2010年7月31日土曜日

Short Trip to LA  ☆2ヶ国語が話せるって

今回のLAでの買出し&友人に会う旅で
印象に残った人が二人います。
一人は、リトル東京のかつてのミツワ(ヤオハン)が
韓国系のギャラリアマーケットに変わっていて、
そこで親切に私が探している物の置いてある場所を教えて
くださったキムさんです。
お歳は60代くらいでしょうか。
私が探していたものは1階のグロサリーのフロアにはなくて、
雑貨は2階だからと、キムさんはわざわざ2階まで
一緒に来てくれて、探し物を2階のお店の韓国人の店員さんに
きいてくれました。
日本語がお上手ですね、日本に住んでいらしたことが
あるのですか、とたずねたら、そうだとおっしゃっていました。
私もロサンジェルスにいた頃はコリアタウンのギャラリア
マーケットに時々買い物に来ていました。
それがこのリトル東京のミツワを買い取ってギャラリアマーケットに
なっていたのはきいて知ってはいましたが、
場所がら、日本人のお客さんも多いことでしょう。
このキムさんのように、日本語が話せるスタッフがいたら
日本人は何かと助かることでしょう。
ていねいな物腰、人当たりのいい、温和な感じの
こんな方がいるのはとても有難いですよね。
もう一人はニジヤマーケットで、行けばいつもどっさり買い物をする
私たちを色々とヘルプしてくださるKさん。
フロアでふと韓国人のお客さんと韓国語で対応しているKさんを見て
私たちは???。
お話を聞くと彼はいわゆる<元>在日韓国人でした。
3歳で両親に連れられて日本に来て、中学生(か高校生。
すみません、はっきり覚えられていません)の時家族で
日本に帰化されたとのこと。
大学時代に韓国語を勉強して、彼は謙遜されていましたが
私には流暢に聞こえました。
場所がらサウスベイエリアも韓国人が増えています。
Kさんのようなスタッフがいたら、これまたコリアンマーケットでの
キムさんのように、韓国人のお客さんにはうれしいでしょう。
それにしてもKさんは(元在日だと言われても)全く
日本人にしか見えませんでした。
私がそう言うと、
中国残留日本人孤児は日本に戻って来ても
中国人に見えるでしょう。
人間、育ち、環境ですから、と軽くおっしゃっていました・・・。
いつもてきぱきと仕事をされて、氷やら何やら、
私の要望にいつも応えてくれる
Kさんご自身のお話にびっくりした私たちです。
どういういきさつ、生い立ちがあっても、2ヶ国語(二人のKさんは
英語を含めて結局3ヶ国語ですが)が出来るって
いいなあと感じ入った私です。
言語はコミュニケート出来たら、それでいいんですよね。
ダウンタウンのアースカフェで、アクセントはあっても
一生懸命英語でサーヴしたり話かけてくれるメキシカンの
スタッフにも何か、感動すらした私。
下手でも上手くない発音でも、一生懸命の気持ちが伝われば
それでOK。
ほんの少しのアクセントの場所や発音が違うからと
ハァ?を繰り返すアメリカ人とはえらい違いです。
そう言えば今日、仕事場のお店に来たベルギー人のお客さんも
(当然)フランス語訛りの英語を話していましたが
メートル法の話でちょっと盛り上がりました。
今やイギリスとアメリカだけでしょ、ややこしいインチや
フィートや華氏を使うのは。
頑固ですよね、と私が言うと、まあゆっくりね、何て、
私と違って寛容な言葉。
いいなあ、ベルギー人って。
若かりし頃のソフィア・ローレンに似てるわね、と私が
目元がよく似ている娘さんのことをそう言うと、
それをフランス語で奥さんと娘さんに通訳していました。
宝島から<道具としての英語>が初めて出版されたのは
いつごろのことでしょうか。
言葉はコミュニケーションの道具。
コミュニケートして心を通じ合わせるだけなら
伝わればいいのですよね。
そして伝わっていることがわかれば、いくらでも
話し続けられるものなのです、言葉って。
            

2010年7月30日金曜日

Short Trip to LA  ☆ダウンタウンのアースカフェ

ロサンジェルス、メルローズアヴェニューにアースカフェが
オープンしたのは1994年。
私たちはオープン当初からお気に入りのカフェでした。
とにかくカフェラテが美味しかったのです。
しかもコーヒーはすべてオーガニック。
その後、ビバリーヒルズ、そしてサンタモニカと次々に
オープンしましたが、どのお店もたいてい満員。
私はおもにここのエスプレッソのコーヒー豆を買いに
行っていました。

そのUrth Cafe がダウンタウン、リトル東京の近くにオープン
したと聞いていたので、行ってみました。
向かい側にだけファッショナブルなビルが建っていましたが、
まわりは古い倉庫街。
このれんが造りのビルもかつての工場だとか。
従業員はすべてラテン系か少しのアジア系。
いわゆるアメリカ人は働いていません。
それもここの方針なのかも知れません。
彼らはよく働くし、英語にアクセントはあっても
(それはお互い様)みんな一生懸命サーヴしてくれて、
とても愛想が良くて親切。
このダウンタウン店のマネジャー(マネジャーもラティーノです)
は1号店のメルローズ店からのアースカフェ生え抜き(?)
のスタッフでした。

ここの絶品オーガニックコーヒーは1パウンド$16.5。
普通私が買うオーガニックのコーヒー豆が1パウンド10ドルから
12ドルくらい。
それに比べたら格段に高いですが、円に換算したら
100グラムの値段なんて知れてます。
カフェの建物の時計台の上のアースカフェのサインが
くるくる回るのもレトロな感じでおしゃれでした。
ポリスの休憩所にもなっているのか私たちがいる間にも
ポリスのグループが朝食を食べていました。
この後コリアタウンへ行くのに、ポリスなら1番の近道を
知っているだろうと道をたずねたら、
下の道の行き方を教えてくれて、隣にお店のラティーノの
マネジャーがいるにもかかわらず、
スパニッシュが襲って来るかも知れないので
車のドアのロックは忘れないように、と茶目っ気たっぷりに・・・。
LAのポリスはどこかカジュアルです。
今回行ったお店の中でも1番感じが良かったアースカフェ。
それにしてもれんがの建物って雰囲気ありますよね。

Short Trio to LA ☆野球を見てから?!

人手不足の職場でお互い長い休みが取れない私たちは
2泊3日の強行スケジュールでロサンジェルスへ。
朝5時起床、6時出発。
しかも行きは日曜日のジャイアンツ対アリゾナダイヤモンド
バックスのデイゲームを見てから出発。
お目当てはジャイアンツの先発ピッチャー
リンスカムです。
リンちゃん(と勝手に呼んでます)、2アウトを取ってから
打たれるというパターンが続きましたが、
それでも8回まで投げて降板。
ロサンジェルスに着いて、友人宅のコンピュータで
ジャイアンツが勝ったことを知り
(私たちは最後までいず、結果を知らないままでした)
リンスカムの負けはなかったことを知って、一安心。
Ebayで落とした気に入りのリンスカムのジャージを来て
写真におさまるつれあいです。
赤い帽子は息子が父の日のプレゼントに送って来た
とんねるず、木梨さんの実家<木梨自転車店>の帽子です。
息子いわく単なるシャレだとか。
この後華氏111度(40℃近い?)近い中、
10番フリーウェイの砂漠の中をひたすら西へ走りました。
LAに到着したのは10時半。
何か食べようとリトル東京の<スエヒロ>に入ったら、
何と超満員でした。

2010年7月23日金曜日

名もなき花(ほんとはあります、もちろん)

街にトレールを作るというのはポートランドが
モデル都市のようです。
ここフラッグスタッフも途切れ途切れではありますが
トレールはかなり整備されています。
木曜日のオフの日、初めてのトレールを走りました。
道ばたには名もなき野草やワイルドフラワーたちが。
このトレールはアップダウンもなく、人も少なくて
すごく走りやすかったです。
帰りはつれあいは車でジムへ。
私はジムまで走りました。黒い雲を見ながら。
万歩計の距離は5マイル。
ジムに着いてマシーンを始めたとたん、外は雨が降り出して、
私は間一髪で雨には合いませんでした。








私がワイルドフラワーの蜂蜜を好きなのは、
野生の花が<野生>だから。
畑で大事にオーガニックに育てられた野菜や果物の花の
蜜でもないからです。



負けないように枯れないように 笑って咲く花になろう
と歌ったのはミスチルでしたね。
(私も仕事場でいじめや偏見に)負けないように枯れないように
笑って咲く花(老花)にならなければ・・・。



虹!

水曜日。
仕事から帰ってしばらくしてふとダイニングエリアから
窓の外を見たら虹が。
あわててカメラを手に外へ出ました。
木がじゃまをしない場所まで歩いて、虹はダブルだった
ことがわかりました。
この右にもうっすらと、もう1つ虹がかかっていたのです。



アパートに戻ろうと歩きかけたら西の空にはこんな
雲が。
雨が降った後の清々しい空はもう秋の空。
そしてこの美しい色彩。


少し前に日本で本当に虹のように分かれて色のついた彩雲が見えた
という写真入りのニュースを見ました。
それはまさに雲が七色に分かれた本当の(?)彩雲でした。
自然の織り成す美。
自然のもたらす脅威、そして驚異。
自然に目を向け、トレールランニングや山歩きが
好きになったのはアラスカに住んでからです。
ひょんなことで移り住んだアラスカですが、
星野道夫とアラスカに感謝です。




2010年7月20日火曜日

集中力があるのかはてまたアホなのか

仕事は最後のお客さんの切れが良く、6時20分には家に着いたので
今日は走るだけにしようといつものコースを
走りました。
距離をちょっと増やそうと、ちょうど帰る途中にあるジムに
寄って、トレッドミルで走り出しました。
↑の写真の右下のグレーのものがジムのキー、
と言うかIDのようなもの。
これをスキャンしてドアを開けます。
鍵をしょっちゅう置き忘れたり、落としたりする私は
最近仕事先でこの大きな鈴を買ってつけています。
この鈴はよくホピの人たちがカチーナダンス用に買って行くもの。
最後の1つを買って、キーのたばにつけました。
ポケットに入れているとなかなか迫力のある、鈴のいい音がします。
その鈴がトレッドミルで走るにはちょっとうるさいので、
お水のボトルを入れるためのポケットに鍵を入れたのが
運のつき。
走り終えてジムを出て、アパートまで走って帰って、
建物の前まで来て、ポケットから鈴の音が聞こえなかったことに
気づく・・・。
帰り道、ずっと考え事をしていました。
それにしてもあの大きな鈴の音が聞こえないことに
アパートに着くまで気づかないなんて・・・。
よほど考え事に集中していたのか(それもある意味おそろしい)、
それとも私は単なるアホなのか・・・。
多分後者でしょうが。
あっと気づいてあわてて全力疾走でまたジムまで。
中では大きな音楽ががんがん鳴っているジムのガラスを
どんどんたたいて、
やっと、中でマシーンをしていた一人の男のコが気づいて
入り口のドアを開けてくれて、入れました。
だって全部この鍵たばについているのですもの。
ジムにも入れません。
私が使っていたトレッドミルは誰も使っていなくて、
キーはポケットの底にそのままありました。
キーをポケットにしまってまたまたアパートまで。
もう疲れて、歩きました。
が、万歩計を見たら、今日の走行距離は5マイル。
ホピの100マイルクラブの全走行距離はこれで
90マイルに。
9月までまだまだ距離を伸ばせそうです。
 ☆
それにしてももう1つ鈴をつけて、もっとうるさくした方が
いいのでしょうか。 
日本にいる母が家の鍵に小さな(でもいい音のする)鈴
をつけているのを見て鍵に鈴をつけるなんて年寄りくさくっていやだ
なんて思っていた私が、今やこの大きな鈴が大のお気に入りです。
デジカメや仕事に持って行くバッグにもつけようかと思っています。
そうつれあいに言ったら、自分にもつけたら?
自分を失くさないように。 
私もそう思っていたところなのでした、実は。

2010年7月18日日曜日

7月もあと2週間


先週はいつもの木曜日オフを火曜日に変えたので
5日ぶりの休みの日曜日でした。
ゆっくり寝ていたい日曜日ですが、
Moonrise Farmのトマトを買うために、8時オープンの
ファーマーズマーケットに行かないと・・・。
そのために今日はぎりぎりの7時半起床です。
蜂蜜も少なくなって来たので、ファーマーズマーケットで
寄ったのはトマトのお店と日本のナスを売ってるところと
蜂蜜屋さんでした。


いつも朝起きて、まずお水を飲み、その後にロイヤルゼリーを
蜂蜜と混ぜたのを取ります。
今日は起きてすぐに出かけたので、ファーマーズマーケットから
帰って飲もうと開けたロイヤルゼリーがもうあまり残って
いなかったことに気づきました。
来週は来れないので、後からまたファーマーズマーケットに
戻ってロイヤルゼリーを買いました。
この蜂蜜屋さんはメキシカンのご夫婦。
今はもっぱら彼らの蜂蜜を買っています。
何と言っても野生の花々の蜂蜜は100%オーガニックですから。
もちろん熱処理もなくローハニーです。
奥さんのロザはロイヤルゼリーとビーポリンと蜂蜜を混ぜて
飲んでいるとのこと。
私も次はビーポリンも買って、そうしてみようかな。
最近のこの暑さでも私がけっこう元気でいられるのはここの
ロイヤルゼリーのおかげかも・・・。
2時間も気持ちよく午睡したので夕方9kmほど走りました。 
今まで行ったことのない方向へ走っていたら、新しいトレイルを見つけて
進み出したのは良かったのですが、途中から鬱蒼とした
松林の中、もしや熊でも出て来たら、と怖くなり
住宅街に戻って話しかけた犬と散歩中の女性に
トレイルの距離をたずねたら、一緒に走ろうということになり、
彼女(ジュリアさん)とそのトレイルの終わりまで走りました。
一瞬、和歌山の山奥の道を思い出したくらい
気持ちのいいトレイルではありました。
7月もあと2週間。
来週の日曜日は息子の誕生日、そしてフルムーンです。
外はまだ23℃ある北アリゾナの夜です。
  

2010年7月17日土曜日

ヴィンテージスカート 第2弾!

ランチの時間に久しぶりに近くのスリフトショップをのぞいたら、
また新しいヴィンテークローズが入っていました。
たくさんあるスカートの中で、これ1枚だけ
こんなパターンのスカートが。
小さなスパンコールとビーズが縫い付けてあります。
ファスナー以外はすべて手縫いです。
中にはペチコートまで縫い付けてあります。
<アリゾナハイウェイ>
1999年6月号と7月号です。
6月号は鳥の特集。7月号の表紙はジョン・フォード監督とジョン・ウェイン。
ジョン・フォードってアイルランド系だったのですね。
それでやはりアイルランド系のジョン・ウェインを好んで
使ったと日本のサイトに書いてありました。



モニュメントヴァレーは私の気に入りの場所である。
ここには川があり、山があり、平原も砂漠もある。
ここでは平穏でいられる。
世界中のあらゆるところに行ったけれど、
この場所こそが完璧に美しく、平穏な場所であると思う。
とジョン・フォードは言っています。
(アリゾナハイウェイ、この号より)
彼が一連の西部劇を作っていたのは70年近く前。
私はモニュメントヴァレーには行ったことがありませんが、
やはりこの地にいる間に1度は行ってみたいですよね。
ジョン・フォードと言う名前とアイリッシュ系は繋がらなかったけれど
ゲーリック語の(ちょっとややこしい)名前を変えているのですね。
父が大好きだった西部劇。
ジョン・フォードの映画、ちょっと見てみたくなりました。


↑はこれまたいっぱい並べられていたヴィンテージの布。
洋裁は全くだめな私ですが、黒というのとこのレトロな
模様が気に入って小さい布をつい買ってしまいました。
これもきっと70年代くらいのものではないでしょうか。
何か作れるかな・・・。



買い付けの小野さんとドロシー

消火の講習があった金曜日、お店に日本人男性がやって来ました。
店のお客さんでもあるナバホのアーティストと会う約束があり、
それでサンダーバードに寄ってくださったようでした。
そこへ私たち従業員にジュエリーを売りに来ていた、
ホテヴィラのドロシーを私が紹介しました。
遠慮がちに私たちが見終わるのを待って、あとは
買い付けのプロは計算機をぱっぱとたたきながら、
彼女の持っていたジュエリーのほとんどをお買い上げ。
ドロシーも予期せぬ収入に大喜びでした。
この後ランチタイムに彼と近くのカフェへ行き、
色々とジュエリーの話で盛り上がりました。
特定のお店以外では今はもう手に入らないようなホピの大御所の
ジュエリーを二つも身につけていた小野さん。
それも日本で買っているのですから驚き。
10月に結婚されるそうで、親しいホピのアーティストに
結婚指輪を作ってもらったと話してくれました。
これはすごくいいアイデアですよね。
世界に2つだけのオーバーレイの結婚指輪。
もっと若かったら結婚指輪のない私たちもホピのアーティストに
オーダーしたかったですが、
もう先も見えてきて、今さらだし、第1彼は指環をつけません。
ならペンダントとも思いましたが、これもやめました。
今さらおそろいで2つ作ってもらってもね・・・。
ということで私は自分の気に入ったジュエリーを見たり
見つけたら買う、という感じです。

初めて消火器を使う

この日は何と朝7時に仕事場に集合。
消防署の認可を受けた業者から消火器の使い方についての
訓練がありました。
LAにいた時やはり働いていたクリニックで消火訓練が
ありましたが、その時はスタッフがたくさんいて、
私は指名された何人かのスタッフが消火器で
実際に燃やした火を消すのを見ていただけでした。
今回はたった4人しかいないので、全員が交代で消火器を持ち、
外のゴミ箱が燃えていると想定しての訓練。
この前の山火事で、たとえ消火訓練でも火は燃やせない
からです。
彼が担当のアレンさん。
仕事場にはシルバースミスたちが使うアセチレンガスの
タンクを置いています。
これに火がついたらもう消火器どころではないので
とにかく逃げるように、ということでした。
お店の入っている古~いショッピングセンターは
おそらく1960年代後半に建てられたようで、
スプリンクラーもなく、今の会社サンダーバードが買い取った後も、
火災報知機すらつけていなかったのです。
担当の人いわく、古い建物は新しい法律が適用されないので
ビルの所有者に新しくスプリンクラーを設置する義務も
ないのだそうです。
ただ新しくどこかをさわるというような時は今の法律が
適用されるのだそうです。
そんな話からここに長く住むダイアンや昔を知るマネジャーらの
かつてのフラッグスタッフの中心はここらへんの
イーストサイドで、私の住む、町のウェストサイドにはまだ何も
なかったという話が興味深かったです。
だって今やイーストサイドは寂れる一方。
ウォールマートが西に出来て人の流れが変わったんだ
とのこと。
日本の商店街が寂れて、スーパーやスーパーも入る
ショッピングモールにお客さんが流れるのと同じ現象なのでしょう。
1970年代のフラッグスタッフ、シルバーは今の値段の
何分の1かで、シルバースミスたちはきっとぜいたくに
ぶ厚いシルバーを使ってジュエリーを作って
いたのでしょう。
そんな当時のフラッグスタッフにタイムスリップしてみたいです・・・。

2010年7月15日木曜日

アリゾナの姿勢、カチーナの住む山を踏みにじる

ここフラッグスタッフで毎週水曜日発刊の
<ナバホ・ホピオブザーバー>という無料の新聞。
今週の水曜日に出た号のトップ記事は
FDA(米国食品医薬品局)がフラッグスタッフの北にある
スノーボウルというスキー場を拡張することを承認した
というもので、これはリザベーションの住民を
深く失望させたという見出しです。
☆☆☆
記事によればこの問題についてネイティブ側の弁護士である
ハワード・シャンカー氏が、建設工事を多少なりとも
食い止めるために、一時的な制限を求める訴訟を
起こしていたのだけれど、それが正式に裁判所に
受理されたのは祝日の独立記念日の週末
(7月5日まで祭日でした)の後の7月6日。
USDA(米国食品医薬品局)の長官である
トム・ヴィルサック氏がゴーサインを出したのが7月1日。
これってきっと意図的だと思いました。
スノーボウルのオーナーであるエリック・ボロウスキー氏は
フラッグスタッフの市会議員に(人口雪を作るための)下水の
処理水の使用についてお伺いを立てると言っていますが、
市会議員はもうこれを承認しているのです。
ただこれについては7月29日から始まる
Flagstaff Water Commissionと一般市民との
話し合いで討議されるとのこと。
以下は前のホピ政府の委員長である
ベン・ヌヴァムサ氏のコメントです。
<我々ホピはこれからもずっとヌヴァティクィオヴィ(サンフランシスコ
ピークスのオリジナルのホピの呼び名)を聖なるところと信じます。
だからこそこの聖なる山を守るために戦わなければいけないのです。
いかなる法的、政治的なおかしいことが我々の目の前に
積み上げられてもです。
これが我々の生きる道です。
私たちの伝統と儀式は我々の存在の根幹であり、
それはこれからも続くでしょう>
私はこれを呼んで涙が出て来ました。
ホピの神様であるカチーナが住む、聖なる山に
トイレや下水を浄化した水で作った人口雪を降らせる。
私の仕事場のアシスタントマネジャーである
だんなさんがオーストラリア人で、自分もパースに
何年か住んだことのあるダイアンは、オーストラリアでは
<ポータブルウォーター(下水の浄化水)>を飲料水として
飲んでるから、私はそれ(下水の浄化水を人口雪に使うこと)
自体にはあまり抵抗はないのよ、と。
えっと私は聞き返したけれど、そうらしいです。
でもいくら浄化されたとは言え、トイレの排水や下水の水です。
そんな水を使ってまで人口雪を作って、
今よりスキー場を拡張して、一体どれだけのベネフィットが
あるのか・・・。
新しいスロープ、もっと大きなロッジ、それをするのに
何百億円ものお金がかかるのです。
でもこれに投資する金持ちがまたいっぱいいるのだそうです。
☆☆☆
昨日お店に来たホピのお客さんマーガレットと
レジを終えてからこの話になり、彼女も涙ぐんでいたように
感じました。
ここの人たちにとってはインディアンの聖なる山なんて
何の意味もないし、ただのビジネスの対象でしかないのよね。
自然を残そうなんて意識もないし。
私も許せない。
ホピの神様、カチーナ。
カチーナが大好きな私にはこれってカチーナの顔に
泥を塗るようなもの。
ホピは聖なる山には登らないし、登る時はセレモニーを
して清らかな心で登るようになっているサンフランシスコピークス。
そこにスキー場を作った時点でもアウトだけど、
そこにトイレや下水の水を撒くなんて・・・。
私も私に出来ることで関わりたいし、戦いたい。
そう強く思いました。

2010年7月13日火曜日

グランドキャニオンで 3


公園内の道沿いに車が何台かつらなって停まっていたので
見たら、エルクが2頭静かに草を食んでいました。
写真を写そうと人がかなり近くまで来ても
一生懸命、黙々と食べている。
elkを辞書で引いたらへらじかとなっていますが、
へらじかはアラスカで見たムース(moose)だったはず。
elkはネイティブの言葉でwapitiとも言われるそうで
mooseとは角が全然違います。
elkの角は長い!!
そしてその角にはビロードのような短い、細かい毛が。
人に近寄られても逃げもせず、我関せずと食事をしていた
エルクを見ていたら、柵のない動物園のような気がして
しまった私。
人馴れしていたのでしょうか。
今度会ったらきいてみます。

グランドキャニオンで 2


  ブライトエンジェルロッジの前に停まったバス。
  公園内のツアーバスです。
  このサンダーバードのマークがかわいいです。
  ↓





↑はこのバスのドライバーガイドである
ロビンさんがしていたボロタイ。
何とかサンダーバードって言うんだと教えて
くれましたが、聴き取れませんでした。
多分左右に入った2本の線が特徴なのだと
思います。
ホピのオーバーレイ。
写真がぼやけてしまったのは残念・・・。
ガイドはみんなこのボロタイをつけるのだ
そうです。
裏のホールマークも写真に撮りましたが
例のホピのホールマークの本でもまだ作者が見つかりません。
アラスカのデナリ公園のドライバーガイドも
大変な仕事だったと思いますが、同時にとても
魅力的な仕事でした。
アラスカの自然に魅せられてガイドをしている人が
たくさんいました。
グランドキャニオンのこのツアーバスには乗ったことが
ありませんが、1度乗ってみたいです。
残念ながらこの写真のロビンさんとはお話する時間は
ほとんどなかった・・・。

グランドキャニオンで 1




ロサンジェルスに住む友人が日本からのお客さんをつれて
グランドキャニオン、ラスべガスツアーに来ました。
私もグランドキャニオンだけお付き合いさせて
もらって、朝3時半にフラッグスタッフを出発しました。
日の出を見るのに最適と勧められたヤバパイポイントが
なかなか見つからず、日の出は別のポイントから見ました。
すっかり明るくなってヤバパイポイントに着いて
ここの見晴らしの良さはやはりすばらしくて、
ちょっと残念でした。
とは言え私はグランドキャニオンのトレールを下まで降りて
登ることは1度チャレンジしてみたいと
思っていますが、あの延々と続く谷は、どこから見ても
見るにはあまりにも大きすぎて、
特に感動というものも感じません。
 
それより帰りに見たエルクの方が私にはうれしかったです。



2010年7月11日日曜日

失くしてなかった!!

6月の父の日にセカンドメサのションゴパヴィへ
カチーナダンスを見に行った時に確かに、朝
身に着けたはずの小さなピアス。
車に乗ってそんなにたたない時点で耳にないことに
気づいて、がっかり・・・。
家を出る前にばたばたしたので、
部屋ですでにつけたつもりで鏡のまわりにでも落としたのかと
家に帰って何度も探したけれども見あたらない。
車のシートも探したけれどない。
外で落としたとは思えないけれど、見つからないものは
見つからない。
ところが今日、ちょっとした時間に車の後ろの座席の
いらないスーパーの買い物袋を整理しようと袋を持ち上げたら
何と、そこにはこのコヨーテのピアスが・・・。
もちろん後ろの止め具(バッキング)はなかったですが。
二つそろったコヨーテのピアス。




このピアスの作者はリーロイ・ホンヤクテワ。
トリニの姉妹ルーシーの元だんなさん。
トリニのお父さん、グレン・ルーカスからジュエリー作りを習った人。
親ごさんを看るのにヴィレッジからフラッグタッにに移ったんだ
とお店に来て、それからまもなく
ルーシーがお店に来て、私たち別れたのともらしていました。
見た目のいかつさ(?ゴメン、リー<と呼んでと彼の要望>。
とは言え、リーロイは英語でなかなか発音がむずかしいので
私にはリーが簡単でいいのですが)に似合わず
細かいものを作るんですね。

コヨーテとホピメイデン。
やっと2つそろったリーロイのピアス。
失くした(と思っていた)ものが見つかるのって
すごくうれしいものです。
しかもこんな小さなものが。
朝、彩雲を見たから、いいことあったのかな。


朝の彩雲

いわし雲?それともうろこ雲?
いずれにしても私には秋空に見える、
7月半ば近い空です。


ファーマーズマーケットから帰って車から降りて
見上げた東の空にまたまた彩雲が。


アラスカでガイドをした時、日本からの添乗員さんが
「外国で彩雲を見たらいいことがあるって言うんですよ」と
ツアーのお客さんに話していたように思います。
 ところがこの後、私にもいいことがあったのです・・・。



Moonrize Farmsのトマト

日曜日の朝、早起きするのはちょっとつらいけれど、
ここのトマトを買うためなら・・・。
この町で日曜日の朝のファーマーズマーケットに
通い始めて以来、彼らの作るオーガニックトマトにぞっこん。
Moonrize Farmという名前もかわいくて好きです。
先週は今年初めてのトマトが出て
買い求めようとした私に、
あなたは私たちのトマトの味をよく知ってるから
正直に言うけど、
これはまだちょっとフレイバーがうすいの。
と言ってくれたロレイン。
確かに出盛りのときのと比べれば味はまだ少し
足りなかったけど、他のトマトと比べたら十分トマトの味が
していました。
そんなロレインはいつも笑顔のかわいい人。

私の気に入りは赤い、サイベリアン(Siberian)ヘアールーム
という種類のトマト。
一般的に大味で皮の厚いアメリカのトマトですが、
ここのは
しっかり懐かしいトマトの味がして、皮も薄い。

やはり夏にはトマト!
そしてトマトは夏のもの。

下の写真は彼らが100羽ほど飼っている鶏の卵。
冷蔵庫にはまだ6個あるので、
今日は半ダースだけ買いました。
トマトでスクランブルエッグ、またオクラとあえて生で。
カリフォルニアと違い、ここのファーマーズマーケットは
夏の間だけ。
今日は別のスタンドでまたまた日本のナスが出ていたので
なすもいっぱい買いました。
しっかりと旬の野菜を食べなきゃ!












2010年7月10日土曜日

7月に入って、今週あたりから、何となく空がもう夏のものじゃない。
人々はモンスーン気候に入ったんだと言っていますが、
今日おそらく初めて、少しは<降った>と言えるほどの雨が
わずかの間だけど、ざーっと降りました。
夕立のような雨。
雨のにおいがすきです。
今年も今のところ雨が少ない。
雨だけに頼るホピの人たちの畑が少しでも潤いますように。
そう願わずにはおれないこの夏のフラッグスタッフです。




チーズおろし器






以前仕事場の近くのスリフトショップで見つけて買った、イタリア製のチーズおろし器。
あまり使うチャンスがなくて、また寄付に回そうかと思っていたのですが、
レジアーノパルメジャンの(シュレッドしたものがなくて、仕方なく)
かたまりを買って来たら、これが役に立ちました。
真ん中のステンレスの部分が他に3種類あって、取替えられます。
レジアーノをおろすにはこれが1番です。
お店では当然おろしたパルメジャンの方が高いし、細かくした(grated)
のは好きではない私には、ちょうどいいかな。
私もたいがいがらくたをよく買っていましたが、これは寄付される直前で
セーフ・・・。
でも正直言って、イタリア製でなかったら、買ってなかったかも・・・。
そこが私の弱点・・・!。
でもアメリカのチーズおろし器よりはずっと使い勝手はいいです。

朝食その2

昨日に変わり、今日はアボカドチーズトースト。
薄切りパンにうすくマヨネーズをぬり、
スライスしたアボカド、シュレッドしたレジアーノパルメジャン。
何てことはありませんが、かりっとしたパンに
アボカドのとろけるような食感と濃い味のパルメジャン。
キメテはパンの薄さでしょうか・・・。
黄色いお皿はかつてカリフォルニアで作られていた
陶器会社のお皿。
キッチンではこの黄色は映えています。

2010年7月9日金曜日

不思議なめぐり合わせ











↑は調べてわかったシドニーの異父兄弟が作ったキイチェーン。



↑がシドニーのホールマーク。
そう、亀さんです。



↑はコットンウッドのアンティークショップで買った
シドニーのイヤリング。

☆☆☆
おそらく15年かそれ以上前にパサディナであった
ショウで買ったキイチェーン。
sun's foreheadとクロウマザー。
sun's foreheadはつれあいが、クロウマザーは私が
今もずっと使っています。
シドニーはセカンドメサ、ションゴパヴィに住むアーティスト。
彼がお店に来た時、例のホピジュエリーの本で彼のホールマークを
見つけようと、本を見せて
自分の名前を探して見せてくれた、彼のホールマークの亀に
見覚えがありました。
そしたらそれは私が去年、コットンウッドのアンティーク
ショップで見つけて買ったピアスの裏に彫ってあったものでした。
それがわかって、何となくシドニーに親しみを感じていた矢先。
先日買い物に来たシドニーに、この古いキーチェーンね、
ちょっとゆるくなってキーがいつの間にか落ちるの、
何か他のものに作りかえることは出来る?と
見せて、作者は誰?と何気なく裏のホールマークを見た彼が、
これは僕の兄弟のだ!
苗字が違うのはお父さんが違うからだと。
ホピのホールマークの本で見つけた彼の情報は
シドニーが言う通り、1999年に亡くなったと書いてあります。
彼の名前はペリー・フレッド。
これ、持っとく?と私が差し出したキーチェーンを
いいよ、君のものだから君が持ってたらいい、と言っていたシドニー。
ちょこちょこっと裏のキーを通す部分を締めてくれて
これで大分きつくなったから大丈夫と私に手渡してくれました。
私がとてもとても気に入っていたキーチェーン。
買った当時はそのデザインが今は私の大好きなカチーナ、
クロウマザーとは知りもしなかった。
ホピのシルバースミスは考えましたよね、このホールマーク。
これさえあれば、いつどこでも作者をトレース出来る。
シドニーの写真を撮り忘れました!
それはまた次の機会に。