2011年1月30日日曜日

ホピでダンスのはしご?


朝焼け。

5分後にはこんなに空の色が違っています。



出発は9時。
まずは先々週に農業シンポジウムで行った、
モエンコピへ。
でもプラザに着くとすぐにバッファローダンスは終わって
次のダンスが始まるまで待つよりは、と
私たちは次なるヴィレッジ、サードメサの
バカヴィへ。
ここではディアーダンスが行われています。
ディアーダンスを見るのは初めて。
モエンコピからバカヴィまでこんなに遠かったとは・・・。
あとできけば45マイルだとか。
でも1時間近くかかりました。

<鹿>は白く塗った杖のような(グリースウッド?)木を
両手について現われました。
これで4本足の鹿です。
たくさんのトウヒの枝葉を頭からすっぽり、
カチーナのマスクのようにかぶり、
頭には本物の鹿の角。
左右の角の間にはコットンの糸に例の
プレイヤーフェザー(イーグルの羽)を
4枚くっつけています。
顔はトウヒの葉で覆われて見えないのですが、
何かで目の部分が作られています。
(そこまではっきりとは見えませんでした)
そしてしっぽにはやはりトウヒの枝を1本。
それが体の動きに合わせてぴょんぴょんとはねて、
後ろに回した白いキルトの長いフリンジも
ゆらゆら揺れます。

腰をぴょこぴょこ振る動きも何だかかわいくて
思わず見入りました。
ディアーダンスの後はバッファローダンス。
2匹のバファローに扮した男性と2人の小さな女の子。
鹿皮を片方の肩から
巻いたウォリアーの男性の5人だけが踊ります。
でもドラムと歌い手は15人くらいいました。

今は彼女の息子さんが住む、元はマリィの
お母さんの家。
ダンスが終わったあとそのプラザの家を訪ねたら、
マリィがフェニックスから戻っていました。
<マリィのヘアータイ>でブログで以前
紹介したことのある、あのマリィです。

さあ、食べて、とダンスの時のホワイトコーンの
シチュー、自家製のパンをふるまってくれました。

マリィの息子のアキマはアーティスト。
絵が上手です。
写真の後ろに飾ってあるのもすべて彼の作品。
絵も描くし、ダンスで纏うキルト、サッシュベルトも
織ります。
マリィのだんなさんは白人なので、アキマは
ミックスですがお母さんがホピなので
ホピを名乗れます。

この後、キコツモヴィに寄ったら、踊りは
ちょうど休憩中で、そこで出会った知り合いの
シルバースミスからションゴパヴィでもやってるよ
と聞いて、すぐにセカンドメサへ。
ここでは普通の(黒い毛皮をかぶった)バファロー
ダンスと、白い毛皮の
ホワイトバファローダンスをやっていました。

黒い毛皮のバファローダンスを踊っていた
一人の男のコは高校生くらいでしょうか。
かれは黒人とのハーフでした。
ダンスの動きが大きくて、はっきりしていて
とても印象的。
彼もきっとお母さんがホピなのでしょう。
ここでもダンサーは5人。
男子2人、女子2人にハンター(?)

2年前に同じくションゴパヴィで見た
バファローダンスとはまた違っていました。



久しぶりに訪れたホピの村々。
今日はファーストメサのワルピ、セカンドメサの
ションゴパヴィ、キコツモヴィ、サードメサの
バカヴィ、ホピのリザヴェーションの中で一番西側に
位置するモエンコピ、とあちこちで
ダンスがあったのですね。

バカヴィのディアーダンスは、
マリィの妹ファーンですら見たのは初めてって
言っていました。
それを見れた私たちはラッキーでした。

ディアーダンスはちょっとコミカル、
バファローダンスは(私が見た範囲でですが)
ホピのダンスには珍しく勇壮なダンスでした。

1月もあと1日でおしまい。
1月の最後の日曜日はバファローダンスを
追いかけて、ホピの村をめぐる1日となりました。

2011年1月29日土曜日

やがて悲しき外国語

中学校の時に通っていた塾の先生が
発音に厳しい先生で、
THINK, THANK, THROUGH などの(TH)
の発音、(R)と(L)の発音の違い、
WALK と WORKの、日本語では<ウォー>でしか
表記されない(AL)(OR) の発音の違い、
GIRLの(IR) の発音の舌のおき方などなど、
アメリカ英語の発音を叩き込まれました。

なので自分で言うのも何ですが、彼女のおかげで
そんなに強い<日本人が発音する英語>のアクセントは
ないと自負しています。
(別にアクセントがあったって全然かまいません。
ネイティヴスピーカーではないのですから)

が、今日お店でBULKの発音で
コーワーカーとちょっとぎくしゃくしました・・・。

そもそも長さ(フィート)の単位で売っている
シルバーのチェーンが今セール中ってことは
今日、彼女にも話していました。
なのにまた彼女がこれってセール?ときくので
そう、このBULK のチェーンが
セールなのって言おうとしたのが、
彼女、私の言ったBULKの発音 がわからなくて
は~ン?何、それ?
忙しくて疲れていて、少しいらいらしていたのもあって
つい声が大きくなって
B 、U 、L、 K 、よって・・・。

何も叫ぶ必要はない、と彼女。
叫んだつもりはないけれど、言い訳するのも
めんどうくさくて、さっさと誤りました。
でもあなた、わかってたはずじゃない?
どのチェーンがセールって、私言ったよね?
(「もうちょっと頭、働かせてよ」って
言いたかったけど・・・。)

自分で好きな量だけ量って買えるもの
(袋詰めとかになっていないもの)は
BULK で買えます。
この発音が私にはどうも難しくて・・・
と言うより出来ない!!
って言うか、どう発音しても通じない!!

アメリカ人は絶対と言っていいくらい、
外国人の英語の発音に対して<想像力>は
ありません。
正しい発音、正しいストレス(強弱)で発音しない
ことには全くわかりません。
想像力を働かせてわかろうとはしない。
これはアメリカに来て住む何人(なんにん)
もの外国人からきいた話です。

そのくせ自分たちは<しいたけ>(SHITAKE)
をシィタキ、
枝豆(EDAMAME)をエダマミィと発音して
はばかりません。
日本人ならたとえ多少ヘン?な発音でもすぐに
想像力を働かせて、あ、このことだなと
理解しますよね。
アメリカ人にはそれは当てはまりません。

だからね、私は時々それを逆手に取って、
(シルバーの)SHEETと SHIT(失礼!)、 
FRYと FLYなどで冗談を言ってコーワーカー
や常連のお客さんを笑わせています。

それにしてもやがて悲しき外国語。
やがて悲しき英語かな。












トリニに助けられた!へたしたら地獄でした!!


トリニとティムがお店に現われたのは
午後も3時過ぎでした。
だってホピの農業エキスポでトリニ一家に
会った時(持っていたのにもかかわらず)、
彼女に私がマーリンのお店で買った
彼女作のバックル(昨年12月23日のブログ参照)
を見せるのをうっかり忘れたので
今日、そうそうあのバックル、見せなきゃと、
バッグを探し始めたのが、私の地獄の始まりでした。

何と、車の中にもどこにも私のバッグがない!

バッグって言っても古いプラダの黒のリュック。
(私の趣味ではありませんが母にもらったもの。
仕事に行く時だけ持って行っています)
大事なデジカメから、アーティストのサイン入り
ホピジュエリーの本などなど
失くしたら泣いても泣き切れない物が・・・。

今日はお店はとても忙しくて、トリニたちが来た時は
ほんのつかの間のお客さんがひいた時間。

私はとにかく今日の自分の行動を思い起こす。
ランチの時に最初に銀行に行って、バッグは中まで
持って入りました。
その後、ファーマーズマーケットへ野菜を買いに。

銀行しかない!
すぐに銀行に電話。
バッグは何色?黒です。
どんなバッグ?PRADAのです。

今日は土曜日で銀行は4時に閉店。
何とか間に合って、バッグも戻りました。
窓口のTELLER のカウンターにそのまま置いて
帰っていたのでした。
ここで良かったよ、とは銀行の人。
テラーがすぐに気がついたみたいです。
それにしてもあんな大きな重いバッグを
目の前に置き忘れるなんて・・・。

お店に戻ったら、気が動揺していた私は
トリニが買った24ゲージのシルバーを20ゲージで
レジに打ち込んでいて、待ってくれていた彼らに
レジの打ち直し。
私が見せたトリニのバックルを見て、
これはONE AND ONLY だわね(1つしかない)、
(今はシルバーも高いので)もうこんなぶ厚いのは
作れないよね、とトリニとティム。

13年間マーリンのお店で売れなくて、結局
彼がお店をたたむ時点になって私が買ったトリニの
バックル。
それをバッグに入れていたから、トリニが来て、
それを彼女に見せることを思い出して、バッグを
どこかに置き忘れたことに気がついた・・・。

トリニに感謝!!!

彼女が来なかったら、この連鎖はあり得なくて、
私はきっとバッグをどこに忘れたか思い出せず、
思い出したころには銀行は閉まっていて、
もう心休まる週末はなかったでしょう。

彼女をハグして何度もありがとうを言いました。

もしかしてこれもバホ(プレイヤーフェザー)が
助けてくれたのかな・・・。

トリニ一家の写真は先日のホピ農業エキスポ
でのものです。

またまた美味しいチーズ発見


先日フラッグスタッフのニューフロンティアで
試食があったので試したら美味しくて気に入り、
すぐに買って、今日は2度目です。
これもウェールズのチェダーですが、
ホースラディッシュとパセリが入っています。

クランベリー、マッシュルーム、ハラペニョ(チリの一種)
などが入ったチーズを今までにも買ってみましたが
美味しいチーズはチーズだけで十分ではないかな
という結論に。

なのですが、このホースラディッシュ入りチェダー、
なかなかくせになるお味です。
チェダーだけれど、ソフトで口あたりがよく、
チーズ自体も濃厚です。


最近見つけた美味しいチーズはこれを含めて二つとも
ウェールズのチェダーでした。

イギリスはイングランド、ウェールズ、スコットランド
北アイルランドの連邦国だということを
英文学の授業で習うまで知らなかった
すごく無知だった私。
「世界史」が大嫌いだった私なので、多分
高校の授業では何も聞いていなかったのでしょうね。

ウェールズにはウェールズ語があり、
行ったことのある人の話では、
もうウェールズ語を話す人もほとんどいないけれど
道路標識はいまだに英語とウェールズ語で表示
されていたとのこと。
彼女はアイルランドにも行ったのですが、
英国領の<北アイルランド>に入ったとたん
どこもユニオンジャックの(旗の)洪水だったとか。

とにかくウェールズのチーズ、美味しいです!

実はこのブログを昨夜アップしようとしたのにいくらトライしても
出来ず(そういうこともあるのですね・・・)
土曜日のアップとなりました。

2011年1月28日金曜日

さつまいもが美味しい


昨日セドナのニューフロンティアで買ったさつまいも。
今朝、さっそくスライスしてフライパンで焼きました。
バターで焼くので、ほんのりバターの香りだけの
シンプルなもの。
さつまいもの甘味と風味だけが命。

このおいも、とても甘くて美味しいです。
しかもオーガニック。

LAにいた時はケーキ作りの上手な知り合いの方に
教えてもらったレシピでさつまいものケーキや
プリンなども作っていましたが、今はもう
そんな時間もなくて、簡単、シンプルなもの。
でも美味しくて体にもいい。
私にとっては母の味です。

おいもはふかすか、フライパンでバターで焼く、
そうじゃなければ大学いも。
わらび餅、安倍川餅、おはぎ、寒天、おだんご等など。
昔ながらの母の手作りおやつの味は
私のからだにしみこんでいます。

今朝はランチの用意が昨夜に出来ていたので
少し時間があり、おやつに作りました。

甘くて美味しいおいもさんでほっこり幸せな気分に
なりました。


2011年1月27日木曜日

やっぱりセドナのニューフロンティアは活気があります


私たちは木曜日が平日のオフの日で
セドナのニューフロンティアマーケットに行くのも
木曜日が多いのですが、
なぜかよく<デモ>をしています。
今日はアリゾナローカルのホミオパシーのスキンオイル。



前にデモをしていた時にもらったサンプルを試して
みたらとてもよくて、今日もサンプルだけもらって
デモをしていたGISELLEにこのオイルについての
説明を聞いていましたが、結局オイル、買いました。
約30MLで$44は安くはないですが・・・。



これがそのスキンオイルです。


前はもうこれで入らないと言われていた日本のさつまいも。
まだ入荷していました。
見るからにフレッシュだったのでまたまた
たくさん買いました。

セドナのニューフロンティアはいつもにぎわっていて、
働いている人もフラッグスタッフみたいに
学生のパートタイム、って感じじゃなくて
野菜やお肉、乳製品のデパートメントに
いる人たちはもちろん、レジの人もみんな
しゃきっとしてプロです。

今日買ったスキンオイルもフラッグスタッフ店では
扱っていません。



セドナに着く前にお水を汲もうと立ち寄った
今日の湧き水はすごく水量が少なくて、
ボトルをいっぱいにするのにとても時間がかかりました。

12月のスノーストーム以来雪も降っていないので
どこも水分が不足しているのでしょうか。

1月もそろそろおしまい。
雪もほとんど融けて、去年の今ごろよりは
過ごしやすい今年の冬です。

2011年1月26日水曜日

インディアンとカジノ

NAVAJO-HOPI OBSERVER
毎週水曜日に出るフリーペイパーです。
今日出たその新聞のコラムにこんなのがありました。

これは<オピニオン>のコーナー。
投稿しているのはこの新聞の主編集者
のナバホの男性です。
タイトルは<カジノはナバホ国の未来にとって
真の回答となるのか?>

フラッグスタッフからそう遠くないTWIN ARROWS
というところにオープン予定の3つ目のカジノについての
この編集者の意見です。

ナバホはFIRE ROCK , FLOWING WATER
とすでに2つのカジノを作って経営しています。

彼はカジノを作ることはアルコールやドラッグと
同様にまた別の<中毒>を作るだけではないかと
論じています。

「ナバホ国は<ギャンブルは人間の弱点を利用して
人の金を略奪するだけ>として、カジノビジネスを
拒否しているホピから学ぶべきだ」という
ナバホの意見も載せています。

サウスウェストのインディアン、アコマ、ラグナ、
サンディア、サンタ・アナ、サンフェリペなどなど
ほとんどの部族がカジノを運営しています。

ホピは数少ない「カジノを持たない」インディアンの部族。

まあ雇用をもたらすからという理由でインディアン
カジノを推進する意見が多いですが、
何か他に方法はないのか。

元はと言えばアメリカ政府が
リザヴェーションにインディアンを押し込めて、
彼らを隔絶してしまったから。

罪多き者、汝の名はアメリカなり。








大林組で働いたナバホ




お店に来たナバホのお客さん。
男性が着ていたスウェットシャツにプリントされた
文字に目が行きました。
大林組?
フーヴァーダムに新しい橋を建設していたのも、
それが去年完成したのも知ってはいました。
でもそれが日本の大林組のプロジェクトだったとは
知りませんでした。

このナバホの男性はこの工事現場で
4年間働いたそうです。
「そうだよ、OBAYASHI で働いたのさ」


う~ん、こういうところでも日本の技術は
役に立っているのですね・・・。
と納得した私です。

2011年1月25日火曜日

 ファイヴフィンガー、ヴィブラムソールについて




1970年代に次々と創刊、出版された
アメリカンファッションを紹介するカタログ雑誌等で
初めて知った<VIBRAM SOLE >という言葉。
ロッククライミングやハイキングシューズに使われる
丈夫なゴムの靴底くらいしか認識はありませんでした。

アウトドアに目覚めて(?)ハイキングシューズを
探していると、裏には必ずと言っていいくらい
VIBRAM の黄色のロゴが。


ヴィブラムソールってイタリアの会社だったのですね。
VITALE BRAMANI という登山家が
1935年にイタリアンアルプスに登るべく
自分のパーティーを引き連れて行ったのだけれど
悪天候で6人が亡くなりました。
彼は登山靴が悪かったのではないかと非難もされ、
それで登山靴の底をどうすればいいか研究を始めて
考案したのがあの、でこぼこが特徴の丈夫なゴム底。

自分の名前のVITALE の VI  と
BRAMANI の BRAM をくっつけて    
VIBRAM SOLEと名づけたのですって。
私はいつも黄色いヴィブラムソールのマークを見て
一体何語なんだろうと不思議に思っていましたが、
そのなぞが解けました。
このネイミング、ちょっとおしゃれですね。

話は変わりますが、いつだったかセドナで
日本の地下足袋を履いた男のコを見かけて、
どうやって見つけたの?とたずねたら、オンラインで
買ったのだと言っていました。

ファイヴフィンガーのアイデアももしかしたら
地下足袋から得たのかも・・・。

それにしても靴底だけを使って作った
ファイヴフィンガー。
靴の底用に開発されたヴィブラムソールを、
ソールだけを使って靴ではない履き物を作るという
逆の発想がすばらしいです。
今やどこのサイトでも品切れ続出で、製造が
追いつかないようです。

今はまだ寒いので無理ですが、暖かくなったら
土のトレールをこれで走るのが楽しみです。
 
それにしても日本の<地下足袋>も
よく考えたものですよね。

ついに買ったゾ、ファイヴフィンガー

BARBITT FAMILY はこのあたりの言うなれば
名士?になるのでしょうか。
町はずれには広大なランチを所有し、
ダウンタウンにもいくつかの古いレンガ造りのビルを
持ち、フォードのカーディーラーもしています。
それらは1800年代の終わり頃に建てられたもの。
そのBARBITT'S が今もやっているアウトドアのお店。

とは言え置いているものがダサイので
買い物はいつもすぐそばのマウンテンスポーツ。
ここへ立ち寄ることはほとんどありません。

こういう古いビル、趣ありますよね。


ジムで白人の女のコがはいていたのを初めて
見て、気になっていたこの靴(?)。
今日もジムで男性がはいていたので、話しかけて
きいてみました。
フラッグスタッフでは3つのお店で売っていることが
わかり、さっそく1つ目のBARBITT'S に
行ったわけです。
実はここは最初にファイヴフィンガーのことをきいた
女のコが教えてくれていたのに、
私たちは二人して店内で、どこに置いてあるのか
見つけられずにいたのでした。


この写真は2軒目のPEACE SURPLUSで。
つれあいのサイズはここでも品切れ。

5フィンガー(間違ってもフィンガー5ではない)
はVIBRAM社の商品です。

裸足で歩いたり走ったりすることがなくなった
人間に、野生を取り戻す?なんてことを考えたか
考えなかったのかはわかりませんが、
まあ言えばハイテク地下足袋ですね。

でもね、足に装着して、歩いてみた感覚が
なかなかいいのです。

いわゆる<靴>は足首をサポートしてくれますが、
足の指は靴の中では全くその機能を果たしません。

お店でこのファイヴフィンガーを試しながら、
私は初めて<足袋>をはいた時のことを
なぜか思い出していました・・・。

それにしてもヴィブラム社も考えますねぇ。

2011年1月23日日曜日

エキスポからの帰り、まさに虹色の彩雲でした

ホピの農業エキスポの帰り、ハイウェイ160番を
走っていたら、ちょっと不思議な太陽と雲。
サングラスをかけていたら彩雲が肉眼で見るよりも
はっきりとその色彩がわかるのですが、
この日の彩雲はサングラスをはずしても
はっきりとわかります。





一人で出かけた時の最大の利点は
いつでも好きなときに車を停めて
思う存分写真を撮れること。

ほら、もう行くよ、とか急かされることなく・・・。


サンフランシスコピークスの写真も
何度か車を停めて写しました。

土曜日ということで行きも帰りも
私の後ろを走る車はいたって少なし。
インディアンたちはリザヴエーションから
フラッグスタッフへ買い物に出て来るので
リザヴェーションに向かう私は
反対車線を走っているので、車の数が少ない
というわけです。

この日のホピのエキスポのように、
伝統が忘れ去られない努力をすることは大切な
ことだと思います。
特に食べ物にかかわることって、非常に重要だと
思います。
YOU ARE WHAT YOU EAT 
という言葉が多分70年代ころからアメリカで
使われて来ましたが、
まさに我々が口に入れるものこそ自分自身を
造るからです。

この日いただいたサンプルのホピフードは
ハレの日の食べ物も含めてまさに家庭料理であり、
日本で言うところのお袋の味です。
ホピもそして私たち日本人も、その「作り方」を
次の世代に手渡して行くことこそやらなければ
いけないことなのでしょう。

でも私には娘はなし。
自炊もしない息子です。
小さいときから私の作る日本食をさんざん食べて、味は舌が覚えて
いるとは思いますが(そう願いたい)、
いざ作るとなるとどうなのでしょう・・・。

そんなこともふと考えてしまったホピのエキスポの帰りでした。

エキスポにて その3 


バンケットルームを2つに仕切った会場の
1つは様々な展示あり、即売あり。
これは<グリースウッド>という木の枝のごつごつした
固い皮を削って、サンドペーパーで磨いたもの。
片側の先がへら状にカットされています。
これは種を植えるときに、まずこの枝を土(砂?)に
突き刺し、へらの部分でそのまま土をかいて
種を植える溝を作り、種を植えたらまた
土をかける道具なのだそうです。
ホピの伝統的な種の撒き方です。

細めのはシチューをかき混ぜるのに使います。
白黒の写真でホピの男性が手に持って立てて
いるのがグリースウッドです。



これはユッカの茎で編むホピのバスケット。
バスケットダンスでいっぱい投げられるバスケットですが
直径30cmくらいのが200ドル。
私は小さいのを1つ持っています。
サードメサ、バカヴィのカチーナダンスで
カチーナから直接もらいました。


綿も栽培してるのですね。
綿の実を見たのも初めてですが、実がはじけて
こういう風に中の綿を見たのも生まれて初めてです。



それをこういう風に綿にしてそれを捩って
綿の糸にして、ダンスで身につけるキルトを織ります。
マーカスがくれたプレイヤーフェザーの
お守り<バホ>のコットンの糸もこうやって作ります。



1919年に撮影された写真。
種まきをするホピの男性。
彼が手にしているのがグリースウッドです。

展示された古い写真の中にはセレモニーで
種まきをする男女の写真も。
女性はみんなあの、スターウォーズのレイア姫
の髪型(バタフライ)。
あれはホピの(未婚の)女性の髪型を
まねていたんですね。

隣の部屋ではホピクックブックの著者の女性が
OHPを使っての講演。
この会場にいた参加者には全員に
このホピクックブックが配られました。

参加費無料で美味しいホピフードの
サンプリングは出来て、本までもらえるなんて
主催のNPOであるホピファウンデイションは
お金持ちですね・・・。




エキスポにて その2 日本人とホピの共通点、農耕民族


カチーナダンスがある時と同じように
色とりどりのエプロンをつけて
今日のエキスポのために<ホピフード>の
サンプルをいっぱい作ってくれた女性たち。


見たことがある人がいるなぁと思ったら
何とローレンス(・スフキー)の娘さんの
ロレンシータでした。



こうしてそれぞれの食べ物の前にはネームカード
が置いてあります。
どれもコーンが基本です。
コーン好きの私にはどれも美味しくて、
つい何度もおかわりをもらったものも・・・。


いいですよね、白髪があってもこのふさふさとした
長い髪。
ブレードをしてあげているトリニ。
彼女も髪の毛も伸びたなぁ。

ホピでは台所仕事はおんなのもの。
セレモニーやダンスのある日には何日も前から
お料理の下準備。
シチューを煮込み、パンを焼き・・・。

これは何?と質問をしまくる私にていねいに
答えてくれたおばさん。
伝統的なホピフードを絶やさないためにも
こういった催しは大切です。

自分たちの畑で採れたとうもろこしで作る
ホピの食べ物は正に身土不二。
たいがいのホピの人に共通するあの物腰と
表情のやわらかさは、もしかしたら彼らの
農耕民族ゆえのDNAから来ているのでしょうか。

ホピ農業シンポジウム 第2弾 モエンコピでヴォランティア


フラッグスタッフからハイウェイ89番を北へ、
ハイウェイ160を東へ。
ほぼ1時間15分でTUBA CITY に着きます。
ハイウェイ160をはさんで、東側がモエンコピ(ホピ)。
西側はナバホのリザベーションでTUBA CITYです 。


夏にはサマータイムを取り入れるナバホ側と、
アリゾナタイムでサマータイムのない
ホピ側では、道路1本はさんで1時間の時差のある
地域です。


 


ホピ側モエンコピに完成したホテル。
MOENKOPI LEGACY INN AND SUITES。
シンプルで広いエントランス。
今回も前回同様、HOPI FOUNDATIONの中の
1つの活動団体である NATWANI COLITIONの主催です。

去年の9月にあったシンポジウム(9月18日のブログ参照)
に次ぐイヴェントで、
今回はホピの農業に関する古い写真の展示と
エキスポ。
前回、レジスターの際に「ヴォランティアやります」
の欄に○をつけていたので、今日のイヴェントの
メールが届いたのです。
私の持ち場は受付でした。
土曜日ということもあり、次々と参加者が。
私はレジスターの書き込み用紙を渡して書いてもらって、
パンフレットなどが入ったファイルを渡すこと。

私の目はついTRIBE (部族、ホピとかナバホ)      
  CLAN(氏族)の欄に目が行きます。
来ていたのはほとんどホピ。
CLAN は COYOTE, BAMBOO, ROADRUNNER,
SPIDER, BEAR などなど。
私が行ってからざっと数えただけでも用紙は100枚以上あり、
かなりの人が集まっていました。

お店のお客さんのボブやトリニ一家にも
会いました。

今回の参加費は無料。
私は参加出来ませんでしたが、この日、3回に渡って
アグリカルチャーツアーというのもありました。











2011年1月22日土曜日

親バカです その2



朝日を受けて燦然と輝くマイケル・ジョーダン・・・。


これでした、ジョーダン3レトロ。
私は白い色のスポーツシューズは好きではない
のですが、息子と言えども、好みはね・・・。


フットロッカーは今日、特別に9時にお店を開けて
でも中に入れるのは一組ずつ。

私が並んでほぼ1時間たって私の後にやって来たのは白人のカップル。
1番はナバホの男の子。
2番目はナバホの母娘。
3番目はウィンズローから来たという、これもナバホのカップル。

フードコートのベンチに座ったナバホのおばさんに話しかけたら
あの二人を連れて来たのよ、と私の前、3番目に並んだカップルを
あごで指します。彼女は右手を怪我しています。
運転出来たの?
何とかね。
彼ら、運転しないの?
私しか免許証、持ってないのよ。
それって・・・???。
今朝5時に起きたのよ。

ウィンズローと言えばジャクソン・ブラウンが詞を書いて
イーグルスで有名になった<TAKE IT EASY >の曲に出てくる町です。
フラッグスタッフからI-40フリーウェイを東へ約1時間くらい走ったところにあります。

ウィンズローには有名な<ポサダ・ホテル>がありますが、
ショッピングモールはありません。



結局私が買えたのは息子が欲しかったサイズ10ではなくて、10.5でした。

1番目の男の子と2番目の母娘がサイズ10を買って、それでおしまい。
それぞれのサイズで2足ずつしか入荷していなかったのです。

とりあえず10.5でも1足は手に入れたゾ、息子よ。

引退してもなおこれだけの人気を保つ
マイケル・ジョーダンとは何ぞや。

あのシュートの優雅さ、華麗なジャンプ、アーティスティックな身のこなし、
品のいい(と私は思う)風貌。
おそらくNBAで二人と出てこないプレイヤーでしょうね。

マイケル・ジョーダン、スコッティ・ピッペン、レジー・ミラーなどなど(ある意味)
NBAの黄金時代を10代にさんざん見て来た息子にとっては
やはりジョーダンはヒーローなのでしょうか。

いずれにしろ、都会じゃなくて、競争率も高くなくて良かったかも。

とあるウェブサイトでは深夜にすでに完売でした。