらけ。
この RED MOUNTAIN は火山の噴火で
流れ出た溶岩で出来たものではないか、というのが
例のカップルのだんなさんの話です。



金曜日の真昼間、まるで in the middle of nowhere
みたいなところを一人、歩いている。
最初は昨日亡くなったと知ったMさんのことを
考えながら。
そのうち頭もからっぽになる。

この後景色はまた不思議な様相に変わります・・・。

グランドキャニオンでアースデーのイヴェント


グランドキャニオンのマーケットプレイスであった
アースデーのイヴェントに行きましたが、
あまりの規模の小ささにはがっかり。
マーケットの入り口で質問に答えてもらった
お水のボトルとショッピングバッグ。
ロウフード(生)のナッツや果物で作った
パワーバー。
普通のとヴィーガン用と。
ヴィーガン用には乳製品が入っていません。
お味は悪くなかったですけど、1つ4ドル以上も
するのには、ちょっと手が出なかった。


今週はナショナルパーク週間で、グランドキャニオンへ
入るのも無料でした。
キャンピングカーがいっぱい。
こんなにガソリンが上がっても、
アースデーに最も反する車の典型であるような
キャンピングカーがアメリカ人は好きなのですね・・・。


グランドキャニオンに来るのは数度目でしょうか。
でもこんなスーパーマーケットがあったなんて
今まで知りませんでした。
食料から日用品、キャンプ用のリュックサックから
衣類、アルコールまで・・・。

今日、1つ確認出来たのは、アメリカでは
リサイクルのゴミ箱にスーパーマーケットなどの
プラスチックの袋やジップロックの袋も
入れてはいけないこと。
マーケットの入り口には買い物袋専用の
リサイクルの箱が設置されていますが、
これら(日本語で言うヴィニール袋でしょうか)は
リサイクルの行程が違うそうです。

リサイクルに関しては大阪に住む母や
長野に住む友人のお母様が
細かくごみを仕分けしているのを見ているので
アメリカのリサイクルごみ出しはまだまだ
大雑把。
アルミ缶もジュースの入ったプラスチック容器も、
シリアルの入った紙箱も全部いっしょに
捨てちゃってもいいのですから。
少なくとも私の住む、ここフラッグスタッフのアパートに
置いてあるゴミ箱では。

まあリサイクル用のゴミ箱がある分、まだましかも
知れません。
でもこういう田舎にいると(もちろんアメリカの田舎が
どこもそうだとは限らないのでしょうが)
<環境問題>への
関心の薄さをひしひしと感じます。

この前辞めた白人のアシスタントマネジャーは
仕事場で他のインディアンの従業員たちが
ゴミ箱に捨てたペプシの缶だの、その他
リサイクル出来るものをいつもせっせと
選り分けていました。

***

期待はずれだったイヴェントからはさっさと
帰りました。
とにかくいつ行っても迷うグランドキャニオンは
どうも苦手な私です・・・。

2011年4月21日木曜日

もう一人のMさん

田中好子さんのニュースを見て
ついさっきブログを書いた後、
何となく気になって、ある方に電話をしました。

彼女とは病室こそ違いましたが、
入院前の検査の時からの戦友。
それもあって退院後も例のMさん以外で唯一
連絡をしていた方でした。

最初は肺がんが始まりでした。
タバコも吸わないのに。

アメリカからも時々電話をして近況をおききしたり、
日本に帰った時は必ず電話をして話していました。

私と同じ病院から退院後も何度も転移を繰り返して、
別の病院で手術を受けていたけれど、何とか生きてるよ
といつもくったくのない口ぶりで話してくれた彼女。

今さっき電話したら、私のことを覚えて
くださっていただんなさん、
一昨年亡くなったんです・・・と。
そんなこと考えもしていなかった私は、
電話口で大泣きに泣いてしまって言葉が出てこない・・・。
入院中私の知る中では、唯一生き伸びた戦友でした。
お歳は70歳だったそうです。
細くて若く見えたMさん。
でも70歳まで生きられたのですね。

***

術後11年もたって普段は考えないけれど、
手術を受けたこの時期になると、
やはりつい思い出してしまいます・・・。
何と言っても、なった者とその家族にしかわからない
このがんという病気のこと・・・。




田中好子さん、安らかに眠ってください

NHKの朝の連続ドラマ「ちゅらさん」は
その年の年末に日本に帰った時に総集編で見て、
とても感動しました。
2001年のドラマだったのですね。
岡田恵和のシナリオも良かったし、
キャスティングも絶妙で、
ドラマ全体に流れる人々の暖かさが心に沁みました。

田中好子さん演じるヒロイン、エリィのお母さんが
何とももったり、ゆったり、とても印象的でした。

あの時彼女はもう乳がんと闘っていた
最中だったんですね・・・。

***

13年前の今ごろ、私は入院することになっていた病院の
ベッドの空き待ち、自宅待機でした。
病名は胃がん。
45歳でした。
私の診断は初期。
それでも胃の2/3を取りました。

同じ病室には大腸がん、乳がん、肺がんの
女性患者がいました。
二人はすぐに亡くなりました。

入院中に知り合って大の仲良しになったMさん。
姉御肌で、私を入院患者ヒエラルキーから守って
くれた唯一の人。
彼女の病名は骨肉腫で、乳がん、肺がん、
最後には脳にも転移して、何度手術を受けたことでしょう。
でも彼女のすさまじいまでの生へのエネルギー
には感服したものです。

絵が上手だった彼女が田中好子さんがしていたのと
同じように、ご自分の描いた絵で
カレンダーを作って、私もいただきました。

ある時神戸の地下街をうろちょろしていて、
輸入雑貨のお店で、あなたは胃がないから
これ、と言ってフランス製の業務用のグラスの
一番小さいのを買ってくれたMさん。
まだ使っていますよ、あのARCOROCの小さなグラス。

キャンディーズのファンと言うわけではなかったけれど、
当時キャンディーズのファンだった男のコは
もちろん知っています。
アイドルだった同年代の一人の女性の死は
何だかとてもとてもショックでした。

田中好子さん、どうか安らかに・・・。